モテ男子はミソ・ラブ女子に陥落する
第四章 制御不能!
一 いざ本番!
空気が張り詰めている。招かれざる客であることは誰の目にも明らかだ。
厳格そうな父に、丁寧だが癖のある母が正面に座り、沙也はますます緊張している様子だ。病院の理事長という肩書だけでも驚いた様子だったから、目の前にいる気難しそうな様子を目の当たりにしたら、その緊張はピークに達したようだ。
だからなるべく沙也には会話をさせないようにと、母の祥子がなにを聞こうとも祐司郎が答えていたのだが、だんだん険悪なムードになってきた。
「祐司郎ったら、女性を家に連れてきたことがないのよ。本当に驚いたわ。そもそも決まった人とちゃんと交際しているとは思っていなかったの」
祥子がとんでもないことを言い始めてぎょっとする。
(なんてこと言うんだ、親のくせに。あ、いや、もしかしたら、俺たちの仲を悪くして、来週の見合いを決行する気か? そんなことはさせない)
祐司郎は見えないところで右手をギュッと握り込んだ。
「そういうつまらないことは言わない。せっかく無理を言って来てもらったのに」
「だって祐司郎、あなた、いつもたくさんの女の子に囲まれていたから、てっきり」
「てっきり、なんだよ」
「みなさんと平等におつきあいしていると思っていたのよ」
「沙也以外は平等に接するよ、ごく普通に。それに、確かに将来のことは考えてるけど、今すぐどうこうするつもりはなくて、母さんがうるさいから紹介したんだ」
目が合うと、祥子のまなざしは鋭かった。ここで沙也の不興を買い、別れさせるつもりなのか。見合いの話をされた時は頭に来てはっきり内容を確認しなかったが、このあたりで影響力を持つ父に持ち込まれた縁談だ、なかなか立派な家柄の娘なのだろう。それを断らせようとしているのだから、両親にとってはどれだけの女なのかと思っているに違いない。ならば、沙也をディスるどんな失礼な言葉が飛び出すかわからない。
(母さんは医者一家が立派だと思い込んでる。今更だけど……神南さんには、無理を頼みすぎたかもしれない)
本当に今更だ。しかしここは踏ん張らなければならない。数時間をなんとかしのいで沙也を帰せば、あとはもう見合いには行かないと突っぱねればいい。というか、それしかない。そしてボロやアラを見せないためには、沙也にはなるべくしゃべらせず、自らが前に出て守らねばならない。
「神南さんは今、ご実家から通っていらっしゃるの?」
「一人暮らしだよ。豊洲の俺のマンションから近い」
祥子が祐司郎を睨んだ。黙れと言いたいのだろう。それを受け入れて黙るわけにはいかない。
「沙也は門前仲町だから、ホントに近いんだよ」
祥子は沙也を見ながら質問を続ける。
「ご実家は?」
「鎌倉に住んでる」
また祐司郎が答えたので、祥子の睨みが強くなった。
「祐司郎、神南さんとお話をさせてちょうだい。せっかく来てくださったのに、顔だけ合わせて終わりだなんて意味がないわ」
「そりゃそうだけどさ、そんな質問、誰が答えたって同じじゃないか」
母と息子がせめぎ合っている中、静かに沙也に話しかけたのが伸晃だった。
「親の目から見たら、祐司郎はなかなか落ち着かないように思うが、うまくやっていけそうかな?」
「やっていけるよ」
と、また祐司郎。
「お前はそうだろう。父さんが心配なのは神南さんのほうだ。神南さん、どうだい?」
伸晃に改めて問われ、沙也の口元が引きつる。質問してきた伸晃だけではなく、祥子と祐司郎もじっと見つめてくるからだ。
沙也の視線が若干左右に揺れたが、すぐに伸晃に戻った。
「祐司郎さんにはとても大事にしてもらっています。今日のためにこの服もプレゼントしてもらえて、気遣いや、やさしさにとても感謝しています。私はその気持ちに応えていきたいと思っています」
沙也の落ち着いた口調と地に足ついた言葉に、黒崎親子の表情が三人三様に変わった。祐司郎は明らかに喜色を表している。祥子は面白くなさそうな様子、伸晃は納得のような感心のような、そんな感じだ。
「二人が仲良く、助け合ってやっていけることが一番大切なことだ。ただ、我が家は祐司郎以外みな医療従事者で、私と祥子は一線から引いて経営に専念しているが、病院には親類たちも勤務している。患者のことや医療のことで集まることも多い。親類つきあいが大変かと思うので、将来を考えての交際なら、そこだけは理解しておいてほしい」
