仮面夫婦のはずが、怜悧な外科医は政略妻への独占愛を容赦しない


「岩鬼先生にはいつもお世話になっています。脳外の医局秘書をしてます、伊東です。ちょうどあなたに会いたいと思っていたところでした」
「こ、こちらこそ。お世話になっています」

 慌てて、頭を下げる。こんなふうに、大知の同僚に挨拶をしたことはなく、どこかぎこちない。でも、大知の恥をかかせるような真似だけはしてはいけないと、心の中で落ち着けと反芻した。

「岩鬼先生に連絡したらどうです?」
「いえ……でも、本当に大丈夫ですから」

 無駄な心配はかけたくない。いつものことだし、少しゆっくりしていれば治るはず。

「お忙しい方ですもんね。昨夜も徹夜あけにもかかわらず、急患のオペの執刀をされたみたいですよ。自ら志願されたとか」
「そう、だったんですね……」
「本当に熱心な方で、頭が下がります」
 
 そう話す彼女の目は、なぜか杏の頭のてっぺんから足先をなぞるように這っている。お世辞にも居心地の良い物とは言えない。むしろぞっとするような、嫌悪を孕んでいる気がした。女の勘のようなものが働く。

「そんな人間としても素晴らしい彼に選ばれて、あなたは幸せ者ですね。その席は私のものだと思ってたのに」

 その発言にドキッとする。

(もしかして、大知さんのこと……?)


< 130 / 161 >

この作品をシェア

pagetop