Dear my girl
女子トイレの出口を出たところで、沙也子ははたと立ち止まった。
(まずい……。どっちから来たんだっけ)
案内板に導かれるままに来たときは覚えている自信があったのに、帰りは視界が逆になったからか、どっちに行くのか咄嗟に分からなくなった。
この薄暗さがさらに方向を混乱させている気がする。
うろうろした結果、ひと気のないところに来てしまった。
電話をするべきだろうか……。大丈夫だと言った手前、迷っていると、いきなり声をかけられた。
「どうしたの? 迷った?」
40~50代くらいの男性だった。
一見、人の良さそうな、いかにも優しいお父さん風だ。
けれども、沙也子は顔をこわばらせた。
似ている。
――こちらを探るような笑みが、あの時と。
草むらに押し倒されたセーラー服の自分が脳裏に浮かび、耳の奥で金属音が響いた。耳鳴りだった。
怖い。ただ話しかけられているだけなのに、足がすくんで動かない。
「具合でも悪いの?」
男性が手を伸ばしてくる。
(いや……、やだ、)
はくはくと呼吸を詰まらせている沙也子の前に、黒い壁が現れた。
「……こいつに何か?」
地を這うような低い声。一孝の声だった。
黒い壁は彼の背中であり、そのことに気づいた瞬間、沙也子は彼のコートをぎゅっと掴んだ。
「……ひっ、い、いや、なにか困ってるのかと思って……。大丈夫なら、いいです」
そそくさと男が去って行く。
一孝が顔だけ振り向いたので、沙也子はびくっと首をすくめてコートから手を離した。
「あの、ごめ……」
「謝るなよ。お前はなにも悪くない」
一孝は体ごと沙也子に向き直ると、背をかがめて視線を合わせた。
心配そうな顔で見つめられ、沙也子は目の奥が熱くなった。
「でも……、話しかけられただけでこんな……。ばかみたい」
「暗いところでいきなり知らない男に声をかけられたら、誰だって怖いに決まってるだろ」
「……大丈夫とか言って、迷ったし」
「ああ、谷口は迷うと、まず右に行く癖があるからな」
おかしそうに、ふっと笑われる。
沙也子はようやく肩から力を抜いた。つられて笑みを浮かべる沙也子を見て、一孝もホッとしたようだった。
「歩ける? ちょっとどこかで休むか」
「うん……、大丈夫。そろそろお腹すいてきたね。そうだ、イルカショーまだ大丈夫かな」
心配をかけたくなくて、沙也子は話題を変えた。スケジュール案内を探してきょろきょろしていると、一孝はポケットからスマホを取り出した。何度か指を滑らせる。
「あと1時間くらいある。昼飯でも食うか」
それから沙也子に腕を差し出した。
「嫌じゃなかったら、袖掴んでて。すげえ危なっかしいっつーか、ついてきてるか心配になるから」
そこまでひどくはないと複雑な気持ちになったけれど、膝の力が抜けかけていたので、素直に掴ませてもらうことにした。
「……ありがとう」
(来てくれて……)
そっと袖をつまむと、より近く一孝の存在を感じ、安堵が全身に広がった。