伸晃の言葉を受け、祥子が反射的に「お父さん」と声をかけた。その声には咎めの色が感じられる。
「いいじゃないか。二人の関係は二人で考えることだから、我々が口を挟むことじゃないだろ」
「それは……」
伸晃は顔を祥子から沙也に向き直した。
「すでにもうわかったと思うが、うちはなにかと面倒くさい。そのことは最初に言っておきたい。なかなか腰が落ち着かない息子ですが、よろしくお願いします」
「こちらこそ、気がつかない不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
沙也は座ったままであったが、深く頭を下げた。
そこから少し空気が和んだ。そして祥子が沙也に「趣味は?」と聞いてからまたムードが変わった。
「味噌収集です」
「味噌?」
「はい。いろんな地域のお味噌を食べたくて、あちこち出かけて行って、その土地のお味噌を買って帰るんです」
「へえ。お味噌。お味噌は体にいいからねえ」
「はい!」
沙也は明るくなったばかりか、饒舌に味噌の説明を始めたものだから、祥子も伸晃も驚いて目を丸くしている。
「栄養価も高いですし、長期熟成で日持ちもするし、万能調味料なだけじゃなく、体力が落ちた時などは体調を整えてくれますし、二日酔いのも効くし、最高です!」
胸の前でグーを作り、力いっぱい言い切って、三人がドン引きしていることにようやく気づいた様子だ。ついでに、目の前にいるのは現役を引退したとはいえ、医者と看護士だ。
「すみません、私ったら本職の方に失礼を」
頭を下げる沙也を見ている三人の中で、いち早く我を取り戻したのが祐司郎だった。
さっと立ち上がって、鞄を手にした。
「まぁ、そういうことで、そろそろ帰るわ。これから俺たち、ドライブがてら横浜にでも行こうかなって思ってるから。沙也、行こう」
「え……あ、はい」
祐司郎の促された沙也は戸惑ったように祐司郎と両親を見比べながら立ち上がった。それにつられて両親も腰を上げる。四人連なって玄関に向かった。
「じゃあ、俺たちはこれで。母さん、もうつまんないことしないでくれよな」
「はいはい。気をつけてね」
「おう」
沙也が両親に頭を下げている間に玄関の扉を開け、先に沙也を出してから祐司郎は外に出た。それから急ぎ足で駐車している車に乗り込み、発進する。駐車場の門扉をリモコンキーで開閉し、ようやく本日のミッションを終えた。
「お疲れ様。昨日も今日は本当にありがとう。助かったよ」
「いえいえ、お役に立ててよかったです。でも、めちゃくちゃ緊張しました。特に最初」
「だよね。どこの敵だって感じで申し訳なかったよ。で、どうする? ホントにどっか行く? 横浜でもどこでもいいけど」
沙也は苦笑を浮かべつつ、やんわりと断ってきた。
「さすがに疲れたので、今日はもう帰って休みます」
「……カフェでなにか飲むとかも?」
「はい。大丈夫です」
「……そっか、了解」
ここで断るか、と思う祐司郎だが、確かにその通りだと思う。自分にとっては親でしかないが、沙也からしたら、騙して会う会社の同僚の親、なのだから。
日曜の都内は空いている。車は順調に進み、あっという間に沙也のハイツに到着した。
沙也は車から降り、運転席のほうにわざわざ回ってきた。
「送ってもらってありがとうございました」
「こっちこそ」
「沙也ちゃん!」
祐司郎の返事と、沙也を呼ぶ男の声が重なる。声がした方を向くと、若い男が駆け寄ってきた。
「誰?」
「いとこです。勇ちゃん、どうしたの?」
「近くに来たから寄っただけだけど。こちらは?」
なんだか口調に棘があるが祐司郎は無視した。
「神南さんと同じ会社に勤めてる黒崎です。はじめまして」
「……神南沙也のいとこの神南勇仁です。いとこがお世話になってます」
「とんでもない。世話になってるのはこっちで。それじゃあ、ここで失礼します」
早く立ち去った方が得策だと判断し、軽く会釈をしてエンジンをかけ、アクセルを踏んだ。
沙也が会釈しているのを、窓から手を出して軽く振って応じる。そこからスピードを上げた。
(なんか今にも噛みついてきそうな勢いだったな、あのいとこ。俺がなにかしたかっての)
なんて思うが、沙也には無理難題頼み込んで助けてもらったことは事実だ。お見合い破壊工作はほぼ間違いなく成功しただろう。だからドライブもカフェも、断られても文句は言えない。
