Dear my girl
そして放課後、沙也子を裏庭に呼び出した黒川は、ひたすら謝ってきた。
これまでの人生、呼び出されたことなど一度もないのに、一日に二度も経験するなんて。貴重な日だなあと、ついのんきに考えてしまう。朝の占いでは「今日は可もなく不可もなく、平凡な一日になりそう!」と言っていた。
「言い訳にもならないんだけど、家のことでむしゃくしゃしてて、八つ当たりだったんだ。すげえ意地悪なこと言って、本当に悪かったと思ってる」
一緒についてきた一孝は、葉の色を変えつつある銀杏の木に背を預け、仏頂面でなりゆきを見守っている。
黒川がなおも謝罪を続けようとするので、沙也子は両手を振ってさえぎった。
「もういいよ。そんなに謝らなくて大丈夫。っていうか、本人だよね……? 入れ替わってないよね」
土下座せんばかりに頭を下げるので、逆に恐縮する思いだった。あまりに態度が違うので、本当に本人なのかと失礼な考えが浮かんだ。
黒川は、「誰とだよ」と少し笑った。空気がようやく和み、沙也子も微笑んだ。
「わたしだって、自意識過剰は本当だったから。こっちこそごめん」
苦笑すると、黒川は少し痛みに耐えるような顔をした。
「そんなことない。……あのさ、うちの親父は犬が苦手なんだ。普段えらそうに威張ってるくせに、子犬にちょっと吠えられただけで腰が抜けそうになってやんの。一緒にするなって感じだけど、そうやって人から見れば大したことなくても、本人にとってはめちゃ怖いことだってあるんだよな。だから、本当にごめん」
沙也子はゆっくりと瞬きをした。
そういう考え方もあるのかと、急に視野が開けていくようだった。誰にでも苦手なものはあり、無理はしなくていいのだと。
もちろんいつかはきちんと克服しなければいけない。それでも。少し心が楽になったのは確かだった。
「……うん。黒川くん、ありがとう」
「いやいや、俺が悪かったんだって」
黒川は照れ笑いを浮かべ、指先でピアスをいじった。
ようやく彼も気を緩めたのだろう。互いの笑顔は、晴れやかなものだった。
下校時は人がまばらだったので、久々に人目を気にせず一孝と一緒に帰った。道すがら、けじめだと思って沙也子はお礼を言った。
「わたしのために怒ってくれたんだよね。どうもありがとう。でも、今度から殴っちゃだめだよ」
「今度なんてあってたまるか。お前もなんで言わないんだよ。次やったら、明日の太陽拝めないようにしてやる」
「もう……」
それでも仲はいいようなので、本当に不思議だ。
唇を尖らせた沙也子だったが、黒川と和解できたのはとても嬉しいことだった。彼は八つ当たりと言っていたけれど、あの様子では、きっと何か誤解もあったのかもしれない。
話し合えば分かり合えるし、すべての男性が怖い人なわけではない。そんな当たり前のことを再認識したことで、なんだか一歩踏み出せたような気になる。沙也子の心は明るかった。
足取りを軽くしていると、一孝がこほんとひとつ咳払いをした。
「ところで」
「うん?」
「お前の中の俺のイメージって、どうなってんだよ。夜遊びで培った社交性とか。友達できてて驚いたとか」
そうだった、聞かれていたのだ。悪いと思いつつも沙也子は笑ってしまった。
と同時に、胸が締めつけられる切なさを覚える。素行が悪かろうと、彼が孤独を少しでも感じずにいられたのならよかったと。そう思わずにいられなかった。
沙也子の視線をどう取ったのか、一孝は複雑そうに顔をしかめた。
「遊んでたっつっても、ほんの一時期だったし」
「そうなんだ。もしかして、彼女ができたからやめたの?」
勢いで気になっていたことを訊いてしまうと、即座に否定された。
「違えよ。ふらふらしてる場合じゃないって気づいただけ。……ていうか、そういうの今までいたことないから」
つ、と言いかけて、沙也子は急いで口を閉じた。
「つ?」
「……培ってなかったか」
「しつこい」
頭をこつんと軽く小突かれる。沙也子はえへへと誤魔化した。
(付き合ったことないんだ……)
沙也子の知らない中学時代も。高校一年生も。
一孝が寂しくなければいいと願っているのに、どこか安堵している自分がいて、胸がちくりと痛んだ。