仮面夫婦のはずが、怜悧な外科医は政略妻への独占愛を容赦しない
「あの……もしかして、お味噌、全部使っちゃったんですか?」
「なにか間違ってるか?」
ケロリとした顔で言われ、頭を殴られたような衝撃が走った。
いや、決して間違ってはないないのだろう。でも、相撲部屋ではないんだ。どう頑張っても、二人でこんなに食べられない。
「多分これ、数日分あるかと……」
「そうか。確かに作りすぎだな」
顎に手を当て、やってしまったというような表情で鍋を見つめている。その姿に、ついクスッと笑いがこぼれた。
(大知さんもこんな困った顔するんだ)
完璧というイメージしかなかった杏にとって、なんだか人間味を感じて、嬉しくなった。こんな大知の顔、きっと杏しか知らないだろう。病院のスタッフが見たら、卒倒してしまうに違いない。
「悪い。余計なことしたな。卵も割るのが難しくて、何個も無駄にしてしまって」
「大丈夫ですよ。卵も殻を取り除けば使えますし、味噌汁はお昼ごはん用に、ステンレスのマグにつめましょうか? あ、おにぎりもつけますよ」
はしゃぐ杏に、大知が優しい視線を向ける。
すっかり、風邪はいいようだ。それもこれも、大知が一晩中傍にいて、看病してくれたおかげかもしれない。どんな薬より、効くのだろう。
「でも意外です。大知さんって、なんでも器用にこなすタイプだと思ってたから」
「血管を縫うより、卵を割る方が難しいとは」
「ふふ、それ比べる対象が違いすぎます」
二人で目を合わせ、クスクスと笑い合う。キッチンにはこれまでにはない、幸せな空気が漂っていた。