とはいえ、やっぱり断られたことに釈然としない祐司郎だった。
厳格そうな父に、丁寧だが癖のある母が正面に座り、沙也はますます緊張している様子だ。病院の理事長という肩書だけでも驚いた様子だったから、目の前にいる気難しそうな様子を目の当たりにしたら、その緊張はピークに達したようだ。
だからなるべく沙也には会話をさせないようにと、母の祥子がなにを聞こうとも祐司郎が答えていたのだが、だんだん険悪なムードになってきた。
「祐司郎ったら、女性を家に連れてきたことがないのよ。本当に驚いたわ。そもそも決まった人とちゃんと交際しているとは思っていなかったの」
祥子がとんでもないことを言い始めてぎょっとする。
(なんてこと言うんだ、親のくせに。あ、いや、もしかしたら、俺たちの仲を悪くして、来週の見合いを決行する気か? そんなことはさせない)
祐司郎は見えないところで右手をギュッと握り込んだ。
「そういうつまらないことは言わない。せっかく無理を言って来てもらったのに」
「だって祐司郎、あなた、いつもたくさんの女の子に囲まれていたから、てっきり」
「てっきり、なんだよ」
「みなさんと平等におつきあいしていると思っていたのよ」
「沙也以外は平等に接するよ、ごく普通に。それに、確かに将来のことは考えてるけど、今すぐどうこうするつもりはなくて、母さんがうるさいから紹介したんだ」
目が合うと、祥子のまなざしは鋭かった。ここで沙也の不興を買い、別れさせるつもりなのか。見合いの話をされた時は頭に来てはっきり内容を確認しなかったが、このあたりで影響力を持つ父に持ち込まれた縁談だ、なかなか立派な家柄の娘なのだろう。それを断らせようとしているのだから、両親にとってはどれだけの女なのかと思っているに違いない。ならば、沙也をディスるどんな失礼な言葉が飛び出すかわからない。
(母さんは医者一家が立派だと思い込んでる。今更だけど……神南さんには、無理を頼みすぎたかもしれない)
本当に今更だ。しかしここは踏ん張らなければならない。数時間をなんとかしのいで沙也を帰せば、あとはもう見合いには行かないと突っぱねればいい。というか、それしかない。そしてボロやアラを見せないためには、沙也にはなるべくしゃべらせず、自らが前に出て守らねばならない。
「神南さんは今、ご実家から通っていらっしゃるの?」
「一人暮らしだよ。豊洲の俺のマンションから近い」
祥子が祐司郎を睨んだ。黙れと言いたいのだろう。それを受け入れて黙るわけにはいかない。
「沙也は門前仲町だから、ホントに近いんだよ」
祥子は沙也を見ながら質問を続ける。
「ご実家は?」
「鎌倉に住んでる」
また祐司郎が答えたので、祥子の睨みが強くなった。
「祐司郎、神南さんとお話をさせてちょうだい。せっかく来てくださったのに、顔だけ合わせて終わりだなんて意味がないわ」
「そりゃそうだけどさ、そんな質問、誰が答えたって同じじゃないか」
母と息子がせめぎ合っている中、静かに沙也に話しかけたのが伸晃だった。
「親の目から見たら、祐司郎はなかなか落ち着かないように思うが、うまくやっていけそうかな?」
「やっていけるよ」
と、また祐司郎。
「お前はそうだろう。父さんが心配なのは神南さんのほうだ。神南さん、どうだい?」
伸晃に改めて問われ、沙也の口元が引きつる。質問してきた伸晃だけではなく、祥子と祐司郎もじっと見つめてくるからだ。
沙也の視線が若干左右に揺れたが、すぐに伸晃に戻った。
「祐司郎さんにはとても大事にしてもらっています。今日のためにこの服もプレゼントしてもらえて、気遣いや、やさしさにとても感謝しています。私はその気持ちに応えていきたいと思っています」
沙也の落ち着いた口調と地に足ついた言葉に、黒崎親子の表情が三人三様に変わった。祐司郎は明らかに喜色を表している。祥子は面白くなさそうな様子、伸晃は納得のような感心のような、そんな感じだ。
「二人が仲良く、助け合ってやっていけることが一番大切なことだ。ただ、我が家は祐司郎以外みな医療従事者で、私と祥子は一線から引いて経営に専念しているが、病院には親類たちも勤務している。患者のことや医療のことで集まることも多い。親類つきあいが大変かと思うので、将来を考えての交際なら、そこだけは理解しておいてほしい」
伸晃の言葉を受け、祥子が反射的に「お父さん」と声をかけた。その声には咎めの色が感じられる。
