悪役令嬢の心は僕だけのもの
「いってきまーす」
一日の始まりはこの言葉から始まる。
家を出てしまえば、僕が誰かと話すことなんてない。
え? 学校に友だちぐらいいるだろうって?
そんな存在は僕にいるわけがない。
高校の校門をひとりで通り続けてもう二年になる。別にそれが嫌いなわけではないし、むしろめんどくさい人間関係は避けたいと思ってる。
教室の一番後ろが僕の特等席。
窓から眺めるのは、友どちと仲良く登校する生徒たちの姿。
毎日かかさず見るのが日課で、今日もいつものように外を眺めていた。
「人との付き合いなんて、本当に好きな人とだけでいいのに」
あっ、やっと来たんだね。
それにしても、毎回すごい人気だよね。
僕の瞳が捉えているのは、ひとりの少女を取り囲む男たちの集団。見慣れているその光景に、今は驚くどころか日常風景として安心感を覚えていた。
少女の名は舞星きらら。
舞星グループの社長令嬢で、黒くて長い艶やかな髪が彼女を美しく見せる。
地獄に咲いた一輪の華──。
取り囲む男子は、蜜を欲しがり群がる虫たちのよう。
だけど舞星さんにとっては、彼らはただの道具にすぎない。
だって彼女は──。
「どうやら、またひとり捨てられたみたいだね。今年に入って何人目だろ? 僕が見ただけでも、二桁はいってるんじゃないかな」
『捨てられた』とは言っても、彼女は囲いの男たちと付き合ってるわけではない。美しい華に惹かれた男たちが、勝手にまとわりついているだけ。
彼女からすれば、使いやすい道具をそばに置いているとしか思っていない。
道具が使えなくなったら、なんの躊躇なくゴミのように捨てるのが彼女の性格なのだ。
そう、彼女は絶世の美女でありながら、性格は史上最悪なんだから。
「みなさま、おはようございます。いらなくなった道具を処分したので、新しい道具を補充したいの。そうねぇ、あまり顔は良くないけど、及第点のキミが今から私の囲いとなりなさい」
これも日常風景のひとつ。
男を捨てるとすぐに代わりの男を補充する。
立候補したい人は多いけど、それは彼女の意思に反するので、指名されるのを待つだけ。
指名された男子は、顔を赤く染めながら彼女に忠誠を誓う。
これも代わり映えのない日常のひとコマ。
だけど、彼女の神聖な体に触れることは、誰ひとり許されていない。ううん、厳密に言えばそれは違うかな。
彼女の体に触れていいのは──この世界にたったひとりだけいる。十分な権力を持っている彼女なら、常にそのひとりをそばに置くことも出来る。
が、それを敢えてしないのは彼女なりの理由がある。
彼女は自分の弱みを他人に見せたくないのだ。
「俺を選んでいただき、光栄の極みでございます」
「アナタの役目は、わたくしの荷物持ちよ。丁寧にあつかってくださいまし? このカバンひとつで、アナタごときの人生なら100回分に相当するのですから」
絶世の美女であり最悪の性格の持ち主だけど、僕は彼女に嫌悪感を抱いたことはない。ううん、学校では接点がまるでないから、気になったことがないと言った方が正しいかもしれない。
彼女とは学校では同じクラスだけど──。
目を合わせたことなどない。
それどころか、彼女の近くに行ったことすらないんだ。
それが学校での僕と彼女距離感だったのに──。
「おーい、みんな席に着けー。今日は席替えをしたい気分だから、席替えをするぞー」
HRで担任から放たれたのは、クラスをザワめつかせる魔法の言葉。
その理由は誰にでもわかる。
彼女の席の隣に座りたい。それが男子たちが心から願っているからだ。
欲望というオーラが教室内に充満し、男子たちは祈りを捧げながらくじ引きを引いていく。自分が引いた席の近くに彼女が来たなら、きっと勝利の雄叫びを上げるであろう。
ひとり、またひとりとクジを引いていき、次は彼女の番となった。クラスの男子たちが注目する中、彼女が引いた席は──。
「あら、一番後ろの窓際ですわね。まっ、いいですわ、今回はここで妥協してあげます」
『今回は』──過去に席が気に入らないと言って、何度もやり直しをさせていた。彼女に逆らうのは、社会的にも抹殺されるのと同じで、教師たちでさえも逆らえなかった。
今回の席替えは平和に終わりそうかな。
彼女の近くとなると前と右隣のふたつだけ。
今の時点では、その席を獲得できた生徒はまだいない。
異様な盛り上がりを見せる中、男たちがクジを引く度に断末魔を上げ床に沈んでいく。気がつけば──次は僕がクジを引く番になっていた。
「席なんてどこでもいいんだけどなぁ。学校では静かに過ごしていたいし」
恐らく、クラスで唯一僕だけが、この席替えに盛り上がっていない。みんなの視線が集まる中、僕は運命のクジを何気なく引くと──。
