仮面夫婦のはずが、怜悧な外科医は政略妻への独占愛を容赦しない


 静かな部屋に杏の凛とした声が響く。一瞬、聞き間違いかと思ったが、すぐに真実だとわかった。杏の目が、全てを物語っていた。

 眼光鋭く、揺れることを知らないかのように、瞳が真っ直ぐ大知をとらえているのだ。

「離婚?」

 オウム返しする大知に、杏は静かに頷く。

「私にはこの結婚生活は、無理でした」
「なっ……」

 まさか一年足らずで、離婚を言い出されるとは思わず、喉の奥から押しつぶされたような声が漏れる。

 確かにこの一年、まったくといって家庭をかえりみなかった。夫らしいこともしていなければ、体の関係もない。つまり杏は、そんな大知に、ずっと不満を抱いていたのだろう。

 杏との結婚は、医師である杏の父と、都議会議員である大知の父親が決めたもので、杏にとっては不本意だったに違いない。いや、もしかしたら好きな人がいたのかもしれない。

 杏は二十四歳とまだ若い。人生をやり直すなら、早い方がいいだろう。

「……杏の気持ちはわかった。少し考えさせてくれ」

 暫く考えた末、大知は静かにそう答えた。

「わかりました。一応これをお渡しておきます」

 小さくため息を吐く大知に、杏は離婚届けを差し出す。



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