Dear my girl

 顔に出さなかった自分をほめてやりたいくらいだった。
 もしかしたら、イルカショーの時も気のせいではなく、彼は沙也子のことを見ていたのかもしれない。でも、どうして?

 急に律の言葉を思い出した。


『他でもない沙也子だったから――』


 あの時は、ただ単に幼馴染を助けてくれただけだと、深く考えもしなかった。だって、本当にずっとそう思っていたから。

 けれども、彼への想いを自覚してから、一孝の優しさに少し疑問を感じるようにもなっていた。
 ここまでしてくれるものだろうかと……。

 ちらっと一孝に目を向けると、目が合ったので、沙也子は笑顔を取り繕った。

「綺麗だね」

 そして――息を飲んだ。

 ゆっくりと上がる口角。緩めた頬。その瞳はひどく優しげで。

 青く光るガラスに満ちた水中を、クラゲたちがふわりふわりとたゆたっている。揺らめく光に照らされる彼の顔が、とても綺麗だと思った。


 そして、どうしよう、とも。


 沙也子はそっとクラゲへ視線を戻した。

(いつから……? どうして……)

 沙也子の気持ちがバレたからだとは考えにくかった。顔や態度には絶対に出していない自信がある。

 甘えすぎたから? 距離が近くなったから? 
 でも、一孝が沙也子を好きになるなんて、思いもよらなかった。
 ――沙也子なんかを。


 例えば、ここで告白をしてしまえば、交際が始まったりするのだろうか。そして、沙也子の過去を話さないまま、付き合うことは可能なのだろうか。
 沙也子は一孝が怖くないし、このまま黙っていれば、普通に……。
 そこまで考えて、無理だと思った。沙也子が抱えていられない。


 指先が、すっと冷えていった。
 足元からじわじわと冷たい感覚が這い上がってくる。
 だというのに、喉の奥は焼けるように熱い。

 
 恐怖だった。
 沙也子は、自分の過去を一孝に知られてしまうのが怖かった。


 好きでいるだけならよかった。
 ただ想うだけなら、辛い思いをすることも、彼を嫌な気持ちにさせてしまうこともない。

 そもそも、付き合ってしまえば、別れはつきものだ。幼馴染としてなら、ずっと仲良くしていられる。

 もしかしたら、沙也子が迷惑ばかりかけているから、絆されて勘違いしているだけかもしれない。
 このまま気づかないふりをして、彼の気持ちが冷めるのを待つか、卒業してしまえば沙也子はお世話になっているあの部屋を出る。
 彼も進学して視野が広がれば、他にもっともっと相応しい人がいると気づくはずだ。

 胸がぎゅっと締めつけられるように痛んだ。


(……傷つく資格なんてないのに。わたし、なんて嫌な子なんだろう)


 何度も助けてくれたこと。
 変なことなんてするわけないと、信頼していると言った時の傷ついたような顔。
 さっきだって駆けつけてくれた。沙也子は悪くないと言って落ち着かせてくれた。

 いろいろなことが頭をよぎり、沙也子は大声で泣き出したいほどの衝動に駆られた。

 それでも。沙也子なんかよりも、他の人に目を向けた方が一孝のためだと思えば、自分の気持ちを誤魔化すくらいわけないのだと。そう思うしかなかった。

(だから、今だけ……)

 不規則にゆらゆらと揺らめくクラゲたち。
 青い光に包まれながら、沙也子は一孝の袖を摘む指に力を込めた。
< 79 / 164 >

この作品をシェア

pagetop