Dear my girl
三次元ベクトル 2
頭を空っぽにするには、数値計算が一番だと一孝は思う。
大学の講義はそれなりにレベルが高く、レポートも多くて時間のやりくりが面倒だが、数式を組み立てていると邪念が消えていくのが分かる。なにより面白い。
そう。考えずにすむのだ。
「涼元、とっくに講義終わってんだけど。また谷口さんのことでも考えてんの?」
はっと我に返ると、隣の席に黒川が頬杖をついてニヤニヤしていた。
イラついた一孝は、速やかにテキストを閉じると、わざとらしく口角を上げた。
「そういうお前は余裕じゃん。さぞかしレポートの調子がいいんだろうな」
黒川は顔を引き攣らせた。不自然な咳払いをして、鞄からテキストを取り出す。
「あ、涼元さん。ちょっと教えてもらいたいところがありまして……」
「大槻に訊けよ」
にべもなく言ってやれば、黒川はテキストを頭にかぶせて机になついた。
「やだよー。かっこわりーじゃん」
「今さらすぎんだろ」
黒川と大槻はいつの間にか付き合い始めたようだが、大槻が頑なに認めないらしい。(と沙也子が言っていた。)
受験期などは度々大槻に教えを乞い、ウザがられている姿を何度も見かけた。
それでも、大学に合格できたのは大槻のおかげだと言っていたので、今さら格好悪いと思う黒川の心理が理解できなかった。どうでもいいけれど。
黒川を放ってテキストを鞄にしまっていると、くすくすと笑う声がした。
いつから近くに立っていたのか、同じ理学部の女子だった。
一孝が見上げると、女子はびくっと肩を揺らした。
睨んでいるように見えたのなら都合がよかった。なるべくなら、沙也子とその周囲の女子以外とは関わりたくないと思っている。
女子はふわふわした長い髪を指に巻きつけ、おずおずと言った。
「ごめんね、楽しそうだなと思って」
一孝が答えずに荷物の整理をしていると、黒川がとりなすように笑った。
「市村さんだっけ。誤解しないでねー、俺が涼元に教えてやってんだから」
市村という女子はまたころころと笑い、それから上目遣いで黒川を見つめた。
「黒川くん、面白いね。私、話してみたいと思ってたんだ。今度ごはん食べに行かない?」
黒川はぱちりと瞬いた後、カフェオレ色の分厚い前髪をさらりと撫で、にっこりと微笑んだ。
「一晩くらいなら付き合ってあげてもいいよー。割り切ってくれるならね」
言われた意味が分からなかったのか、市村は笑顔のまま固まった。遅れてじわじわと顔を赤らめ、目を吊り上げる。
ぷいっと足速に講義室を出ていくのを見送った一孝は、黒川に呆れた目を向けた。
黒川がへらりと笑う。
「ああいうタイプには、この手がよく効くんスよ」
確かに自分大好きが見え見えの女子で、いつも男子に囲まれている。
決して簡単ではない理学部なのに、いったい何しに来ているのか。女子が少ない環境でチヤホヤされたいだけなのではと思ってしまう。
暗に遊び対象だと示唆されて甘んじるタイプではなさそうだった。