Dear my girl
律が適当にぶらついてから教室に戻ると、沙也子しかおらず、彼女は窓からぼんやりと校庭を見下ろしていた。
「あれ、後夜祭、行かないの?」
沙也子は肩を揺らして振り向き、律を確認すると、ホッとしたように微笑んだ。
校庭では特設ステージを囲って人だかりができている。ステージの上で男子三人が漫才をやっているようだった。ドッと笑い声がここまで聞こえてくる。
その声に引き戻され、沙也子はまた校庭を見下ろした。
「んー、ちょっと足も痛いし、なんか疲れちゃって。律もパスって言ってたから、わたしもいいや」
「えっ、足どうしたの?」
怪我をしていたなんて知らなかった。律が顔色を変えると、沙也子は焦ったように手を振った。
「ごめんごめん、違うの。ちょっとひねっただけで、ただの口実」
「ほんとに?」
「うん、もう……湿布も貼ってある」
沙也子が少し頬を染めたので、おや?と律は瞬いた。滅多にない反応だった。
「もしかして、休憩のとき何かあった?」
「な、何かって? 何もないよ」
「涼元が沙也子の様子見に来てたんだけどなー。一人で休憩行ったって言ったら、すぐ探しに行ったよ。会ってない?」
「あっ、それで電話。なんかまた心配かけちゃったのかな」
沙也子がへにゃりと眉を下げる。思わず庇護欲をくすぐられる表情だった。
彼女は見た目にも可愛らしく、守ってあげたくなるような女の子なのに、本人はわりとマイペースで、一人行動を好むところがある。律としてはその距離感が居心地いいのだけど、一孝にとっては心配の種だろうなと思った。
「沙也子の働きっぷりを見たかったんじゃない? それであわよくば、一緒に文化祭回ろうとか」
甚だ心外だったようで、沙也子は目をまん丸にした。
「えー、やっぱりドジしないか心配だったんじゃない」
沙也子が露骨に不本意そうな顔をする。あわよくば~、は華麗にスルーされたが、律は蒸し返さなかった。
「それで、会ったの?」
「う……、」
ここまで赤くなるのも珍しい。
(これは、なにかあったな……)
どうにか誤魔化そうとする沙也子を言葉巧みに誘導し、律はすべてを聞き出した。
「……それで、律のアドバイスどおり、来年はもっといいもの用意するって言って、受け取ってもらったの」
律は、うわあ……と心の中で呻いた。
一孝にとって、とんでもない破壊力だったことは、容易に想像がつく。
大切な沙也子をちゃんと見つけたご褒美が、彼女の小悪魔コスプレとプレゼント。
ラッキーなようで少々ムカつく気もするし、不憫なようで同情する気持ちにもなる。
(それにしたって……)
律は小さく噴き出した。
……鼻血とは。先日の食堂での一件も尾を引いていたのだろうか。
「もう。やっぱり笑うと思った。わたしだって、イタい恰好だったって分かってる」
沙也子はますます顔を赤らめ、頬を膨らませた。
律が笑ったのは自分のことだと思っているようだが、そのまま否定しないでおく。
沙也子の反応を見る限り、少しずつ一孝を意識してきているように思えた。
母子家庭だったからか、沙也子は周りに迷惑をかけたくないと、なにかと溜めこむ癖がある。自分のことは後回しにして、人のことばかりを気にしてしまう。
身内を亡くして、しかもトラウマになる痴漢にあったらしいのに、沙也子は律が気にしないようにとその心配ばかりしていた。
子供の頃に律を救ってくれた、優しい女の子。律が今クラスに馴染めているのも、彼女のおかげだ。
優しいこの子が、どうか幸せになりますように。そう願わずにはいられない。
そのためには、あれくらい沙也子のことばかり考えるような男じゃないとだめなのかもしれない。
沙也子が自分のことをおろそかにしても、その分きっと一孝が大事にするはずだ。
そのままの沙也子でいいと思っているから。
守れる距離にさえいれば。
「ところで、後夜祭に出ないって、涼元か誰かに言ったの?」
「え? 別に言ってないけど」
沙也子がぱちくりと瞬く。こういうとこだよな、と律は苦笑した。
人に心配されるのを嫌がるわりに無防備で。しかも、自分のことなど気にかける人は誰も―― 一孝のことさえ――いないと思っている。
沙也子の自己肯定感や自己価値感の低さが律は切なかった。
「涼元に、教室にいるって言っといたほうがいいんじゃない? 私もいるって」
「なんで?」
そんなやりとりをしている間にも、沙也子のスカートからスマホの振動音が聞こえてきたのだった。