モテ男子はミソ・ラブ女子に陥落する
第一章 理解不能!
一 厄災は突然始まるもの 神南沙也の場合
「お母さん! 私が留守の時に勝手に入らないでって言ったじゃない!」
「えー、だって、お父さん腹立つんだもん」
沙也はギッと母を睨んだ。
(いい年をした子持ちが、だもん、なんて言わないでほしい!)
「だからって夫婦喧嘩するたびに娘の部屋に転がり込まないで!」
神南沙也はワンルームマンションの狭い部屋へ、母が勝手に入り込んでいる現実にめまいがした。
父と夫婦喧嘩をしたら、すぐにこうやって家出をしてくるのだ。家は鎌倉だから近いのだが。そして父も最初は慌てて電話してきたものの、今はもう慣れたもので、飽きたら勝手に帰ってくると思って無視している。
「今回はどこ行っていたの?」
母、沙紀子は少女のようにニコニコと微笑んで、そう尋ねてきた。
「……金沢」
「金沢! 温泉、兼六園、武家屋敷、近江町市場。いいなぁ~」
なんて言いながら、沙紀子は沙也が自分用に買ってきた金沢名物、梅鉢最中を口に放り込んでいる。
この週末、沙也はいつもの一人旅に出ていた。旅といっても観光ではない。『味噌』を求めての旅だ。
北海道から沖縄まで、味噌はその土地その土地特有の個性をもって存在している。同じ県の中でも異なることも少なくない。そんな味噌を堪能すべく、沙也は各地を訪れていた。
そこで味噌を使った食事を堪能し、また収集もしている。もちろん食べるのだが。味噌はもともと長期保存ができる食品ではあるが、凍らないので冷凍すればさらに長い期間安心して食することができる。塩分さえ気をつければ、たんぱく質やミネラルなど栄養たっぷりで体にいい。
今回は金沢へ行っていた。
『加賀味噌』と呼ばれる石川県加賀地方で作られている味噌を求めてのことだ。
色味は赤系で、味は濃厚、米麴を多く使うからが、濃厚で辛いわりに甘さもしっかり感じられる奥深い味わいの味噌だ。海の幸に恵まれている石川県だけあって、魚介類が合う。
一人で出向くのは、味噌料理を堪能してお土産として買うだけではなく、関係者にいろいろ話を聞いて知見を広めたいので、同行者がいると気を遣うし時間も制限されるからだ。
「誘ってくれたらいいのに。私も行きたかった」
沙也は沙紀子を横目で睨んだ。
(お母さんとは、土下座されたって行かないわよ)
最初は誰か一緒に行く人を見つけていた。沙紀子もその一人だ。親子で出向いた福島では、沙紀子が自分の行きたいところを詰め込んだり、沙也が味噌のことで店の人と話をしているのが待ちきれずぼやいたり、いなくなったりしてえらい目に遭った。
「味噌もいいけど、そろそろカレシの一人でも作ってほしいんだけどね、親としては」
「ぐうっ」
コーヒーを飲もうとしてふきそうになる。もう一度、沙紀子を睨もうと視線を向けると、心底同情しているようなまなざしとぶつかった。
「なによ」
「だって、我が娘ながら可哀相なんだもん」
「可哀相って言うな!」
「あんた、今、二十五でしょ? 私は二十歳の時にパパに見染められて、学生結婚して、二十四であんたを産んだのよ? あんたの年には、あぶあぶ言ってるあんたの面倒見てたんだからね」
「早けりゃいいってもんじゃないわよ!」
「そりゃそうだけどさぁ。でも、カレシいないってな~」
「なによその目! ムカつく! 人をバカにするんだったら帰ってよ!」
沙紀子はまぐっと最中にかぶりついた。
「こらこらこらっ、都合が悪くなったからってスルーしない!」
「人の外見は簡単には変えられないし、人の評価のために無理することもないけど、でもだからってないがしろにするものじゃないと思うわ。趣味にお金をつぎ込みすぎて、残念な人って思われるのはどうかと思うのよ」
「…………」
「結婚したって不幸になるかもしれないし、しなくたって人生楽しく生きられるだろうとも思う。だけどさぁ、今のまま、味噌道を驀進して、あんたがどこまで幸せに生きられるか、親としては心配なのよね~」
いきなり正論が飛び出して、沙也は言葉を失った。
