Dear my girl


 ある朝、瞼を開けると、身体が鉛にように重かった。

 指先ひとつ動かすのもおっくうで、沙也子はどうにかスマホを確認する。アラームを設定している時間より10分ほど早かった。
 身体の調子は悪くないのに、なんの前触れもなく、ふいにこういうことがある。頻度はそう多くない。しかし、いつも沙也子の油断をつくようなタイミングだった。

 こちらに越してきてからは初めてだが、対処法は分かっている。といっても、いつもどおりに過ごして、一日をやり過ごすしかないのだけど。このまま布団にくるまっていても、状況は悪くなる一方だと知っているだけだ。

 沙也子はひどく怠い身体を起こし、浴室に行って熱いシャワーを浴びた。


 一孝のリビングに繋がるドアを、そっとノックする。家にお邪魔する感覚で、毎回することにしている。食事を作るときも、掃除をするときも。
 たいてい一孝はアルバイトに行っているし、朝はまだ早い時間なので、ドアを開けても誰もいない。それが分かっていても、それでも。

 前日に下拵えをしたハンバーグを焼き、炊き立てのご飯と作り置きの副菜とともにお弁当箱に詰める。冷ましている間に朝食の準備だ。
 そろそろ食材を使い切りそうで、レタスとベーコンと卵を取り出しながら、明日あたり買い物に行こうと考える。

 ボウルに卵と牛乳、塩胡椒を入れて、泡立て器でしっかりかき混ぜる。卵黄と卵白をしっかり混ぜ合わせることで、スクランブルエッグの色が綺麗になるのだと祖母が教えてくれた。

 フライパンを弱火にかけ、卵液を流し込んだ。しばらく見守り、薄く固まり始めたら、木ベラですくい上げるように混ぜ返す。程よく半熟になったスクランブルエッグを皿に盛りつけ、次はベーコンをフライパンに。カリカリに焼いている間に、洗ったレタスをスクランブルエッグの横に添える。

 ベーコンを皿に移していると、トースターがポンッと食パンを押し上げた。先日見つけたパン屋でリピートしているものだ。

 コーヒーをマグカップに注いでいるところで、一孝がリビングに入ってくる。

「おはよう。涼元くん」

 沙也子は微笑み、彼も眠そうに目を細めて「おはよ」と返す。今日もいつもと同じ。

 天気予報によると、しばらく秋晴れが続くらしい。テレビから、女性キャスターの元気な声が飛び出した。

『それではみなさん、今日もよい一日を!』




 学校から帰ってくると、気づかないふりをしていた倦怠感がどっと押し寄せた。
 いつものとおり、作った夕食を冷蔵庫に入れた沙也子は、ふらふらと自分の部屋に戻った。

 小さなベッドに横たわると、もう瞼を開けていられなかった。身体が重くて仕方ない。ずぶずぶと泥の中に沈んでいくようだった。



 空が、見える。
 どこまでも広く、青い、空だった。
 草が生い茂っている。
 セーラー服に泥がつく。

 またいつもの夢だと悟る。
 沙也子は、この夢の結末を知っている。

(――やめて……触らないで……)

「お母さん、助けて! お母さん……!」


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