モテ男子はミソ・ラブ女子に陥落する
第二章 分析不能!
一 なぜ誘う? よくわからない距離感
食事が終わり、タクシーを拾って黒崎は住むマンションへ。到着した豊洲の高層マンションの前で沙也は固まった。
「……ここ?」
「ああ」
「こんなトコに住んでるんですか?」
頭の中で、自社にて入社五年の給料を弾くが、とてもこんなところに住めるはずがない。いかに黒崎がトップクラスの営業だったとしても。AMP社は販売力も強みである一流アパレル会社ではあるが、所詮はメーカーなのだ。こんな高級高層マンションに住めるほど給料はバカ高くない。
(それとも、私が知らないだけで、トップクラスの営業パーソンは破格の営業手当がもらえるってこと?)
頭の中をグルグルさせながらついていく。
エントランスホールは広いし天井高いし。コンシェルジュカウンターなんかあるし、会釈しているし。
「相続対策でワンフロアまるっと親が買って、贈与で俺のものになったけど、それはあくまで名義上。でも、貸すか住むかで迷って、会社に近いから住むことにしたんだ。俺の手柄じゃないから、自慢できる話じゃない」
エレベーターに乗ると、呆然となっている沙也に向けて黒崎が説明する。
(でもそれって、黒崎さんがお金持ちのおぼっちゃんってことじゃない? ん? え?)
沙也の目がこれでもかというほど大きくなった。
「ワンフロア?」
「ああ。四軒ね。他の三軒は貸してるよ」
「…………」
この高級マンションを四軒分買ってしまうとは!
「こういう話をすると、口では平静を装っていても、目が輝く子が多くてさ。だから誰も部屋には呼ばないんだ。この件、申し訳ないけど、内緒にしてほしい」
「言いませんよ、プライバシーに関わることなんて。それに、黒崎さんの部屋に行ったなんて知れたら、私、会社の女性たちに総スカン食らいます」
「そんなことないだろ」
「ありますよ」
そんな会話を交わしている間に到着し、黒崎が玄関扉をあけて沙也を中に招き入れた。
(すご……ひろっ!)
家族向けなので部屋数もある。ワンルームマンションに住んでいる沙也には考えられない広さだ。
(同じ一人暮らしとは思えない……)
また呆然となり、無言でついていく。そしてリビングに入って、固まった。
「紹介するよ、フランソワーズだ。妹のペットなんだけどさ」
「…………」
「俺も最初見た時は驚いたけど、おとなしいし、慣れたらそれなりにかわいい」
「…………」
大型のカウチソファの上に、一メートルくらいの全身鮮やかな緑色の生物がドンといる。
「草食だから、虫とかネズミとかやる必要ないし」
「…………」
「妹から教わったんだけど、頭とか背中とかにあるたてがみみたいなヤツをクレストっていって、顎のたるみはデューラップっていうんだってさ」
「…………」
「神南さん?」
「……トカ、ゲ?」
「イグアナ。同じ爬虫類だけど、トカゲはトカゲ亜目で、イグアナはイグアナ科だから別種類。フランソワーズはグリーンイグアナなんだ」
「…………」
グリーンイグアナだそうだ。
沙也は言葉を失い、ただただドンと構えているグリーンイグアナを見つめた。
「餌は、イグアナ専用のもあるんだけど、一週間程度なら葉物野菜でいいから、パセリ、白菜、ホウレンソウ、カブの葉っぱ、大根の葉っぱ、もやし、なんかをあげてほしい。かかった費用は後で精算するよ」
「…………」
「爬虫類って色を判別できるから、餌はカラフルにしてほしい。その方が食欲が出るんだ。あと、丸呑みするから、適度に千切ってやってよ。回数は朝と夜の二回。まぁ、昼間は仕事だからおのずと二回になるんだけど」
「…………」
「あとは……あ、そうだ、水浴び。イグアナは水浴びが大好きなんだ。できたら一回か二回、背中にシャワーをかけてやってほしいけど、無理はしなくていいよ。あんまり触りたくなさそうだし。もし、くさかったら、このペット専用の消臭剤を部屋に撒いてくれたらいいから」
「…………」
「神南さん? 神南さん、大丈夫? イグアナ、無理っぽい?」
沙也の脳裏に、一瞬断ろうかという迷いが生じたが、そうなると黒崎はかなり困るだろう。一度はいいと言ったのだから、逃げるのはどうかと思う。おとなしいというのだから、餌さえやって、糞の処理をすれば、とりあえずいいわけだし。