……どうしてこの場所になったんだろ。
クラスの男子からの視線が痛いし、これじゃゆっくり出来ないじゃないか。
僕がクジに選ばれた席は──彼女の右隣だった。
挨拶することなく静かに座り、僕は一限目の準備を始める。
もちろん、彼女の視線は外を向いていて、僕を一度も見ようとはしなかった。
「席替え前より悪化した気がするけど……諦めるしかないのかな」
この日は僕にとって地獄のような時間だった。
無言の圧力が襲いかかり、先生の話になんて集中できない。
休み時間は席を立ち、庭で時間を潰すしかなかった。
だってそうしないと──彼女の周囲は囲いの男たちで溢れかえり、僕の居場所がないも同然だっから……。
「──はぁ、しばらくはこんな生活が続くんだろうなぁ」
ひとり深いため息を吐くと、次の授業が始まる前に自分のクラスへ戻っていく。長い一日は始まったばかりだけど、僕の心はすでに帰りたがっていた。
「今日はついていなぁ。まさか放課後に先生から雑務を頼まれるだなんて」
地獄からようやく解放され、僕は帰り道をひとり歩き続ける。やっと訪れた心の開放感から、僕の顔に笑顔が戻り始め家のトビラゆっくり開ける。
「ただいまー」
ひとり暮らしのアパートで、その呼び掛けに答えるものなど──。
「おかえりなさい、琥珀、遅かったわね。まさか、わたくしというものがありながら、浮気なんてしてたんじゃないでしょうね?」
「僕がそんなことするわけないじゃないか、きらら」
「そ、それくらい知ってますわよっ。ただ、帰りが遅いから心配しただけ、なんだから」
「それより、席のことなだけど──」
「せ、席? え、えっと、そのことは中で話しましょうよ。他の人に見られると、わたくし恥ずかしすぎて……」
僕を迎えてくれたのはきらら。
あの舞星きらら本人なのだ。
実を言うと、僕ときららは付き合い始めて二年になる。
きららとの出会いはごく普通だった。道に迷って泣きそうになったのを助けただけ。名乗りもせずその場から立ち去ったんだけど、数日後にきららは僕を見つけ出し、こう言ったんだ。
「どうして、わたくしの前から突然いなくなったのです。普通なら、この絶世の美女たるわたくしに、言い寄るところでしょ」
「そう言われましても、セールの時間が差し迫っていたので」
「わ、わたくしとセールの時間、どっちが大切なのよっ」
「んー、セールの時間かなぁ。それに、舞星さんは確かにお綺麗ですけど、もっと素直になった方が可愛いですよ? それでは失礼しますね」
このあとからだった……きららが「今日から一緒に暮らしますからねっ」と僕のアパートに押しかけてきたのは。
最初は追い出そうとしたんだけど、きららの押しの強さに負けて同棲することになった。もちろん、その理由を聞いたんだけど、そしたらきららが真っ赤な顔をして──。
「あ、あの、わたくし、アナタのようなタイプ初めてだったの。別に男なんてゴミ当然の存在よ? でもね、でも……アナタと出会ったとき全身に電流が走ったの。だから、その……お願い、わたくしとお付き合いしてくださいっ」
僕にとって初めての告白だった。
嬉しいというより、戸惑いの色が強かったかな。
だけど、必死なきららを見て僕はその想いに応えたんだ。
「うん、わかりました。だから、顔をあげてください、えっと──」
「きらら……舞星きららと言います。不束者ですが、これからよろしくお願いしますわ」
「不束者ですって……。そんな大袈裟にしなくても。って、僕は琥珀、四乃宮琥珀って言います、こちらこそよろしくね?」
これがすべての始まりだった。
その後、きららは僕を追いかけるように転校してきたんだけど、人前でイチャつくのは恥ずかしいらしく、学校では他人のフリをしよって、お互い話し合って決めたんだ。
「琥珀、わたくしの顔、変じゃなかった? だって、席が琥珀の隣で、わたくし嬉しすぎて顔がニヤけてしまいましたのよ?」
「落ち着いてよ、きらら。大丈夫、きららはずっと外を見ていたし、誰も気づいてないから、安心していいよ」
「ホント? 本当にそうだったのよね? もしウソだったら──琥珀に抱きついてあげませんわよ」
「それって、きららの方がダメージ大きいと思うけど……」
「はうっ!? や、やっぱりそれはなし。琥珀はわたくしだけのもの、なんだから。他の男なんてただの道具にすぎないのよ」
僕ときららの秘密の恋。
あれから二年経つけど、誰にも知られてないし、熱は冷めるどころか熱さが増していった。
学校で友だちなんていなくてもいい、だって僕には──きららだけがいればいいのだから。
一日の始まりはこの言葉から始まる。
家を出てしまえば、僕が誰かと話すことなんてない。
え? 学校に友だちぐらいいるだろうって?
