Dear my girl

 沙也子が一孝の不機嫌に気づくと同時に、男子はたじろぎながら言った。

「は、話すくらい、別にいいだろ」

「それだけで済むか?」

 一孝の鋭い眼差しを受けて、相手はうっと息を詰めた。
 そして諦めたように嘆息すると、挨拶もそこそこに去って行った。

「え、なに? どうしたの?」

 一孝が怒っている理由が沙也子には分からなかった。
 彼は沙也子を見下ろして目をすがめると、「もう時間だから」と踵を返した。
 
 それなら、いったい何しに来たのか……。

 沙也子はなんとなく後をついて行った。
 よく分からないスイッチで不機嫌になることはあるけれど、いつものそれとは違うように思う。

「わたし、何かした?」

 それなら言ってくれればいいのに、一孝の背中からはピリついた空気しか感じない。

 廊下を彼の後について進み、沙也子は途中で足を止めた。
 沙也子の何かに怒っているなら、ちょろちょろしたところで逆効果だろう。何も言ってくれないのだからお手上げだった。

「もういいや……」

 沙也子はぽつんと呟いた。

 時間を置けば解決するかもしれない。
 カフェテリアに戻って読書の続きでもしようとUターンした時、手を掴まれた。

「……悪かった。ごめん」

 一孝はひどくきまりが悪い顔をしていて、沙也子は眉を下げた。

「悪いのはわたしなんでしょ? でも、言ってくれないと分からないよ」

 途方に暮れた気持ちで見上げると、一孝は言葉を詰まらせた。
 そのまま手を引いて、ひと気のない階段の下へ誘導する。

「谷口は何も悪くない。俺が……」

 握った手に力を込めて、一孝は沙也子を見つめた。

「妬いた。友達がどうのってやつ、あいつだろ。それで喋ってんの見てムカついて……こんなかっこわりーとこ、見られたくねえと思った」

 気まずいのか、言いながらも一孝は視線をそらしていく。

(ヤキモチだったの……?)

 沙也子は込み上げてくるものをこらえた。

 かわいい、なんて言ったら、きっと怒る。絶対に怒る。

 沙也子は周囲に誰もいないことを確認した。
 嬉しくて抱きつきたい衝動はこらえないためだ。ぎゅっと背中に手を回す。

「た、谷口?」

「さっき、来てくれたの嬉しかった」

 何かの勧誘でもなく純粋に友達になりたいと思ってくれたのに申し訳ないけれど。
 一孝が独占欲を見せてくれたことが、沙也子は嬉しかった。



 その後の講義で律と一緒になり、顔を合わせた途端、頬の赤さを突っ込まれた。

 確かに浮かれていた自覚はあり、以前よりも感情が顔に出やすい自分に焦りを感じた。気がゆるゆるに緩んでいる証拠だ。

 しかも、律は沙也子から話を聞き出すのがうまいのだ。
 先ほどのあらましを知った彼女は、肩を震わせて笑った。

「律、先生に気づかれる」

 照れ隠しついでに、沙也子が小声で強めに注意すると、律はテキストで顔を隠した。……まだ笑っている。

「もー、そんなに笑わないでよ。ヤキモチ焼かれて喜んでるなんて、自分でも相当恥ずかしいって分かってる」

「いやいや、そっちじゃなくて。今まではこっそり牽制してたのに、ついに本人の前で……と思うとおかしくて。しかも「もういいや」からの慌てぶりとか」

 律が息絶え絶えに言うので、よく聞き取れなかった。

 聞いたところで恥ずかしい思いをするだけだろう。とりあえず放置して、沙也子は講義に集中したのだった。
< 123 / 164 >

この作品をシェア

pagetop