「あ、えと、いえ、大丈夫、です。私、動物は基本好きなんで。うん、ワニ園にも行ったことあるし」
「ワニとはかなり違うよ。イグアナは相当おとなしいから」
「……そうですか」
「それで、どうする? 連れて帰る?」
そうだった、と沙也はここに来た理由を思いだした。そして今まで以上にフランソワーズをじっと見つめる。
(これを、うちに? 無理無理無理……でも……)
とはいえ、沙也は門前仲町に住んでいるので、ここ豊洲に寄ることに時間的ロスはそうないのだが、それでも朝と晩、毎日通うのは大変だ。かといって、黒崎の家に留守とはいえ寝泊まりするのも気が進まない。
(うー、どうする)
頭の中でいろいろ考えるが、黒崎が言うように、ここに泊まるのが一番楽な気がしてくる。
「これから家まで送るけど、必要なものを渡してくれたら、部屋に置いておくよ。フランソワーズを運ぶよりいいと思うんだけど」
確かにそうだ。どう考えても、この緑色の塊を家に連れて帰って、狭いワンルームで同居するのはいただけない。人の家でも滞在期間は一週間で、ホテルなみにすばらしいこのマンションのこの部屋なら、かなり快適に過ごせるだろう。
唯一気にかかるのは、ここが黒崎という男性の部屋であることだが、本人は出張でいなくて、一緒に過ごす時間がないのだから気を遣うことはない。会社の者にバレさえしなければ問題はない。
「……じゃあ、申し訳ないですが、滞在させてもらいます」
「そんなに恐縮しなくていいよ。つか、恐縮なのはこっちだし。じゃあ、今から送るから」
「はい」
取って返して部屋から出て、地下駐車場に向かう。そして沙也の部屋の近くのコインパーキングに車を止めて部屋に帰ってきた。
「狭いんで申し訳ないけど、どうぞ」
週末は金沢旅行だったので、出かけにしっかり掃除をしておいたのがよかった。だが、それでも、部屋の中を見たら黒崎は驚くことだろう。そう思っていたら、案の定、目を丸くしている。ロフトベッドの下に小型の冷蔵庫を四台並べて置いているのだから。
「冷蔵庫ばっかり、どうしてこんなに?」
「えーっと、やっぱり驚きますよね。私、お味噌が大好きで、買ったり作ったりしているんです」
「味噌?」
「ええ、お味噌。よく旅行に行ってるのも、その地方のお味噌が目的なんです」
話しながら冷蔵庫の扉を開いた。中にはプラスチック容器が並んでいて、『九州・麦味噌』やら『京都・白みそ』やら『名古屋・八丁味噌』などと書かれたラベルが貼ってある。
「今回の金沢も加賀味噌が欲しくて行ったんです」
「…………」
「だから、一人で行くほうが気が楽というより、一人で行きたいんです。お店の人に話を聞くのも好きだし、ゆっくり選びたいし、味噌が堪能できる食事をしたいし。同行者を待たせるのも嫌だし、同行者の行きたいところにつきあって、時間が減るのも嫌だし。気が済むまで追求したいので」
「……なるほど」
「すぐに用意しますので、少し待っていてください」
「歯ブラシとかタオルとかは、うちのを使ってくれていいから」
「あ、はい。ありがとうございます」
旅行用鞄を取り出し、服や下着を詰める。フランソワーズの世話は明後日からなので、スマートフォンの充電器やパソコンはやめておく。生活に必要なものの多くは借りるとなると、案外用意するものは少なかった。
沙也が旅行鞄を祐司郎に渡すと、交換とばかりに合い鍵を差し出された。
「これは客間に置いておくから」
「わかりました」
「ホント、悪いね。帰ってきたら礼をする。じゃあ、俺はこれで。いろいろありがとう」
「こちらこそ」
祐司郎は軽く手を挙げ、帰っていった。
扉が閉まると、ほっと深呼吸する。すると力が抜け、沙也は床に座り込んだ。
脳裏に緑色のイグアナの姿が蘇る。あれと一週間過ごすのだ。
「イグアナ……マジで?」
そんな言葉が口を衝いて出てきたのだった。
「……ここ?」
「ああ」
「こんなトコに住んでるんですか?」
頭の中で、自社にて入社五年の給料を弾くが、とてもこんなところに住めるはずがない。いかに黒崎がトップクラスの営業だったとしても。AMP社は販売力も強みである一流アパレル会社ではあるが、所詮はメーカーなのだ。こんな高級高層マンションに住めるほど給料はバカ高くない。
(それとも、私が知らないだけで、トップクラスの営業パーソンは破格の営業手当がもらえるってこと?)