「帰るわ。ま、親としては、娘が元気だったらいいのだけど」
沙也が呆然とする中、沙紀子はさっと立ち上がり、さっさと帰ってしまった。
現在四十九歳の母、沙紀子。童顔でとてもアラフィフとは思えない。さらに服装もかわいい系を好むので、ぱっと見、三十代半ばから後半くらいに思えるから恐ろしい。
沙也は沙紀子が消えた玄関をじっと見つめていた。
が。
「あーー! 私の最中食べ尽くした!」
ローテーブルの上に置いた自分用の土産である梅鉢最中は駆逐されていた。
「くぅーー!」
それから数時間。
沙也はパソコンの画面に映る秋田の景色をぼんやりと眺めていた。
来月の海の日三連休で東北に行こうと思っている。米どころということもあって秋田の味噌は米麹の割合が多く、その分米の甘みが感じられるとのことで興味があった。特に黄金色の味噌を狙っている、はずなのだが、思考は別のところにあった。
――人の外見は簡単には変えられないし、人の評価のために無理することもないけど、でもだからってないがしろにするものじゃないと思うわ。趣味にお金をつぎ込みすぎて、残念な人って思われるのはどうかと思うのよ。結婚したって不幸になるかもしれないし、しなくたって人生楽しく生きられるだろうとも思う。だけどさぁ、今のまま、味噌道を驀進して、あんたがどこまで幸せに生きられるか、親としては心配なのよね~。
学生結婚をし、卒業してすぐに妊娠出産した沙紀子は、社会で働いたことのない今時珍しい人だ。童顔で愛らしく、言葉遣いも大人の女性という感じではないので、少し浮世離れした印象を与える。
だから沙紀子は、自分の母を少々見下している感がある。世間を知らないくせに、と。だが、さっきの言葉は重く響いた。
一流会社に就職したとはいえ、労働以外の時間と給料をすべて趣味につぎ込んでいる様子を、親として心配しているのだ。
(まぁ……私が逆の立場でも思うわね……きっと)
住まいはワンルームマンション、旅行先で購入した味噌を保管するため、また自分でも作っている関係で、背の低い小型の冷蔵庫四台をロフトベッドの下に並べている。
自分にはパラダイスなこの状態も、親を含め沙也以外の者が見たら痛すぎる情景だろう。
そんなことは言われなくてもわかっている。だがしかし、この幸福を減らして、欲しくもない服やらなんやらを買うのは抵抗がある。
はあ、と沙也は大きなため息をついた。
抵抗はあるものの、親の気持ちもわかるからだ。
(カレシか。地味が恋愛の邪魔をするわけじゃないのもわかってるんだけどなぁ。これでも過去には頑張ったりもしたのよ、恥ずかしくて言えないけど。でも、いつもうまくいかなくて、もうそこに注力するのはやめたのよ)
スマートフォンがピコンと鳴った。
(祐子だ)
大学時代の友人から、ラインが届いたようだ。タップして展開して固まった。
『やっほー! 勇気出してコクったらOKもらえた!』
いつもならきっと自分のことのように喜ぶだろう。だが、今の沙也には、傷口に塩を塗るとか、谷底に落ちかけているところを背中から足で蹴飛ばされたとか、そんな感じがしてしまう。弱り目に祟り目、というやつだ。
とはいえ、本人には罪はないので、ここは派手に喜んであげないといけない。
『おめでとう! よかったね!』
『ありがとう! 勇気出してホントよかったよぉ』
うれし泣きをしているうさぎのスタンプも一緒に送られてきた。こちらも『おめでとう!』と叫んでいる熊のスタンプを送っておく。
――今のまま、味噌道を驀進して、あんたがどこまで幸せに生きられるか、親としては心配なのよね~。
沙紀子の言葉がボディブローにように効いてくる。
友よ、なにもこんなタイミングでそれはないだろう!――と叫びたい心境だ。
が。
顔をベッド下に並んでいる四台の味噌保管専用冷蔵庫に向けて、じっと見つめた。
(私は幸せだ。買ってきた味噌、自作の味噌たちとの生活は楽園。カレシが欲しいなんて思ってないし、ましては結婚願望なんて一ナノもない。だけど、親を心配させたくない……じゃなく、お母さんを見返してやりたい!)
