Dear my girl

 待ち合わせのターミナル駅からさらに電車を乗り継ぎ、一孝について行った先は、以前住んでいた場所からニ駅ほど離れたところだった。四年ぶりとはいえ馴染みのある地域で、気を張っていた沙也子は緊張が少しとけていくのを感じた。

 一孝はマンションに着くと、エントランスのオートロックを開け、沙也子を中に促した。エレベーターに乗って押したボタンは7階。最上階のようだ。
 緊張しているからか、上昇音がやけに響いて聞こえる。沙也子は唇を湿して尋ねた。

「ここ、おじさんがオーナーなの? すごいね」

 思っていた以上に立派なマンションで怖気づく。本当に家事をするだけでご厄介になっていいものだろうか。

「節税らしいが、効果があるんだかないんだか」

 一孝が興味なさそうに言い、到着音とともにエレベーターが開いた。大股で歩く彼のあとについて行く。

「まず、こっち入って」

 突き当たりの角部屋が沙也子に貸してくれる部屋で、その隣を先に案内される。これから沙也子は彼の家政婦をすることになるので、先に説明事項があるのだろう。

「おじゃまします……」

 広めの1LDKで、男子の一人暮らしだからか、物が少なく生活感があまり感じられない。
 基本的にキッチンやリビング、玄関の清掃くらいで、浴室や彼の部屋は立ち入らなくていいとのことだった。掃除のやりがいはなさそうで、その分料理を頑張ろうと気合を入れていると、

「俺は普段バイトでいない。食事は冷蔵庫に入れておいてくれればいいから」

 あっさりと言われて拍子抜けしてしまった。

「え、じゃあ、一緒にごはん食べられないんだ」

 いいかげん一人の食事は寂しくて、ついこぼしてしまう。一孝は少しの間沙也子を見つめ、それから目を泳がせた。

「朝、は、普通にいる」

 沙也子は顔を輝かせ――ハッと気づいた。わざわざ一緒に食べる必要のないことに。

「ごめん、頼まれたのは食事作りで、別に一緒に食べる必要ないよね」

「いや、いちいち別にするのは面倒だろうし、お互い家にいるときはそれでもいい」

 つまり、都合が合えば一緒に食べてもいいと。気を遣わせて申し訳ないけれど、それより嬉しい気持ちが高まった。一人じゃないんだと思うと胸が温かくなる。

「涼元くん」

「ん?」

 和やかな空気の中、沙也子は密かに勇気を振り絞った。接する機会が多くなる以上、一孝に言わなければならないことがあるのだった。

「今日から、よろしくお願いします。それで……、いきなりなんだよって感じだけど、その、わたし、痴漢にあったことがあって、男の人がちょっと怖くて。もちろん涼元くんが怖いわけじゃないんだけど、もしかしたらビクついたり失礼な態度とったらごめんね」

「分かった」

 かなり緊張して告げたというのに、彼の反応はこれまた淡白だった。記憶通りの一孝で、沙也子の体から力が抜ける。一孝にとって沙也子の存在はこの程度なのだ。それが逆に安心する。

「それから、そっちのドアだけど」

「あれ?」

 1LDKかと思ったら、リビングの端に別のドアがあった。一孝ががちゃりと開ける。覗いてみれば、こちらのリビングと同じくらいの部屋が広がっていた。
 客間だろうか。キッチンがついているので、まるで1DKルームのようであり、沙也子は首を傾げた。

「こっちが谷口の部屋だから。繋がってるけど、玄関はそれぞれある」

「えっ」

「玄関を行き来するのは、体裁が悪くて谷口が気にするかもしれないって親父がぶち抜いた。鍵はそっち側についてるから、必ずかけろよ」

「ええっ」


 母と祖母が亡くなり、天涯孤独となった沙也子は、こうして思いもよらなかった生活が始まった。

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