Dear my girl
学校全体が浮かれた雰囲気になると、人との距離も近くなるもので。
雰囲気に充てられるのか、いいきっかけなのか、あちこちでアプローチを見かけるようになった。文化祭はカップル成立率が高いらしい。
女子には笑顔を見せるようになった律は、男子に対しては堅かった。過去の経験から、いらない誤解を招きたくないと思っているのだ。
そんなわけで、なかなか近づけない男子たちは、文化祭の準備に乗じて沙也子に探りを入れてくる。
沙也子が吊るし飾りをペンキで塗っていると、吉田というクラスの男子が近寄ってきた。
「それ、こっちも塗ればいーの? 手伝うよ」
「ありがとう。配色はこれだって」
デザイン用紙を見せれば、彼は「オッケー」と塗り始める。それからそわそわとしだしたので、これは来るな……と沙也子は身構えた。
「森崎ってさ、普段休みは何してんだろ。好きな音楽とか、谷口知ってる?」
「えーとね、」
休日はBLの積み本を消化し、好きなアニメを見たり二次創作を漁ったり。好きな音楽はアニソンやキャラソン。
……などと言うわけにもいかない。
吉田は無垢な瞳で「ん?」と沙也子からの情報を待っている。
人懐っこい人気者なのに、律から「意外とヤンデレ系攻めタイプ」と認定されていたことを思い出し、沙也子は少々申し訳ない気持ちを隠して微笑んだ。
「音楽はちょっと分かんないけど、けっこう映画とか好きだし、少年漫画もよく読むよ」
少年漫画をBLに変換したり、漫画の実写化はよく行くので、嘘は言っていない。吉田は嬉しそうにはにかんだ。
「へえー、そっか。ずっと話してみたいと思ってたんだけど、なんか拒否られそうでさ。今だったら話しかけられそうな気がする。ありがと」
クラスの男子ならまだ全然よかった。話すだけなら怖くないし、普通に優しい。男子に慣れるいい機会だとすら思う。
問題は、時々しつこい人もいることだった。
「ねーねー、きみ、森崎サンの友達だよね。文化祭うちら焼きそばやるんだけど、おごるから二人で食べにきてよ」
焼却炉までゴミ袋を運んだ帰り、男子三人に囲まれた。ネクタイの色からして三年生だった。
またか、と内心ため息をつく。沙也子が声を掛けられやすい体質だとしても、これでは律本人はもっと大変だろうなと思った。
「ありがとうございます。伝えておきますね」
沙也子はいつもどおり、当り障りのないよう微笑んでおいた。普通はそれで引いてくれるのだが、先輩男子は沙也子の行く手を阻んだ。
「ほんとにー? そうだ、一応アドレス教えてよ」
「……すみません。今、スマホ持ってないんです」
囲まれて見下ろされ、心臓がどきんどきんと嫌な音を立て始める。「戻らないといけないので」と素通りしようとすると、腕を掴まれた。
「あ、待ってよ」
「……ひゃ、」
思わずビクッと肩を揺らし、すぐに手を払いのけた。
「おいおい、お前がキモいから怯えてんじゃん」
「ばっか、お前だろ」
……怖い。足がすくみ、血の気が引いていく。沙也子は震える手をぎゅっと握りしめた。
そのとき、遠くから大きく名を呼ばれた。
「谷口ー! ごめん、あの飾りってどこだっけ」
クラスメートの吉田だった。彼は沙也子のもとに駆け寄ってくると、先輩男子たちをちらりと見た。それから、その存在を無視するように、話を進めた。
「ペンキ塗ったやつ、そろそろ乾いたかなって」
「あ……うん、ベランダに置いてあるよ」
先輩たちは気まずそうに視線を見合わせた後、何事もなかったように去って行く。
吉田はその背中を見送り、口の動きだけで、ばーかと言った。
「大丈夫だった? タチ悪いんだよなー、あの人たち。この間、森崎も絡まれてた。冷たくあしらってたけど」
「さすが、律。……ありがとう。助けてくれたんだよね。自分でなんとかできないなんて、情けないなー」
「そんなことないよ。……っと」
「どうしたの?」
吉田が、やべっという顔をしたので、沙也子も彼の視線をたどった。その向こうでは、一孝が黒川と一緒にこちらを見ていた。
目が合ったので、いつものように小さく手を振った。
黒川が笑顔でひらひらと振り返す。一孝は少しの間沙也子を見つめ、軽く手を上げた。
一孝が反応を返すなんて珍しいなあと思っていると、彼は黒川になにか言われ、その頭をスパンとはたいた。そのままじゃれつくように(沙也子にはそう見えた)歩いて行った。