Dear my girl
* * *
週明け、黒川蒼介は谷口沙也子を探していた。誠心誠意、謝るためだった。
(あれ、本気で怯えてた……)
男慣れしていないフリだと思っていたのだ。
やりすぎたと気づいたが、あの時は咄嗟に笑って誤魔化してしまった。タイミング悪く電話までかかってきてしまい、彼女をその場に置き去りにした。考えれば考えるほど、ひどいことをしたと思う。
震える身体。血の気の引いた顔。
蒼介は谷口に絡んだことを、あれからずっと後悔していた。
そもそも、身勝手な八つ当たりだった。
蒼介の父は厳格な医師で、優秀な兄と性悪の妹、そして兄しか期待していない母のもとで育ってきた。
どんなに努力しても成績が伸びない蒼介は、父から早々に見放されていたし、母は兄と妹ばかりを可愛がった。
兄は成績を褒め称えられ、媚びることに長けた妹はテストの点数が悪くても怒られない。叱責を受けるのはいつだって蒼介だけだった。両親と兄は蒼介を家の恥とばかりに扱うし、そうなると妹も蒼介を舐めるのは必然だった。
中学受験に失敗した蒼介は、ますます家に居場所がなくなり、次第に夜遊びするようになる。そんなとき、先輩に連れて行かれたお店で涼元に出会った。
出会ったといっても、なんとなく気になって一方的に見ていただけ。向こうは蒼介の存在など視界にも入っていない。それどころか、誰といても誰のことも見ていないような、いつもつまらなそうな顔をしていた。
いつの間にか、その姿を見ることはなくなった。
そして月日は流れ――蒼介は高校の入学式で驚愕した。新入生代表で壇上に上がったのが涼元だった。
(タメだったのかよ……)
当時はすでに高校生、もしくは大学生かもしれないと思っていた。もっと驚いたのは、教師たちが「涼元は東大を狙えるほど頭がいい」と話しているのを聞いたときだった。
いつも必死に勉強ばかりしている兄が脳裏に浮かぶ。とてつもなく胸がすく思いだった。
そして単純に、涼元に対して尊敬の念を抱いた。
同じクラスになったというのに、蒼介は涼元になかなか話しかけられずにいた。
ある放課後。女子の呼び出しに応じ、それから教室に戻ろうとすると、中から自分の名が聞こえた。咄嗟にドアを開ける手を止める。
「黒川ってちょいウザいよな。調子に乗ってねえ?」
「モテてると勘違いしてるけど、女にいいように使われてるだけじゃん。ダセ……」
「まあ、俺らも女子紹介してもらってっけど、あいつの存在意義それくらいだよな」
声からして、いつも行動を共にしているグループだった。蒼介は、あらら、と思った。こういうやっかみは珍しくなく、もう何度となく経験している。
鞄は教室の中だし、どうしようかなあと思っていると、
「そうやって、影でぐちぐち言ってるお前らのほうが、よっぽどダセえよ」
涼元だった。
しんと沈黙した教室に、蒼介は勢いよくドアを開けて入った。
「どーもー。また告られてきたよ。ウザくてごめんね〜」
語尾に音符をつける調子で言ってやると、彼らは気まずそうに目を泳がせた。
それから蒼介は、何だかんだと涼元にかまうようになった。始めは相手にされなかったが、中学のころ見かけていたことや、自分の境遇をぽつぽつ話すと、いつの間にか友人と呼べるレベルになった。
「なんで遊ばなくなったわけ? つまんなくなった?」
ただ気になっていたから聞いてみただけだ。きちんとした返事が返ってくるとも思っていなかった。それなのに、
「好きな子がいる。だからちゃんとしようと思った」
好きな子!
びっくりである。
ガリ勉でもないのに教師が一目置くほど成績優秀で、整った顔をしている涼元は、当たり前にモテるかと思いきや、女子から恐れられていた。
口が悪く、他者を寄せつけない冷たさがあるからだ。
話してみればけっこう面白いところもあるのだが、それを知っているのは、涼元を怖がらない一部の男子だけだった。
そんなアイスマンと言われる涼元の好きな子。当然気にならないわけがない。しかし、それらしき女子は見かけないので、別の学校にいるのだろうと思った。
そして二年になった夏休み明け。
涼元は何度蒼介を驚かせるのか。
あの涼元が、女子を伴って登校してきたのだ。
見てすぐに分かった。あの子が、涼元の好きな子なのだと。
アイドル並の女子を想像していたので、正直がっかりだった。どこにでもいそうな平凡な女子なのに、幼馴染というだけで涼元に守られて当然といった風情も。
何のとりえもないくせに親と兄の背にかくれて蒼介をバカにする妹と重なった。
――完全なる八つ当たりだった。