頭の中をグルグルさせながらついていく。
エントランスホールは広いし天井高いし。コンシェルジュカウンターなんかあるし、会釈しているし。
「相続対策でワンフロアまるっと親が買って、贈与で俺のものになったけど、それはあくまで名義上。でも、貸すか住むかで迷って、会社に近いから住むことにしたんだ。俺の手柄じゃないから、自慢できる話じゃない」
エレベーターに乗ると、呆然となっている沙也に向けて黒崎が説明する。
(でもそれって、黒崎さんがお金持ちのおぼっちゃんってことじゃない? ん? え?)
沙也の目がこれでもかというほど大きくなった。
「ワンフロア?」
「ああ。四軒ね。他の三軒は貸してるよ」
「…………」
この高級マンションを四軒分買ってしまうとは!
「こういう話をすると、口では平静を装っていても、目が輝く子が多くてさ。だから誰も部屋には呼ばないんだ。この件、申し訳ないけど、内緒にしてほしい」
「言いませんよ、プライバシーに関わることなんて。それに、黒崎さんの部屋に行ったなんて知れたら、私、会社の女性たちに総スカン食らいます」
「そんなことないだろ」
「ありますよ」
そんな会話を交わしている間に到着し、黒崎が玄関扉をあけて沙也を中に招き入れた。
(すご……ひろっ!)
家族向けなので部屋数もある。ワンルームマンションに住んでいる沙也には考えられない広さだ。
(同じ一人暮らしとは思えない……)
また呆然となり、無言でついていく。そしてリビングに入って、固まった。
「紹介するよ、フランソワーズだ。妹のペットなんだけどさ」
「…………」
「俺も最初見た時は驚いたけど、おとなしいし、慣れたらそれなりにかわいい」
「…………」
大型のカウチソファの上に、一メートルくらいの全身鮮やかな緑色の生物がドンといる。
「草食だから、虫とかネズミとかやる必要ないし」
「…………」
「妹から教わったんだけど、頭とか背中とかにあるたてがみみたいなヤツをクレストっていって、顎のたるみはデューラップっていうんだってさ」
「…………」
「神南さん?」
「……トカ、ゲ?」
「イグアナ。同じ爬虫類だけど、トカゲはトカゲ亜目で、イグアナはイグアナ科だから別種類。フランソワーズはグリーンイグアナなんだ」
「…………」
グリーンイグアナだそうだ。
沙也は言葉を失い、ただただドンと構えているグリーンイグアナを見つめた。
「餌は、イグアナ専用のもあるんだけど、一週間程度なら葉物野菜でいいから、パセリ、白菜、ホウレンソウ、カブの葉っぱ、大根の葉っぱ、もやし、なんかをあげてほしい。かかった費用は後で精算するよ」
「…………」
「爬虫類って色を判別できるから、餌はカラフルにしてほしい。その方が食欲が出るんだ。あと、丸呑みするから、適度に千切ってやってよ。回数は朝と夜の二回。まぁ、昼間は仕事だからおのずと二回になるんだけど」
「…………」
「あとは……あ、そうだ、水浴び。イグアナは水浴びが大好きなんだ。できたら一回か二回、背中にシャワーをかけてやってほしいけど、無理はしなくていいよ。あんまり触りたくなさそうだし。もし、くさかったら、このペット専用の消臭剤を部屋に撒いてくれたらいいから」
「…………」
「神南さん? 神南さん、大丈夫? イグアナ、無理っぽい?」
沙也の脳裏に、一瞬断ろうかという迷いが生じたが、そうなると黒崎はかなり困るだろう。一度はいいと言ったのだから、逃げるのはどうかと思う。おとなしいというのだから、餌さえやって、糞の処理をすれば、とりあえずいいわけだし。
「あ、えと、いえ、大丈夫、です。私、動物は基本好きなんで。うん、ワニ園にも行ったことあるし」
「ワニとはかなり違うよ。イグアナは相当おとなしいから」