向けられた同情のまなざしが悔しくて仕方がない。
(どこかに、それなりに話が合って、単独行動を好んで、食べ物に好き嫌いがない、少なくてもどんな味噌料理も嫌がらず食べてくれるオトコってのはいないかな! …………いないよね)
冷蔵庫を見つめながら、そんなことを思う沙也であった。
「えー、だって、お父さん腹立つんだもん」
沙也はギッと母を睨んだ。
(いい年をした子持ちが、だもん、なんて言わないでほしい!)
「だからって夫婦喧嘩するたびに娘の部屋に転がり込まないで!」
神南沙也はワンルームマンションの狭い部屋へ、母が勝手に入り込んでいる現実にめまいがした。
父と夫婦喧嘩をしたら、すぐにこうやって家出をしてくるのだ。家は鎌倉だから近いのだが。そして父も最初は慌てて電話してきたものの、今はもう慣れたもので、飽きたら勝手に帰ってくると思って無視している。
「今回はどこ行っていたの?」
母、沙紀子は少女のようにニコニコと微笑んで、そう尋ねてきた。
「……金沢」
「金沢! 温泉、兼六園、武家屋敷、近江町市場。いいなぁ~」
なんて言いながら、沙紀子は沙也が自分用に買ってきた金沢名物、梅鉢最中を口に放り込んでいる。
この週末、沙也はいつもの一人旅に出ていた。旅といっても観光ではない。『味噌』を求めての旅だ。
北海道から沖縄まで、味噌はその土地その土地特有の個性をもって存在している。同じ県の中でも異なることも少なくない。そんな味噌を堪能すべく、沙也は各地を訪れていた。
そこで味噌を使った食事を堪能し、また収集もしている。もちろん食べるのだが。味噌はもともと長期保存ができる食品ではあるが、凍らないので冷凍すればさらに長い期間安心して食することができる。塩分さえ気をつければ、たんぱく質やミネラルなど栄養たっぷりで体にいい。
今回は金沢へ行っていた。
『加賀味噌』と呼ばれる石川県加賀地方で作られている味噌を求めてのことだ。
色味は赤系で、味は濃厚、米麴を多く使うからが、濃厚で辛いわりに甘さもしっかり感じられる奥深い味わいの味噌だ。海の幸に恵まれている石川県だけあって、魚介類が合う。
一人で出向くのは、味噌料理を堪能してお土産として買うだけではなく、関係者にいろいろ話を聞いて知見を広めたいので、同行者がいると気を遣うし時間も制限されるからだ。
「誘ってくれたらいいのに。私も行きたかった」
沙也は沙紀子を横目で睨んだ。
(お母さんとは、土下座されたって行かないわよ)
最初は誰か一緒に行く人を見つけていた。沙紀子もその一人だ。親子で出向いた福島では、沙紀子が自分の行きたいところを詰め込んだり、沙也が味噌のことで店の人と話をしているのが待ちきれずぼやいたり、いなくなったりしてえらい目に遭った。
「味噌もいいけど、そろそろカレシの一人でも作ってほしいんだけどね、親としては」
「ぐうっ」
コーヒーを飲もうとしてふきそうになる。もう一度、沙紀子を睨もうと視線を向けると、心底同情しているようなまなざしとぶつかった。
「なによ」
「だって、我が娘ながら可哀相なんだもん」
「可哀相って言うな!」
「あんた、今、二十五でしょ? 私は二十歳の時にパパに見染められて、学生結婚して、二十四であんたを産んだのよ? あんたの年には、あぶあぶ言ってるあんたの面倒見てたんだからね」
「早けりゃいいってもんじゃないわよ!」
「そりゃそうだけどさぁ。でも、カレシいないってな~」
「なによその目! ムカつく! 人をバカにするんだったら帰ってよ!」
沙紀子はまぐっと最中にかぶりついた。
「こらこらこらっ、都合が悪くなったからってスルーしない!」
「人の外見は簡単には変えられないし、人の評価のために無理することもないけど、でもだからってないがしろにするものじゃないと思うわ。趣味にお金をつぎ込みすぎて、残念な人って思われるのはどうかと思うのよ」
「…………」
「結婚したって不幸になるかもしれないし、しなくたって人生楽しく生きられるだろうとも思う。だけどさぁ、今のまま、味噌道を驀進して、あんたがどこまで幸せに生きられるか、親としては心配なのよね~」
いきなり正論が飛び出して、沙也は言葉を失った。
「帰るわ。ま、親としては、娘が元気だったらいいのだけど」
沙也が呆然とする中、沙紀子はさっと立ち上がり、さっさと帰ってしまった。
