モテ男子はミソ・ラブ女子に陥落する

三 過大評価

 食事に誘って断られた。祐司郎にとっては驚くべき事実だ。なぜなら、どのような理由があろうとも、人生においての初黒星だったからだ。

 どれほど考えても、なぜ断られたのか、まったくわからない。カレシがいないなら、なんら問題などないではないか。

 と同時に、なんだか悔しさというか、納得できないというか、釈然としないというか、フツフツとよくわからないものが込み上げてくる。

 祐司郎にとって高嶺の花ならやむないけれど、沙也は地味を売りにしているのではないかと思うほどの地味ぶりだ。もっと喜んでくれてもいいのではないか、と思うのだ。

(いや、こんなこと考えたらいけないんだろうが……)

 俺に誘われたんだぞ、光栄に思え――とまではさすがに思わないけれど、もうちょっとうれしそうな顔くらいしてもいいのに――とは思ってしまう。が、では腹が立って仕方がないのかと問われたら、それが不思議と怒りは感じないのだ。むしろその逆で、気持ちは沈んでいく。

 祐司郎は駐車場に車を止め、部屋に帰ってきて、いまだカウチソファに乗っかっているフランソワーズの前にドカリと座り込んだ。

「お前、神南さんと五日間過ごしたんだよな」

 フランソワーズはメスだ。妬く相手でもない。しかもグリーンイグアナだ。くどいが、妬く相手ではない。

「彼女は――」

 そこまで言って、はっと息を吞んだ。そして勢いよく立ち上がる。急いで向かったのはキッチンだ。冷蔵庫の扉を開けると、少しだが食材が入っている。一週間と言ったので、明日以降の食材を用意していたのだろう。野菜ボックスにもフランソワーズ用のものと、茄やトマトのような人間用の物があった。

 脳裏にさっき食べた食事内容が蘇る。具沢だくさんの味噌汁は本当においしかった。そしてこのモヤモヤの正体に思い至った。

(これだ。いろんな女とつきあったけど、奢るばっかりで、メシとか作ってもらったことなかったな)

 部屋に入れたら面倒くさいことになるので避けていたし、女の部屋に行くのも食事後か、ケータリングだった。料理をして祐司郎の傍から離れるのを嫌がったからだ。だが、言い換えれば、それだけ祐司郎に好かれようとしていたわけで。

 沙也には断られた。

「あ」

 打ち合わせと称して出向いた店では、高い店では自分の分を支払うのがツラいと断ってきたことを思いだす。祐司郎に奢られる気はなかったのだ。祐司郎はそういう相手に出会ったことがなかったので、改めて驚いた。

 好かれていないなら、わざわざ追いかける必要はない。そう思うのに、気になって仕方がない。
 祐司郎はかぶりを振った。いつまでも考えていたって仕方がない。
 フランソワーズがじっと祐司郎の顔を、見つめている。感情は読めない。

 RRRRRRRR……

 スマートフォンが鳴った。相手の名前が表示されている。AMP社の顧客で、会社経営をしている啓子だ。祐司郎より一歳年上の二十七歳だが、起業してそこそこ成功している。外見はきゃぴっとしているが、社長をやっているだけあって、なかなか侮れないしっかりした女だ。

「もしもし」
『まだ上海?』
「いや、帰ってきた」
『ホント!? じゃあ、今夜どう?』

 腕時計を見ると四時だ。少々ためらわれる。

「いいけど……。でも、今さっき食べたばかりだから、八時とか九時がいいなぁ」

 電話の向こうで、えーー、という非難の色が強い声があがる。

「仕方ないだろ? 腹、膨れてるんだから」
『一緒に過ごす時間が減るじゃないのー』
「だったら別の日にする?」
『うぅん、行く! 八時に銀座で』
「三丁目の交差点?」
『そうそう。じゃあ、またあとで』

 そうだ、誘いにOKしただけでもこんな風に喜ぶはずなのだ。祐司郎から誘ったというのに、沙也は断った。

(うーーん)

 ただただ悩む。とはいえ、一人悩んだところで、なにかを得られるわけでもない。沙也に頼んだフランソワーズの世話はもう終わった。精算も済んだ。これから沙也と関わることはない。

