Dear my girl

 自販機からペットボトルを取り出した律は、本当に調子が悪そうだった。
 普段は艶やかな長い黒髪はパサついているし、切れ長の美しい目元には隈ができている。

「律、大丈夫……? 具合悪いの?」

「沙也子……」

 律は少し充血した目をしばたたかせ、すがるように沙也子を見つめた。

「あんた、バイトしてみたいって言ってたよね。お願い、私の代わりに入ってもらえないかな」

「ええっ」

 働く律の姿が楽しそうで、確かに何の気なしに言ったことはあった。
 純粋な好奇心として出た言葉だったが、本気だったわけではなかった。一応、一孝の父に家政婦として雇われている認識だからだ。
 家事をするかわりに住まわせてもらっているので、おろそかにしないためにも、学生のうちは他に働くことは考えていない。

 そう言って謝りながら断ると、律は悲壮感たっぷりにうなだれた。沙也子はおろおろと律の背中を撫でた。

「いったい、どうしたの?」

「無理を承知で、どうにか1週間だけお願いできないかな。このままじゃ、オンリーに間に合わない……」

「え? 1週間だけでいいの? ていうかオンリーって、もしかして……」

「保存したはずなのに、ページがごそっと消えちゃって……このままじゃ脱稿ギリギリ厳しいの。吉田に手伝ってもらってるけど、かなりヤバくて。でも今バイト先も人手不足でどうにも休みにくくてさ。それで沙也子に手伝ってもらえたらって……」

「吉田くんに手伝ってもらってんの?」

 沙也子は目を丸くした。

 律は作品への情熱が爆発して、ついに自分でも同人誌を手掛けるようになっていた。
 沙也子は読んだことがないけれど、当然キャラをBL変換しているはず……。

 吉田は同じ高校のクラスメートで、律にずっと想いを寄せている。
 律は彼の顔が(BL的に)好みだと言い、吉田はわけが分からないながらも、よく律の要望に付き合って表情を作るなどしていた。

 ついに、吉田に腐女子であることをカミングアウトしたのだろうか。

「うん、画像処理とか上手いから、つい甘えちゃって……。吉田の知らない漫画だし、全年齢向けだから大丈夫。なんか受けのこと女の子だと思ってるっぽいし。ちょうどいいから、勘違いしたまま放っておいてる」

「な、なるほど……」
 
 吉田が無垢な瞳で「マンガ描けるなんてすげえな!」と律を褒めてあげるところが容易に想像できる。
 そして、締め切り間近のトラブルでしんどそうな彼女を見かねて、手伝ってあげているのだろう。BLと知らないまま……。
 もう吉田ならば、律の全てを受け入れてくれる気もする。

 ――ちなみに、二人はまだ付き合っていない。

 律は吉田の気持ちに気づいていないのだった。純粋に友達だと思っていて、それを分かっているから吉田も想いを伝えられずにいるらしい。
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