現在四十九歳の母、沙紀子。童顔でとてもアラフィフとは思えない。さらに服装もかわいい系を好むので、ぱっと見、三十代半ばから後半くらいに思えるから恐ろしい。
沙也は沙紀子が消えた玄関をじっと見つめていた。
が。
「あーー! 私の最中食べ尽くした!」
ローテーブルの上に置いた自分用の土産である梅鉢最中は駆逐されていた。
「くぅーー!」
それから数時間。
沙也はパソコンの画面に映る秋田の景色をぼんやりと眺めていた。
来月の海の日三連休で東北に行こうと思っている。米どころということもあって秋田の味噌は米麹の割合が多く、その分米の甘みが感じられるとのことで興味があった。特に黄金色の味噌を狙っている、はずなのだが、思考は別のところにあった。
――人の外見は簡単には変えられないし、人の評価のために無理することもないけど、でもだからってないがしろにするものじゃないと思うわ。趣味にお金をつぎ込みすぎて、残念な人って思われるのはどうかと思うのよ。結婚したって不幸になるかもしれないし、しなくたって人生楽しく生きられるだろうとも思う。だけどさぁ、今のまま、味噌道を驀進して、あんたがどこまで幸せに生きられるか、親としては心配なのよね~。
学生結婚をし、卒業してすぐに妊娠出産した沙紀子は、社会で働いたことのない今時珍しい人だ。童顔で愛らしく、言葉遣いも大人の女性という感じではないので、少し浮世離れした印象を与える。
だから沙紀子は、自分の母を少々見下している感がある。世間を知らないくせに、と。だが、さっきの言葉は重く響いた。
一流会社に就職したとはいえ、労働以外の時間と給料をすべて趣味につぎ込んでいる様子を、親として心配しているのだ。
(まぁ……私が逆の立場でも思うわね……きっと)
住まいはワンルームマンション、旅行先で購入した味噌を保管するため、また自分でも作っている関係で、背の低い小型の冷蔵庫四台をロフトベッドの下に並べている。
自分にはパラダイスなこの状態も、親を含め沙也以外の者が見たら痛すぎる情景だろう。
そんなことは言われなくてもわかっている。だがしかし、この幸福を減らして、欲しくもない服やらなんやらを買うのは抵抗がある。
はあ、と沙也は大きなため息をついた。
抵抗はあるものの、親の気持ちもわかるからだ。
(カレシか。地味が恋愛の邪魔をするわけじゃないのもわかってるんだけどなぁ。これでも過去には頑張ったりもしたのよ、恥ずかしくて言えないけど。でも、いつもうまくいかなくて、もうそこに注力するのはやめたのよ)
スマートフォンがピコンと鳴った。
(祐子だ)
大学時代の友人から、ラインが届いたようだ。タップして展開して固まった。
『やっほー! 勇気出してコクったらOKもらえた!』
いつもならきっと自分のことのように喜ぶだろう。だが、今の沙也には、傷口に塩を塗るとか、谷底に落ちかけているところを背中から足で蹴飛ばされたとか、そんな感じがしてしまう。弱り目に祟り目、というやつだ。
とはいえ、本人には罪はないので、ここは派手に喜んであげないといけない。
『おめでとう! よかったね!』
『ありがとう! 勇気出してホントよかったよぉ』
うれし泣きをしているうさぎのスタンプも一緒に送られてきた。こちらも『おめでとう!』と叫んでいる熊のスタンプを送っておく。
――今のまま、味噌道を驀進して、あんたがどこまで幸せに生きられるか、親としては心配なのよね~。
沙紀子の言葉がボディブローにように効いてくる。
友よ、なにもこんなタイミングでそれはないだろう!――と叫びたい心境だ。
が。
顔をベッド下に並んでいる四台の味噌保管専用冷蔵庫に向けて、じっと見つめた。
(私は幸せだ。買ってきた味噌、自作の味噌たちとの生活は楽園。カレシが欲しいなんて思ってないし、ましては結婚願望なんて一ナノもない。だけど、親を心配させたくない……じゃなく、お母さんを見返してやりたい!)
向けられた同情のまなざしが悔しくて仕方がない。
(どこかに、それなりに話が合って、単独行動を好んで、食べ物に好き嫌いがない、少なくてもどんな味噌料理も嫌がらず食べてくれるオトコってのはいないかな! …………いないよね)
冷蔵庫を見つめながら、そんなことを思う沙也であった。
< 1 / 17 >