Dear my girl
この気持ちの先に 2
旅館案内によれば、お風呂は男女それぞれ別の造りになっており、時間によって入替制となるらしい。翌朝もまた入浴しようと沙也子はわくわくした。
貸切もあんのか、と一孝が呟いたが、聞こえなかったふりをした。初めての温泉旅行で貸切はハードルが高すぎる……。
「別に急がなくていいから」
別れ際に一孝はそう言い、男湯の暖簾をくぐって行った。
彼を待たせないようにしなければと考えていたところだった。まるで心を読まれたみたいで、沙也子は気恥ずかしくなる。
咄嗟に返事ができなかったものの、温泉に来たんだなあという実感が、今頃じわじわと湧いてきた。
時間がまだ早いせいか、部屋数が少ないせいなのか、先客はいないようだった。
まず身体を洗い、恐る恐る浴槽にその身を浸した。
「ふぁ……、気持ちい……これが、温泉……」
身体の芯から心の芯から、痺れるように温まる。
温泉は源泉かけ流しとのことだった。成分が多いのか、浴槽に岩のようになって付着している。
窓から降りそそぐ、陽の光や夏の涼風。
立ち昇る硫黄の香り。
とろとろとしたお湯が肌にとても気持ちいい。
ちゃぷんとお湯を撫でつけてみれば、炭酸ガスで発泡している気泡が身体にまとわりついてくる。
現れては消えるその泡を見ていると、なんだか少しだけ切ない気持ちになった。
髪も洗い、露天風呂までしっかりと堪能してから待合スペースに行くと、一孝はセルフサービスの冷たいお茶を飲んでいた。
「ごめん、お待たせ」
一孝はお茶に口をつけたまま、沙也子を凝視して固まっている。それからごくりと飲み込むと、こちらをまじまじと見て、
「髪……」
「ああ、まだ乾ききってないから、まとめたんだ」
急がなくていいと言ってくれたけれど、間違いなく待たせている気がして、急いで髪を乾かした。
湿度で髪が広がってしまうのでお団子頭にしたのだが。一孝の視線が妙にいたたまれなくて、沙也子はうなじにそっと手をやった。
「変、かな……」
「……全っ然。それよりまだ飯まで時間あるけど、どうする? 温泉街でも歩いてみるか」
「行きたいっ」
勢いよく返事をすると、一孝はおかしそうに微笑み、新しく入れたお茶を沙也子に差し出した。
カランコロンと下駄の音を鳴らして、温泉街をそぞろ歩く。
旅先の開放感そのままに巾着袋をぷらぷら揺らしていると、一孝の視線を感じた。
それはまるで慈しむような瞳で、心が震える。
以前水族館で一孝の気持ちに気づいた時と、同じ眼差しだった。
彼はけっこう、目は口ほどに物を言う。沙也子は顔を赤らめた。
「……温泉、気持ち良かったね」
「すげえ泡だったな」
「そう、だね」
――いつもの悪い癖が顔を出した。
最近、幸せだと思うほどに、例えようのない不安が押し寄せてくる。
思わず自分の下駄を見つめると、一孝は首を傾げた。
「谷口?」
「なんか……バカみたいなんだけど、浮かんでは消えていく泡を見てたら、ちょっと怖くなったの。今すごく楽しいのに、いつかパチンと消えてしまうんじゃないかって……」
幸せなのに、ひどく寂しくなる。
いつもは気がつかないのに、ふとした時に現れる心の虚。