そんな存在は僕にいるわけがない。
高校の校門をひとりで通り続けてもう二年になる。別にそれが嫌いなわけではないし、むしろめんどくさい人間関係は避けたいと思ってる。
教室の一番後ろが僕の特等席。
窓から眺めるのは、友どちと仲良く登校する生徒たちの姿。
毎日かかさず見るのが日課で、今日もいつものように外を眺めていた。
「人との付き合いなんて、本当に好きな人とだけでいいのに」
あっ、やっと来たんだね。
それにしても、毎回すごい人気だよね。
僕の瞳が捉えているのは、ひとりの少女を取り囲む男たちの集団。見慣れているその光景に、今は驚くどころか日常風景として安心感を覚えていた。
少女の名は舞星きらら。
舞星グループの社長令嬢で、黒くて長い艶やかな髪が彼女を美しく見せる。
地獄に咲いた一輪の華──。
取り囲む男子は、蜜を欲しがり群がる虫たちのよう。
だけど舞星さんにとっては、彼らはただの道具にすぎない。
だって彼女は──。
「どうやら、またひとり捨てられたみたいだね。今年に入って何人目だろ? 僕が見ただけでも、二桁はいってるんじゃないかな」
『捨てられた』とは言っても、彼女は囲いの男たちと付き合ってるわけではない。美しい華に惹かれた男たちが、勝手にまとわりついているだけ。
彼女からすれば、使いやすい道具をそばに置いているとしか思っていない。
道具が使えなくなったら、なんの躊躇なくゴミのように捨てるのが彼女の性格なのだ。
そう、彼女は絶世の美女でありながら、性格は史上最悪なんだから。
「みなさま、おはようございます。いらなくなった道具を処分したので、新しい道具を補充したいの。そうねぇ、あまり顔は良くないけど、及第点のキミが今から私の囲いとなりなさい」
これも日常風景のひとつ。
男を捨てるとすぐに代わりの男を補充する。
立候補したい人は多いけど、それは彼女の意思に反するので、指名されるのを待つだけ。
指名された男子は、顔を赤く染めながら彼女に忠誠を誓う。
これも代わり映えのない日常のひとコマ。
だけど、彼女の神聖な体に触れることは、誰ひとり許されていない。ううん、厳密に言えばそれは違うかな。
彼女の体に触れていいのは──この世界にたったひとりだけいる。十分な権力を持っている彼女なら、常にそのひとりをそばに置くことも出来る。
が、それを敢えてしないのは彼女なりの理由がある。
彼女は自分の弱みを他人に見せたくないのだ。
「俺を選んでいただき、光栄の極みでございます」
「アナタの役目は、わたくしの荷物持ちよ。丁寧にあつかってくださいまし? このカバンひとつで、アナタごときの人生なら100回分に相当するのですから」
絶世の美女であり最悪の性格の持ち主だけど、僕は彼女に嫌悪感を抱いたことはない。ううん、学校では接点がまるでないから、気になったことがないと言った方が正しいかもしれない。
彼女とは学校では同じクラスだけど──。
目を合わせたことなどない。
それどころか、彼女の近くに行ったことすらないんだ。
それが学校での僕と彼女距離感だったのに──。
「おーい、みんな席に着けー。今日は席替えをしたい気分だから、席替えをするぞー」
HRで担任から放たれたのは、クラスをザワめつかせる魔法の言葉。
その理由は誰にでもわかる。
彼女の席の隣に座りたい。それが男子たちが心から願っているからだ。
欲望というオーラが教室内に充満し、男子たちは祈りを捧げながらくじ引きを引いていく。自分が引いた席の近くに彼女が来たなら、きっと勝利の雄叫びを上げるであろう。
ひとり、またひとりとクジを引いていき、次は彼女の番となった。クラスの男子たちが注目する中、彼女が引いた席は──。
「あら、一番後ろの窓際ですわね。まっ、いいですわ、今回はここで妥協してあげます」
『今回は』──過去に席が気に入らないと言って、何度もやり直しをさせていた。彼女に逆らうのは、社会的にも抹殺されるのと同じで、教師たちでさえも逆らえなかった。
今回の席替えは平和に終わりそうかな。
彼女の近くとなると前と右隣のふたつだけ。
今の時点では、その席を獲得できた生徒はまだいない。
異様な盛り上がりを見せる中、男たちがクジを引く度に断末魔を上げ床に沈んでいく。気がつけば──次は僕がクジを引く番になっていた。
「席なんてどこでもいいんだけどなぁ。学校では静かに過ごしていたいし」
恐らく、クラスで唯一僕だけが、この席替えに盛り上がっていない。みんなの視線が集まる中、僕は運命のクジを何気なく引くと──。
……どうしてこの場所になったんだろ。
