仮面夫婦のはずが、怜悧な外科医は政略妻への独占愛を容赦しない


 この日は、梅雨入り宣言が出されたばかりの六月上旬。杏は喘息もあるため気圧の変動にも弱く、吸入器が手放せない。無理はできない体だということは、杏も重々理解していた。

 だがこの時、杏は次々に訪れる来客に明を取られた気がして、寂しい思いをしていた。挨拶を交わし、酒を酌み交わす明は、杏の方を見る余裕はなさそうだった。

 会場内で大人の話を聞いていてもつまらなかった杏は、仕方なく中庭へと出る。

 雨がポツポツと降っているにもかかわらず、傘もささず当てもなく歩いていると、庭の中央の池に鯉がいるのを見つけた。杏は嬉しくなり、慣れない着物でそれに向かって足を急がせた。

「うわぁ、いっぱいいる」

 石段に足をかけ、池の中を覗き見る。

 傍から見ればその絵面は危なっかしくて仕方ないが、杏が出て行ったことに気付いている大人はいない。

「餌、あげたいなぁ」

 そんなことをぼやきながら、しばらく悠々と泳ぐ鯉たちを見ていた。

 すると突然、大きな影が杏を背後から覆った。振り返り見上げれば、大学生くらいの男性が杏を見下ろしたっていた。これが、大知だった。



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