Dear my girl
Make me sweet. 3
絵本のような可愛らしい装丁のメニューを開いた一孝は、愕然としていた。
「普通のドリンクは……?」と小声で呟く。
一応顔に出さないようにしている努力が窺えたが、ドン引いているのが丸わかりだった。
沙也子はメニューを指差し、ひそひそと教えた。
「ええと、この森のうさぎさんのやつが、普通のコーヒーだけど」
「……じゃあ、それ」
メニューを受け取った沙也子は、一瞬ためらったものの、マニュアルに従うことにした。
「ご、ご注文を繰り返します。森のうさぎさんとのコーヒータイムがおひとつ。以上でよろしいでしょうか」
一孝は片手で顔を隠し、こくりと頷いた。
うさぎのしっぽがついているマグカップにコーヒーを注ぎ、沙也子は一孝のテーブルに運んだ。
最初は微笑ましかったが、だんだん心苦しくなってきた。
お店に入ってきた時から一度も一孝はこちらを見ようとしない。
沙也子は眉を下げて囁いた。
「涼元くん、嫌な気持ちにさせてごめんね……」
「……違う。今、谷口見たら、絶対に秒で鼻血出る自信ある。何そのかっこ。可愛すぎかよ、反則だろ」
「え……、あっ!」
瞬時に顔が熱くなる。
制服のことをすっかり忘れていたのだ。沙也子はトレーを抱えて胸元を隠した。
そんな沙也子をよそに、一孝はうさぎのマグカップを勢いよくあおった。
ホットのコーヒーを即座に飲み干すと、手の甲で額の汗をぬぐった。財布からお金を取り出し、テーブルの上に置く。
「もうすぐ終わりだろ。外で待ってる」
そして一秒でも早く出たいとばかりに、ドアベルを鳴らして去って行った。
今まで息をひそめていた他のスタッフたちが、きゃーっと詰め寄ってくる。
「谷口さん、顔真っ赤! あの人、彼氏? かっこいいね!」
「律儀にうさぎさん飲んで、めちゃそそくさと出て行ったの、かわいい~」
「ていうか、来てくれてよかったねえ。怖かったでしょ。あのセクハラ王子、がっかりだよ!」
「えへへ……、は、はい。ありがとうございます」
いろいろなことがありすぎて、沙也子はうまく頭が回らなかった。
羞恥に頬を染めながら、目をぐるぐるさせていると、
「彼氏、ヒーローみたいだったね」
先輩は優しげに微笑んだ。
その言葉が何だか胸を打ち、沙也子は嬉しさのままに、はにかんだ。
「はい……」
「クソが、は笑えたけど」
先輩がくすくすとおかしそうに笑う。
沙也子もつられてみんなと笑った。
店長が早めに上がっていいと言ってくれたので、甘えることにした。
急いで着替えを済ませて外に出ると、雨は小降りに落ち着いていた。軒下で一孝がスマホを眺めて待っている。
あんなに来ないでと頼んだのに。
頼まれたって行かないと言っていたのに。
胸の奥が熱くなった。
口は悪いけど、子供の頃からいつも沙也子を助けてくれる人。
受け取るばかりで、沙也子は少しでも何か一孝に返せているのだろうか。
(今回のお給料で、何かプレゼントしようかな……)
こんなことしかできないけれど。
初めてのお給料は一孝のために使ってみたいと思った。
一孝は沙也子に気がつくと、スマホをポケットにしまった。
「早いな。終わったの?」
「うん、今日はもう帰っていいって。待っててくれてありがとう」
傘を広げようとすれば、それより先に一孝が自分の傘を沙也子に差しかけた。
「……ひとつあればいいだろ」
雨はぽつぽつと弱く、彼の傘は丈夫で大きい。
確かにそれぞれ使わなくても、一本で十分だった。
「うん」
沙也子はにっこり微笑み、一孝に寄り添った。