クラスの男子からの視線が痛いし、これじゃゆっくり出来ないじゃないか。
僕がクジに選ばれた席は──彼女の右隣だった。
挨拶することなく静かに座り、僕は一限目の準備を始める。
もちろん、彼女の視線は外を向いていて、僕を一度も見ようとはしなかった。
「席替え前より悪化した気がするけど……諦めるしかないのかな」
この日は僕にとって地獄のような時間だった。
無言の圧力が襲いかかり、先生の話になんて集中できない。
休み時間は席を立ち、庭で時間を潰すしかなかった。
だってそうしないと──彼女の周囲は囲いの男たちで溢れかえり、僕の居場所がないも同然だっから……。
「──はぁ、しばらくはこんな生活が続くんだろうなぁ」
ひとり深いため息を吐くと、次の授業が始まる前に自分のクラスへ戻っていく。長い一日は始まったばかりだけど、僕の心はすでに帰りたがっていた。
「今日はついていなぁ。まさか放課後に先生から雑務を頼まれるだなんて」
地獄からようやく解放され、僕は帰り道をひとり歩き続ける。やっと訪れた心の開放感から、僕の顔に笑顔が戻り始め家のトビラゆっくり開ける。
「ただいまー」
ひとり暮らしのアパートで、その呼び掛けに答えるものなど──。
「おかえりなさい、琥珀、遅かったわね。まさか、わたくしというものがありながら、浮気なんてしてたんじゃないでしょうね?」
「僕がそんなことするわけないじゃないか、きらら」
「そ、それくらい知ってますわよっ。ただ、帰りが遅いから心配しただけ、なんだから」
「それより、席のことなだけど──」
「せ、席? え、えっと、そのことは中で話しましょうよ。他の人に見られると、わたくし恥ずかしすぎて……」
僕を迎えてくれたのはきらら。
あの舞星きらら本人なのだ。
実を言うと、僕ときららは付き合い始めて二年になる。
きららとの出会いはごく普通だった。道に迷って泣きそうになったのを助けただけ。名乗りもせずその場から立ち去ったんだけど、数日後にきららは僕を見つけ出し、こう言ったんだ。
「どうして、わたくしの前から突然いなくなったのです。普通なら、この絶世の美女たるわたくしに、言い寄るところでしょ」
「そう言われましても、セールの時間が差し迫っていたので」
「わ、わたくしとセールの時間、どっちが大切なのよっ」
「んー、セールの時間かなぁ。それに、舞星さんは確かにお綺麗ですけど、もっと素直になった方が可愛いですよ? それでは失礼しますね」
このあとからだった……きららが「今日から一緒に暮らしますからねっ」と僕のアパートに押しかけてきたのは。
最初は追い出そうとしたんだけど、きららの押しの強さに負けて同棲することになった。もちろん、その理由を聞いたんだけど、そしたらきららが真っ赤な顔をして──。
「あ、あの、わたくし、アナタのようなタイプ初めてだったの。別に男なんてゴミ当然の存在よ? でもね、でも……アナタと出会ったとき全身に電流が走ったの。だから、その……お願い、わたくしとお付き合いしてくださいっ」
僕にとって初めての告白だった。
嬉しいというより、戸惑いの色が強かったかな。
だけど、必死なきららを見て僕はその想いに応えたんだ。
「うん、わかりました。だから、顔をあげてください、えっと──」
「きらら……舞星きららと言います。不束者ですが、これからよろしくお願いしますわ」
「不束者ですって……。そんな大袈裟にしなくても。って、僕は琥珀、四乃宮琥珀って言います、こちらこそよろしくね?」
これがすべての始まりだった。
その後、きららは僕を追いかけるように転校してきたんだけど、人前でイチャつくのは恥ずかしいらしく、学校では他人のフリをしよって、お互い話し合って決めたんだ。
「琥珀、わたくしの顔、変じゃなかった? だって、席が琥珀の隣で、わたくし嬉しすぎて顔がニヤけてしまいましたのよ?」
「落ち着いてよ、きらら。大丈夫、きららはずっと外を見ていたし、誰も気づいてないから、安心していいよ」
「ホント? 本当にそうだったのよね? もしウソだったら──琥珀に抱きついてあげませんわよ」
「それって、きららの方がダメージ大きいと思うけど……」
「はうっ!? や、やっぱりそれはなし。琥珀はわたくしだけのもの、なんだから。他の男なんてただの道具にすぎないのよ」
僕ときららの秘密の恋。
あれから二年経つけど、誰にも知られてないし、熱は冷めるどころか熱さが増していった。
学校で友だちなんていなくてもいい、だって僕には──きららだけがいればいいのだから。