モテ男子はミソ・ラブ女子に陥落する

四 過小評価

 沙也は水曜が嫌いだった。理由は、週のど真ん中、週末を望むには早すぎる。だが月曜火曜頑張ったおかげで疲労はあって休みたいと思うからである。もっと疲れている木曜は、明日金曜! と思うと頑張れるからだ。

 元の生活に戻って三日。水曜の今日はテンションが低い。だが、そんな水曜の労働を終え、沙也は帰宅した。

(ん?)

 沙也の部屋の扉にもたれかかってスマートフォンを操作している男がいる。身長は一七五センチくらい。パーカーにジーンズ。

勇仁(ゆうじん)?」
「あ、帰ってきた。やっほー」

 能天気な挨拶をしたのは三歳年下のいとこ、神南勇仁だ。

「母さんがこれ持ってけってさ」

 勇仁は左手に持っている手提げ服を胸の高さまで上げた。

「ありがとう。入って」

 鍵をあけて中に招き入れる。部屋に入ると、勇仁は勝手に冷蔵庫の扉を開いて、中に入っている味噌のパックを手に取った。

「相変わらずだね」
「人生を謳歌してるのよ。あ、茶麻呂屋の抹茶プリン! これ大好きなの。おばさん、京都に行ってたんだ」
「うん。三泊四日で。優雅なもんだよ。でも沙也ちゃんだって旅行三昧じゃん」
「私のは旅行とは言わないと思うけど」

 お土産の抹茶プリンを通常の冷蔵庫に仕舞い、沙也はローテーブルに戻ってきた。

「コーヒーにする? ご飯食べてくの?」
「両方希望。けど、腹ペコだから、沙也ちゃんが作ってるの待ってられない。デリバリーにしてよ」
「レトルトのパスタなら、茹でるだけだけど。早ゆでパスタだし」
「おー、ならそれでいい」

 レトルトをレンジに入れて温めている間に、早ゆでパスタ麺を茹でる。五分程度で夕食が完成した。それを食べながら、沙也は数日間世話をしたフランソワーズの話をした。

 イグアナと聞いて最初は興味ありげに聞いていた勇仁だったが、だんだん無口になって、最後には沙也の言葉を遮ってしまった。

「沙也ちゃんさ、無人とはいえ、カレシでもない男に部屋に泊まるってヤバくない?」
「!」

 鋭くツッコまれ、沙也は食べていたパスタで喉が詰まりそうになった。ゲホゲホゲとむせる。

「まぁ、それは……そう、かも……。でも仕方なかったのよ」
「仕方ないで済むことなの?」
「うーー」
「ソイツ、ホントは沙也ちゃんのことが好きなんじゃない?」
「それはない」
「わかるもんか」
「だって向こうはお金持ちの家柄で、見た目もめちゃくちゃいいイケメンで、営業成績もトップクラスで、社内外の女にモテモテのスパダリなのよ? 地味で平凡な私なんか好きになるわけないじゃない」
「そんなにモテモテなら、地味で平凡な沙也ちゃんにわざわざ頼まなくてもいーじゃん。そのイグアナの世話」
「地味で平凡って言うな!」
「自分で言ったんだろ」
「うーー」

 勇仁の容赦ない切り返しに沙也が唸るしかできない。

「派手なヤツほど地味が好きだったりするよ」
「……美人でゴージャスな女しかチャンスはないって噂だけどね」
「交際相手と結婚相手は違うとも言うよ」
「……アプローチもされてないのよ? 話、飛躍しすぎ」

 すると勇仁が「はあ」と言って大きく息を吐き出した。

「沙也ちゃんが味噌ヲタを自覚してて、趣味追求を理由に男を遠ざけているのはわかるけど、ちょっと過小評価しすぎだと思うけどな」
「え」
「薄化粧で服が地味なだけで、別に不細工でもないし。人は顔じゃないけどさ」
「でも、かわいくもないから」
「モテたいわけ?」
「……それはない」
「そんなにモテるヤツだったら、自分から行かなくても寄ってくるだろうから、寄ってこない沙也ちゃんは見てるだけだったのかもしれない。接点がないから、ペットを理由に近づいたのかもしれないよ?」