「いいじゃないか。二人の関係は二人で考えることだから、我々が口を挟むことじゃないだろ」
「それは……」
伸晃は顔を祥子から沙也に向き直した。
「すでにもうわかったと思うが、うちはなにかと面倒くさい。そのことは最初に言っておきたい。なかなか腰が落ち着かない息子ですが、よろしくお願いします」
「こちらこそ、気がつかない不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
沙也は座ったままであったが、深く頭を下げた。
そこから少し空気が和んだ。そして祥子が沙也に「趣味は?」と聞いてからまたムードが変わった。
「味噌収集です」
「味噌?」
「はい。いろんな地域のお味噌を食べたくて、あちこち出かけて行って、その土地のお味噌を買って帰るんです」
「へえ。お味噌。お味噌は体にいいからねえ」
「はい!」
沙也は明るくなったばかりか、饒舌に味噌の説明を始めたものだから、祥子も伸晃も驚いて目を丸くしている。
「栄養価も高いですし、長期熟成で日持ちもするし、万能調味料なだけじゃなく、体力が落ちた時などは体調を整えてくれますし、二日酔いのも効くし、最高です!」
胸の前でグーを作り、力いっぱい言い切って、三人がドン引きしていることにようやく気づいた様子だ。ついでに、目の前にいるのは現役を引退したとはいえ、医者と看護士だ。
「すみません、私ったら本職の方に失礼を」
頭を下げる沙也を見ている三人の中で、いち早く我を取り戻したのが祐司郎だった。
さっと立ち上がって、鞄を手にした。
「まぁ、そういうことで、そろそろ帰るわ。これから俺たち、ドライブがてら横浜にでも行こうかなって思ってるから。沙也、行こう」
「え……あ、はい」
祐司郎の促された沙也は戸惑ったように祐司郎と両親を見比べながら立ち上がった。それにつられて両親も腰を上げる。四人連なって玄関に向かった。
「じゃあ、俺たちはこれで。母さん、もうつまんないことしないでくれよな」
「はいはい。気をつけてね」
「おう」
沙也が両親に頭を下げている間に玄関の扉を開け、先に沙也を出してから祐司郎は外に出た。それから急ぎ足で駐車している車に乗り込み、発進する。駐車場の門扉をリモコンキーで開閉し、ようやく本日のミッションを終えた。
「お疲れ様。昨日も今日は本当にありがとう。助かったよ」
「いえいえ、お役に立ててよかったです。でも、めちゃくちゃ緊張しました。特に最初」
「だよね。どこの敵だって感じで申し訳なかったよ。で、どうする? ホントにどっか行く? 横浜でもどこでもいいけど」
沙也は苦笑を浮かべつつ、やんわりと断ってきた。
「さすがに疲れたので、今日はもう帰って休みます」
「……カフェでなにか飲むとかも?」
「はい。大丈夫です」
「……そっか、了解」
ここで断るか、と思う祐司郎だが、確かにその通りだと思う。自分にとっては親でしかないが、沙也からしたら、騙して会う会社の同僚の親、なのだから。
日曜の都内は空いている。車は順調に進み、あっという間に沙也のハイツに到着した。
沙也は車から降り、運転席のほうにわざわざ回ってきた。
「送ってもらってありがとうございました」
「こっちこそ」
「沙也ちゃん!」
祐司郎の返事と、沙也を呼ぶ男の声が重なる。声がした方を向くと、若い男が駆け寄ってきた。
「誰?」
「いとこです。勇ちゃん、どうしたの?」
「近くに来たから寄っただけだけど。こちらは?」
なんだか口調に棘があるが祐司郎は無視した。
「神南さんと同じ会社に勤めてる黒崎です。はじめまして」
「……神南沙也のいとこの神南勇仁です。いとこがお世話になってます」
「とんでもない。世話になってるのはこっちで。それじゃあ、ここで失礼します」
早く立ち去った方が得策だと判断し、軽く会釈をしてエンジンをかけ、アクセルを踏んだ。
沙也が会釈しているのを、窓から手を出して軽く振って応じる。そこからスピードを上げた。
(なんか今にも噛みついてきそうな勢いだったな、あのいとこ。俺がなにかしたかっての)
なんて思うが、沙也には無理難題頼み込んで助けてもらったことは事実だ。お見合い破壊工作はほぼ間違いなく成功しただろう。だからドライブもカフェも、断られても文句は言えない。
とはいえ、やっぱり断られたことに釈然としない祐司郎だった。