君の香りに囚われて
朝から自分の作業があるから、作業部屋に一緒にいて
とティンに言われていた。
今日は大学での授業のない日だったから、午前中からマンションに来ていた。
初めて入る部屋。
そこはたくさんの機械に囲まれていた。
入ってからキョロキョロと辺りを見回す。
大きなデスクの上に、パソコンとモニターがいくつも並んで置いてある。
キーボード。
あとはよく分からない機械達。
マイクもあるんだ。
ここで歌ったりもするのかな。
ああ、作業っていうのは曲作りのことなのかな??
と苺花は考える。
素人の苺花には何が何だかさっぱり分からない。
機械だらけなので、どこにいたらいいのかも分からない。
「わーなんか怖い。
触ったら壊しちゃいそう、、、。
私機械と相性が悪いの。
私が触るとみんな壊れちゃうんだよ。」
苺花はそう言って悲しそうな顔をした。
極力機械に触れない様にして立っているのが分かる。
肩身が狭そうだ。
悲しそうな顔をしていつも以上に小さく縮こまっている姿が、可愛く見えてしまった。
ティンは思わず笑い声を漏らしてしまう。
「もー。
詩もね。そうやって笑うんだよ。
私は真剣に話しているのにー。」
不満です!っていう雰囲気を思いっきり漂わせて唇を尖らせる。
「ごめんごめん。
可愛くてつい笑っちゃった。
詩ちゃんっていう子の気持ちが分かるよ。
俺もそうやって苺花の側にいられたら良いのにな、毎日楽しそう!
詩ちゃんが羨ましいよ。」
ポツリと呟いた。
「その椅子に座ってて。
側にいてくれたら俺頑張れるから。」
デスクのすぐ隣にある回転する椅子を指さして、ニコッと笑顔を見せた。
苺花は言われた通り、唇を尖らせたままでその椅子に座って邪魔にならないように静かにしていた。
「うん、いい子。」
そう言って、ティンの目が細められる。
機械の音とキーボードを打ち込む音が続いている。
モニターを覗き込んでいる真剣な横顔。
足をあぐらの様に組んで、椅子の上に座っている。
時々身体を左右に軽く振っている。
うんうん、頷いたりしてる。
ティンがヘッドフォンを着けているから、なにか音がしているんだろうけど、苺花までは聞こえてこなかった。
そんな様子を見ながら苺花はぼんやり考え事をする。
ティンを観察しているのは面白いけど、ただ座っているだけだから眠くなっちゃうな。
あっ、そうだ。
なかなか読み進められない本があったんだ。
確かカバンに入れっぱしだったはず。
隣で読もうっと。
そう思いついて立ち上がり、ドアに向かおうとすると、
苺花の動きを横目で見ていたティンが長い腕で苺花を捉えた。
そしてヒョイっと軽く自分の膝の上苺花を横向きにしてに載せる。
絶対に離さない!
っという意志を感じる腕の力だった。
ど、どうしよう、、、。
これって抱きしめられてるんだよね
咄嗟のことで慌てる苺花。
「、、、本を、持ってくるだけだから。離して、、、。
ね。ティン。
お願い。」
ティンの腕を両手で掴んで身体から離そうとしたけど、びくともしない。
こんなに力を入れてるのに!
「ティン。お願いだから!」
焦れて少し大きな声で言いながら振り返る、
すると思ってもいないくらいティンの顔が近くて、驚いてパッとまた前を向く苺花。
伏せられた瞳。
苺花の頬がピンクに染まっている。
その様子を見ていたティンは、少し意地悪をしたくなって、耳の下辺りに鼻先を近づけた。
匂いを吸い込む。
そして軽くキスをした。
「ひゃっ!」
首筋に息がかかる。
くっ、くすぐったい。
苺花の肌が粟立つ。
「あー、、、クムー。」
誰かの名前を呼びながら抱きしめた腕に力を入れて、首に寄せた額をぐりぐりと左右に振る。
ん?クムって何??
チリッと苺花の胸で大きな音がした。
そして無性に腹が立ってきた。
「他の人の名前呼ばないで!!
もう!ティン!離して!」
自分の体に巻きついている長い腕の上に両手をのせて体重をかける様にしてなんとかその腕から抜けようと試みた。
でも、ティンに笑いながら更に抱きしめられてしまう。
逃れられない。
いくら押してもやっぱりびくともしなかった。
「ごめんごめん。ごめんって!!
怒らないで苺花。ふふふっ。
クムっていうのは、、、、
家で飼っていた白い犬の名前だよ。
目が大きくて、毛がふわふわで小さくて可愛かった。
、、、半年くらい前に死んじゃったんだけど、、。
ずっと一緒に過ごしてきたのに。
最期を見送ってあげることもできなかった。
苺花にも会わせてあげたかったな。」
そう言って抱きしめていた腕の力を抜いた。
話を聞いてクムが誰なのか分かったので、苺花は頭にのぼった血が急速に冷めていくのを感じた。
苺花も両手の力を抜いて、ティンの腕の上に載せているだけ。
、、、半年前飼い犬を亡くしたんだね。
きっとティンの精神的不調もそれがひとつの原因なんだろうな。
と思った。
飼い犬も大切な家族だものね、、、。
「苺花の髪の毛が柔らかくて、いい匂いだし、急にクムを思い出して恋しくなっちゃった。」
苺花の肩に頬をのせてため息をつく。
ティンの寂しさがジワジワと伝わってくる。
こうやって誰かの感情が自分の中に流れ込んでくると、その想いに引っ張っられてしまう。
自分のことなど全部後回しにしてその人の為に何かしてあげたいと思ってしまう。
苺花は昔からそういう性格だ。
この性格のせいで、ストーカーを生むこともあるのに。
フッと軽く息を吐く。
分かっているのに、この考え方をやめられないのだ。
それも苺花の一部分なのだから。
ゆっくりと身体の向きを変えて、かなりの間躊躇していたが、そおっと苺花はティンの首に腕を回した。
そして優しく頭を撫でてあげる。
ぎこちない仕草だった。
「大丈夫だよ。
クムもきっとティンを大切に思っていたよ。」
温かい手のひら。
彼女の優しさが伝わってくる。
一瞬動きの止まったティンだったが、すぐに苺花の胸に顔を埋めてギュッと抱きしめ返してくる。
しばらく2人はそうやって抱き合っていた。
とても心地の良い時間だった。
苺花もティンの温もりに癒されていく様だった。
「あたたかいね。」
ティンの頭の上に自分の頬を載せて瞳を瞑った。