 沙也は腕を組み、「うーん」と唸った。

「沙也ちゃん、真面目で一生懸命なタイプだから、見る人が見たら魅力的だと思うんだ。ソイツが自分のスペックに慢心して見た目だけの女を追いかけるタイプなんだったら、沙也ちゃんが言う通りかもしれないけど、ちゃんと人を見るヤツなら、ペットを口実にしたんだと思うけど」
「…………」

 黙り込む沙也の顔がほんのり赤くなっている。そんな沙也の額を、勇仁がいきなりペシリと叩いた。

「いった! なにするのよ」
「ソイツのこと想像してヘンなこと考えてるからだろ」
「なっ、なっ! ヘンなことって!」
「やめとけよ、そういうモテるヤツは」
「わかってるって! あんたね、人をバカにするのも大概にしなさいよ!」
「誰だって自分はかわいいよ。いつか自分もヒーローヒロインになりたい、なれるんじゃって思いがちだけど、なれるヤツは選ばれた一握りだ。沙也ちゃんがソイツのことをイケメンのスパダリだって本気で思ってるなら、ヘタな期待はしないほうがいい」
「わかってるって言ってるじゃないの。期待なんかしてないわよ」
「頭のどこかで、ペットの世話を頼んでくるんだから脈があるんじゃって思ってないか?」
「思ってないって!」

 勇仁が肩をすくめた。

「だったらいいけど」
「私は味噌愛に生きるのよ。カレシはいらないし、スパダリに恋するほど乙女でも身の程知らずでもない。つーか、そういうアンタはどうなのよ。カノジョいないんでしょ? 目当てもないの?」
「目当てねぇ。いなくはないけど、恋愛に興味ないみたい」
「あら、そう」
「趣味に勤しみたいみたいだ」
「あらら、だったらその趣味を介して距離縮めたら?」
「沙也ちゃんにアドバイスされたくないね」
「なにーー!」

 勇仁がふっと立ち上がった。

「俺も沙也ちゃんと同じで、結婚願望ないし。それにまだまだ当分学生だからさ。帰るよ」
「あ、うん、気をつけて」
「おう」

 勇仁は軽く手を挙げ、にこっと笑って帰っていった。背を向けた際に彼が呟いた「鈍感」という言葉は、沙也には聞こえなかった。

「まったく。私はそんな自惚れ屋じゃないわよ」

 ぼやいてみるものの、まさかもしや、と少し考えたことは事実だ。だが、本人が言っていた、

――プライベートなことを頼むって、ほら、いろいろリスクがあるだろ?

 リスクと言われ、期待をいだかせるからってことかと尋ねたら、明言は避けたがうなずいていた。それは言い換えれば、沙也なら期待しないから頼みたい、ということだ。つまりはそれが真実なのだ。

――沙也ちゃんが味噌ヲタを自覚してて、趣味追求を理由に男を遠ざけているのはわかるけど、ちょっと過小評価しすぎだと思うけどな。

(過小評価、か)

 いとこだから身内びいきで言ってくれているのだ。男性に好かれるようなタイプではないことくらいわかっている。と同時に、今の時代に『〇〇らしい』なんて考える必要はないのだ。あるのは唯一『自分らしく』だ。

(私らしく生きたらいいのよ)

 沙也は食べ終わった皿とフォーク、そしてマグカップをシンクに運び、洗い始める。目は食器を捉えているものの、意識は黒崎の甘いマスクと、連れていってもらった割烹の風景に向いている。

 黒崎というイケメンにも確かに憧れはあるが、それよりも誰かと、いや交際相手と二人で出かけることに楽しさ、というものに気持ちが取られていた。

(一人は楽なのよ。それは確か。でもきっと、カレシと二人で出かける楽しさは、当たり前だけど一人じゃ体感できない)

 沙也とて友達はいる。会社の同期もそうだし、大学の同僚もそうだ。だが、異性の友達はいない。父親と出かけることはほぼないし、沙也は一人っ子だ。唯一、いとこの勇仁とは、たまに食事に行くくらいで、それはデートではない。

(うーーん、なんだかなぁ。自分の毎日は充実してると思っていたけど、存外そうでもないのかなぁ)

 四台並んだ味噌専用冷蔵庫をぼんやりと眺める沙也だった。

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