 祐司郎はソファのベッド部分にごろりと寝そべった。

 白い天井を眺めつつ、ぼんやりしているうちに意識が途切れ、次に気がついた時はすでに七時半を回っていた。

「ヤべ、急がないと」

 ここから銀座まではそう遠くない。バスで二十分くらいだ。少し遅れるかな、程度だろう。
 ラインで十分ほど遅れる旨を知らせて、祐司郎は家を出た。
 そして待ち合わせの場所に着くと、啓子の姿はなかった。

(アイツ、やっぱ遅れやがる。連絡しなきゃよかった)

 啓子と待ち合わせをして、彼女が時間通り来たためしがないのだ。必ず五分くらい遅れて来るのだ。そして。

「祐司郎」

 と、声がかかった。振り返ると啓子が笑みをたたえて立っている。念のため、時計を見ると七時十五分。しっかり五分待たされた。

 誰もが認める美人の啓子は、モデル張りに整った顔と豊かなバスト、そしてくびれたウエストでスタイルもいい。仕事も頑張っているが、自らを磨き上げることにも余念がない。実際、すれ違う男たちは、しっかりでもチラリでも、ほとんど視界に入れているのがわかる。

 とはいえ、それは祐司郎も同じで、甘いマスクに長身、細マッチョの彼は女たちの視線を集めている。つまりは美男美女なので実に絵になる。

「十五分も遅刻だろ」
「えー、五分じゃない。祐司郎と会うから気合い入れてたら時間かかって」

 これも毎度のセリフだ。まあ、本当のことなのだろう。ブランドで固め、ばっちりのメイクがそれを示している。

「それより祐司郎、行きたいお店があるんだけど、いいよね?」

 語尾は疑問形だが、足が早くも動いている。いつも店を決めるのは啓子だから、おそらくすでに予約済みなのだろう。

 ついていくと、いかにも高そうなフランス料理の店だった。

 テーブルに案内されると、啓子がワインを注文している。そんな姿を眺めながら、祐司郎はなんだか気が乗らない自分に戸惑っていた。

(啓子とはけっこう気が合って、楽しいはずなのに)

 フレンチも高いワインも、心に響かないから不思議だ。

 とはいえ、コース料理が運ばれてきて、舌鼓を打ち始めたら、そんな考えは消えていった。

 約二時間、それなりに楽しかった。しかしながら、上海から帰ったばかりだし、明日からはその結果報告を明治にしないといけないので忙しい。さらに、現在関わっている新作発表プロジェクトも佳境になるので啓子には事情を話し、残念がる彼女を置いて帰宅することにした。

 カウチソファにはまだフランソワーズが乗っている。祐司郎はフランソワーズの横に腰を下ろした。と、同時にスマートフォンからラインの着信音がした。

(春香か)

 食事のお誘いだ。いや、春香だけではなく、複数人の女からそれぞれ誘いのメッセージが入っている。

 みな祐司郎とデートしたいと押し押しの内容だ。それらを読んでいるうちは気分が高揚してご機嫌になったが、さて、いつ誰とどこへ行こうかと思ったあたりから、なんだか急に気持ちが下がり始めた。

(?)

 よくわからず首を傾げる。ふと、フランソワーズと目が合った。

「なんだ?」

 フランソワーズのしっぽが揺れている。一見、祐司郎の言葉に反応しているように思えるが、さすがにそれはない。イグアナはけっこう賢いので、飼い主の顔や自分の名前を覚えるし、慣れたら呼ぶと近寄ってきたりもするが、それは犬や猫のような懐きではなく、覚えて慣れた存在だというだけのことだ。今も単純に本人の気持ちでしっぽが揺れているだけなのだが、祐司郎的には返事をしてくれているように思いたいところだった。

(なんで気が乗らないのか不思議だ。あー、疲れてんだろうな、やっぱ。急な出張だし、明治部長直々のご指名で気合い入ってたし、実際にこれを成功させたらポイント高いし。早く寝よう。明日も忙しい。いや、明日から今まで以上に忙しくなる)

 そう思い、祐司郎はシャワーを浴びて寝ることにした。

 出張から疲れて帰ってきて、アルコールが入った体は、横になるとすぐに眠りに落ちたのだった。

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