策略家がメロメロ甘々にしたのは強引クールなイケメン獣医師
「保定っておもしろいよな。注射だろうが痛い処置だろうが、岩みたいに動かない子もいる。患畜の性格で保定しないで、いい子はしない場合もある」

「ほうほう」
 唇をすぼめて首を浅く、何度も相づちを打つ。
「緒花は、ふくろうか」

「今、卯波先生の口角が少し動きました」
 離れた診察台にいる、卯波先生に聞こえないように院長に囁いた。

「俺のツッコミにじゃなくて、ふくろうみたいな緒花の顔に反応したんだよ」
「笑うんですね」

「四年に一度の笑顔を拝めたなんて貴重だぞ。しっかり目に焼きつけたか」
 そんなに笑わない人なの?
 
 こっちへ顔を寄せて来いって、院長が人差し指を立てて、私を呼び寄せる。

 顔を近づけたら、一言ひとこと切るようにゆっくりと「笑うんですね」って囁いてきた。

「そう言ってみな。患畜の体調がいいから嬉しいんだって、ごまかすぞ」

 唇と顎で、言え言えって合図してくる院長の顔が楽しそうだから、ふだんは話しかけにくい卯波先生に、スムーズに声をかけようと思えた。

「今、ふくろうので少し笑いましたね」
「違う。患畜の体調が、よくなってきているからだ」
 卯波先生は顔も上げずに、淡々と処置をつづける。
 笑える、本当に言った。

 緩みかけの頬を引き締めて、唇を固く一文字に結び、院長を見た。

「な?」
 院長が、軽く微笑み小声で囁く。

 卯波先生のことなら、なんでも知っているって書いてある顔が、とても嬉しそう。

「緒花くん」
 低く強い抑揚のない卯波先生の声に、背筋がピンと伸びる。

「保定に必要なことは?」

 さっき卯波先生も自分で考えなきゃダメって言ったし、院長もクイズ形式でいろいろと質問をしてくれる。

 眉間にしわが寄り、目は斜め上を凝視して考え込んだ。あっ、わかった!

「声をかけてあげる」

「そうだな、ミミもリラックスしたよな。もう少し声をかけてあげてもいいぞ」
 さりげなくフォローしてくれる院長って、ほんと優しいんだから。

「技術的には?」
 厳しい卯波先生は、にこりともしないで質問してくる。ミミのときに、なにかしたっけ?

「すみません、答えが出てきません」
「力で()じ伏せるのではなく?」
 ひらめいた、あれか。
「関節技です」

「それを忘れるな、基本中の基本だ。しっかり保定をしてくれないと、俺たちは患畜になにもしてやれない」

 院長と違って厳しい卯波先生に、返事まで萎縮してしまう。

 ナースシューズが床に擦れる音が、廊下から響いてきて、坂さんが入院室に来た。

「院長、新規が来たので、緒花さんに問診を経験させてよろしいでしょうか?」

「保定が終わったからいいよ」
「緒花さん、行くわよ」
 坂さんからカルテを受け取り、うしろをついていく。

 坂さんが言った通り、院長はなんでもやらせるんだ。

「問診票の項目通りに問診していけばいいから、なにも心配いらない。いってらっしゃい」

「いってきます」
「不安じゃないの?」
「や、全然です」
「度胸あるわね」

「坂さんの新規問診を見学させていただいたから大丈夫です」
 坂さんに軽く背中を押されて、診察室に入った。

 坂さんが、なにも心配いらないって言えば平気、なんてことない。
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