Dear my girl
大きくて、あたたかい手。
伝わるぬくもりに安心する。
二人とも無言だったが、言葉はなくても、しんとした空気が心地よかった。
しばらくして、ふいに一孝が口を開いた。
「バイトどうだった?」
「初めてだから足がちょっと疲れたけど、楽しかったよ。なんとか律の代わりを務められそう」
気合いを見せるべく片方の手でガッツポーズを作ると、一孝は安心したように微笑んだ。
「あっちもこっちも抱えようとして無理すんなよ。レポートだってあるんだし、家政婦業は気にしなくていい」
「うーん。でも、1週間だけだし。おろそかにしたくないなあ。世の働く主婦ってすごいよね。仕事して家事もして。まあ、その練習だと思えば、」
言いさして、沙也子は言葉を止めた。なんだか、ものすごく恥ずかしいことを言ったような気がする。
「あの、今のは一般的な話で……」
誤魔化しながら一孝を見上げると、彼はまじまじとこちらを凝視していて、沙也子は頬が痛いほど熱くなった。目をそらして話を変える。
「カフェの制服、可愛いんだよ。ちょっと恥ずかしいけど」
テンパってしまった結果、話題を激しく間違えた。手にじわりと汗をかく。
(でも……涼元くん、興味ないかも)
いつものように、「ふーん」と流してくれることを祈っていたが、一孝は食いついてきた。
「どんなやつ?」
「えっと。ふ、ふつー。普通に可愛い」
「……ふーん」
ひどい語彙力なのに、一孝は納得してくれた。その言葉が聞けて、心からホッとする。
だが、しかし。「見てぇな」と独り言のように呟かれた言葉が耳に届いてしまい、沙也子は顔を赤らめて慌てた。
「だめっ 恥ずかしいから、絶!対!に!来ないでね」
「そんな女子だらけの店に俺が行くかよ。頼まれたって行かねえよ」
呆れ顔で言われて、沙也子はまたしても胸を撫でおろした。
大通りを離れ、小道に差し掛かったところで、一孝は足を止めた。
周囲に人がいないか確認している様子に、沙也子は首をかしげた。
「どうしたの?」
瞬いているうちに、一孝が背をかがめて顔を寄せてくる。
ちゅっと軽くキスをされて、沙也子は真っ赤になって一孝から離れた。
「い、いきなり、なに」
彼は面白くなさそうに目をすがめると、また沙也子の手を取って歩き出した。
「……さっきから可愛い顔ばっかしてるからだろ」
「なんでっ⁉︎ してない! そんなの全然してないから」
一孝には時々こういう、わけの分からないスイッチがある。
不機嫌のスイッチもよく分からないけれど、沙也子は一孝がキスしたくなるスイッチもよく分からないのだった。