Dear my girl
* * *
たっぷりと初めての海水浴を楽しみ、更衣室で支度を済ませると、また旅館に戻った。
雰囲気のある立派な玄関ロビー。荷物を預けに来た時はすぐに出たので、沙也子はきょろきょろしてしまう。
安らぎをもたらすような庭園の風景が美しい。
一孝はもてなしに出されたあたたかいお茶を一口飲むと、さらさらと宿帳に記入する。
沙也子はそれをぼんやりと夢心地に見つめながら、併せて出された甘味を口に含んだ。びっくりするほど美味しくて、疲れが癒されるようだった。
「女性のお客様には、色浴衣をご用意しております。よろしければ、お好きなものをどうぞ」
仲居が示した方を見てみれば、棚にはたくさんの色鮮やかな浴衣が美しく並べられている。
赤や藍染め、ピンクに黒など色とりどり。柄も水玉から花模様まで、多種多様な可愛らしさに乙女心をくすぐられた。
「わぁー! どうしよ、迷っちゃう」
疲れているのに待たせてしまってはいけないと思い、棚と一孝を交互に見ると、彼は優しげに微笑んだ。
「ゆっくり選べば」
その言葉に甘えてじっくりと浴衣を吟味するものの、甲乙つけがたく。二つの浴衣を手に取り、沙也子は一孝を見上げた。
「これとこれ、どっちがいいかな」
藍染に桜模様の浴衣と、白地に赤い椿が浮かぶ浴衣。
一孝は真剣な表情で浴衣を見比べると、白地の浴衣を親指で差した。
「素敵なお見立てです」
仲居の存在を忘れていたのか、一孝はハッとなった。彼にしては珍しいことだった。
仲居があたたかい微笑みを浮かべていて、一孝は居心地悪そうに目元をわずかに染めた。沙也子もつられて赤くなる。
にこにこ零れる笑みを袖で隠しながら先導する仲居に、2人してぎこちなくついて行った。
案内された純和風の部屋は広くて、二人で泊るには充分すぎるほどだった。「でかすぎ」と言われた沙也子のバッグもちんまりとして見える。
畳の香りが心地よくて、沙也子は胸一杯に吸い込んだ。
「涼元くん、ほんとにどうもありがとう。すごく嬉しい」
思わず感極まってしまうと、一孝は口元を緩めた。
「楽しい?」
「もちろん! 海も温泉も行ってみたいと思ってて、他でもない涼元くんが連れて来てくれて……こんなの楽しいに決まってるよ」
向かう途中、車窓から眺める海の景色に感激し、浜辺に着けば眩しい太陽の下、隣には大好きなひと。
泳ぎに自信のない沙也子は浮き輪が手放せなかったけれど、一孝はその端に手をかけ、ずっと一緒にいてくれた。
海に浮かびながら二人で波やおしゃべりを楽しむことは、とても心地よい時間だった。
しかも。それだけで終わらず、これから温泉宿に泊まるのだ。
溢れ出る気持ちのままに微笑むと、一孝は沙也子を見つめ、片手で顔を覆ってため息をついた。
「あんま可愛いことばっか言ってると……温泉入れなくなる。ちょっ、と……離れて」
「ええ?」
一孝は備え付けの浴衣を手に取ると、背を向けて支度を始めてしまった。バサッと脱ぎ出したので慌てて沙也子も背を向けた。後ろから衣服の音が聞こえて鼓動が跳ねる。
そちらから訊いてきたくせにと思ったが、こういう時は大人しくしておいた方がいいと学んでいる。
沙也子も着替えるべく、ボタンに指をかける。こそっと後ろを窺うと、浴衣に着替え終わっていても一孝は振り向かない。
ホッとして、沙也子は衣服を脱いで浴衣に袖を通した。