「……そうですか」
「それで、どうする? 連れて帰る?」
そうだった、と沙也はここに来た理由を思いだした。そして今まで以上にフランソワーズをじっと見つめる。
(これを、うちに? 無理無理無理……でも……)
とはいえ、沙也は門前仲町に住んでいるので、ここ豊洲に寄ることに時間的ロスはそうないのだが、それでも朝と晩、毎日通うのは大変だ。かといって、黒崎の家に留守とはいえ寝泊まりするのも気が進まない。
(うー、どうする)
頭の中でいろいろ考えるが、黒崎が言うように、ここに泊まるのが一番楽な気がしてくる。
「これから家まで送るけど、必要なものを渡してくれたら、部屋に置いておくよ。フランソワーズを運ぶよりいいと思うんだけど」
確かにそうだ。どう考えても、この緑色の塊を家に連れて帰って、狭いワンルームで同居するのはいただけない。人の家でも滞在期間は一週間で、ホテルなみにすばらしいこのマンションのこの部屋なら、かなり快適に過ごせるだろう。
唯一気にかかるのは、ここが黒崎という男性の部屋であることだが、本人は出張でいなくて、一緒に過ごす時間がないのだから気を遣うことはない。会社の者にバレさえしなければ問題はない。
「……じゃあ、申し訳ないですが、滞在させてもらいます」
「そんなに恐縮しなくていいよ。つか、恐縮なのはこっちだし。じゃあ、今から送るから」
「はい」
取って返して部屋から出て、地下駐車場に向かう。そして沙也の部屋の近くのコインパーキングに車を止めて部屋に帰ってきた。
「狭いんで申し訳ないけど、どうぞ」
週末は金沢旅行だったので、出かけにしっかり掃除をしておいたのがよかった。だが、それでも、部屋の中を見たら黒崎は驚くことだろう。そう思っていたら、案の定、目を丸くしている。ロフトベッドの下に小型の冷蔵庫を四台並べて置いているのだから。
「冷蔵庫ばっかり、どうしてこんなに?」
「えーっと、やっぱり驚きますよね。私、お味噌が大好きで、買ったり作ったりしているんです」
「味噌?」
「ええ、お味噌。よく旅行に行ってるのも、その地方のお味噌が目的なんです」
話しながら冷蔵庫の扉を開いた。中にはプラスチック容器が並んでいて、『九州・麦味噌』やら『京都・白みそ』やら『名古屋・八丁味噌』などと書かれたラベルが貼ってある。
「今回の金沢も加賀味噌が欲しくて行ったんです」
「…………」
「だから、一人で行くほうが気が楽というより、一人で行きたいんです。お店の人に話を聞くのも好きだし、ゆっくり選びたいし、味噌が堪能できる食事をしたいし。同行者を待たせるのも嫌だし、同行者の行きたいところにつきあって、時間が減るのも嫌だし。気が済むまで追求したいので」
「……なるほど」
「すぐに用意しますので、少し待っていてください」
「歯ブラシとかタオルとかは、うちのを使ってくれていいから」
「あ、はい。ありがとうございます」
旅行用鞄を取り出し、服や下着を詰める。フランソワーズの世話は明後日からなので、スマートフォンの充電器やパソコンはやめておく。生活に必要なものの多くは借りるとなると、案外用意するものは少なかった。
沙也が旅行鞄を祐司郎に渡すと、交換とばかりに合い鍵を差し出された。
「これは客間に置いておくから」
「わかりました」
「ホント、悪いね。帰ってきたら礼をする。じゃあ、俺はこれで。いろいろありがとう」
「こちらこそ」
祐司郎は軽く手を挙げ、帰っていった。
扉が閉まると、ほっと深呼吸する。すると力が抜け、沙也は床に座り込んだ。
脳裏に緑色のイグアナの姿が蘇る。あれと一週間過ごすのだ。
「イグアナ……マジで?」
そんな言葉が口を衝いて出てきたのだった。