君の香りに囚われて


 大学内の学生ホール。

お昼時間はとても賑やか。

同じ敷地内に併設されているので中学生、高校生も利用している。

制服の女の子たち。

つい最近まで自分もそうだったのに。

見かけるたびになんだかあの頃が懐かしいな、

と思ってしまう。


そして、大学生、職員、先生などたくさんの人が利用している。


1番高い校舎の最上階にあるので見晴らしが良く、ホールの学食のランチがとても美味しいので苺花と詩もよく利用していた。


お天気が良く遠くに海も見える。


今日もつやつやしたほっぺの詩が苺花の前に座っている。

長い髪をゆるく編み込んで髪をまとめている。

美しい横顔におくれ毛が掛かっている。

とっても似合ってる。

毎日こうやって詩と一緒にいるのに、その美しさにうっとりとしてしまう。

そして、こうやって髪をまとめている時ってバイトの日なんだよね。


その詩が苺花の方に身を乗り出すようにして話しかけてきた。

「今日さ、バイトの日なの。」

うん知ってる。

詩がバイトの日は暗くなる前にどこにも寄り道することなくすぐに家に帰る苺花だった。

だから今日ももちろんそのつもりだったのだ。


苺花はうんうん分かってますよ!

という表情で頷きながら両手で持ったコーヒーカップを口に運んだ。


学食のランチセットのコーヒーはとっても美味しい。

なんたって、学食のゴリマッチョなマスターがこだわって一杯一杯ドリップしてくれるからね。


いい香りだ〜と詩の話を上の空で聞いていたら

「だからさ。

今日一緒にバイトついてきてよ。

この前会わせたい人がいるって言ったじゃん!

ね?いいよね?苺花聞いてる?」

いつもクールビューティな詩の珍しく興奮した声で我に返った。

その顔を見たら、いいよね?じゃなくて絶対だよ!の表情だった。


「、、、分かったよ。

一緒に行くよ、、。」

ため息をついて返事をする。


苺花の完敗だった。

詩がバイトを始めてから1年とちょっと。

とうとうこの日がやってきたのだ。


はぁー、恋する乙女に敵うわけないんだよ。



 午後の講義を一コマ受けて
ルンルンの詩に連れられて、バイト先の高級韓国料理店に到着した。

エレベーターで最上階に上がると
その先はまるで韓国のお城のような作りの入り口。

ものすごい重厚感で圧倒されてしまった。

苺花はいつも地味で目立たないように気をつけているので、肌を極力露出しない。

今日もなんの飾りもない無地の薄手のロングTシャツに細身のジーンズ。

肩から下げたトートバッグ。

用心のためバケットハットを被って、大きなフレームの伊達メガネをかけていた。


こんな高級店に来るような服装ではなく自分がひどく場違いな気分でますます気が滅入ってしまう。

そんな気分の自分とはうってかわって、詩はなにも気にすることなく入店していく。

入口で動けなくなっている苺花の方をちらっと振り返り

「何してんの?早くおいで。」

手招きしてさっさと奥に入ってしまった。


ど、どうしよう。

苺花が緊張して動けずにいると、エレベーターが開く音がして誰かが降りてきた。


「どうしたの?

お店にご用があるのかな?」

後ろからかけられた声。

イントネーションに微かな違和感を感じて苺花が振り返ると、

黒いスーツを着たとても背の高い1人の男性がすぐ後ろに立っていた。

背の低い苺花がまず目線に入ってきたのは、男性の胸元。

わ!背がとても高い!

驚いて思わず目線を上げる。

胸元から首、その上に小さな顔。

一重だがとても印象深い切長の瞳をしていてとても綺麗だった。

瞳の色はグレーに近い感じで、不思議な色をしていた。

見ていた苺花は吸い込まれそうな感じがして足元がぐらりとよろめいてしまった。


「あっ!大丈夫?」

咄嗟に男性が苺花を支えてくれた。


男性の香水の香りに包まれる。

本当に包まれるという表現がぴったりなくらい。

支えてくれた腕とともに柔らかく抱きしめらられるような感覚に陥る。


印象的な。

今まで嗅いだことのないような香り。


普段男の人があんなに怖いと思っていたはずなのに、この人の腕の中はものすごく暖かくて安心する。


どうしてだろう。


やや間があって、

「あ。すみません。

大丈夫です!

こちらのお店で友達が働いていて、、、」

という話をして苺花は自分の足にグッと力を入れて立った。

「ああ!詩ちゃんの紹介!

うんうん、聞いているよ。

中にどうぞ。」

自然に苺花を軽く支えながら店内に案内してくれた。


「苺花!遅いよ!何してたの?

あっ!ヨルさんこんにちは。

お疲れ様です。」

詩がグレーの瞳の男性をヨルさんと親しげに呼ぶ。


詩の笑顔が可愛い。


、、、この人が詩の好きな人なのかな?


そう思ったら、苺花の胸の奥が小さくチリっと音を立てた。

「???」


思わず手のひらを胸に当てる。

今の感情はなんだろう。


考えていると

「苺花?苺花?大丈夫??」

心配して覗き込んだ詩の顔がすぐ目の前にあった。


「あ、うん。大丈夫。

さっき入り口の前でよろけちゃって。」

と先ほどの男性とのやりとりを詩に説明した。


詩は苺花を心配しながらも、男性に感謝の言葉を述べていた。

どうやら詩は苺花がここで働くこと前提でバイト先の人たちに話をしていたらしく、グレーの瞳のヨルさん以外にも従業員の皆さんを紹介してくれた。


あー、これはもう本当に逃げられないな。


心の中で不安と少しの期待が混ざりあい葛藤しながらも、バイトがんばってみようかな!っと思い始めていた。


そして詩が紹介してくれた皆さんをまとめると、

まずエリアマネージャーのヨルさん。

エリアマネージャーなのであちこちにある系列店を統括するのがお仕事らしい。

ヨルさんは韓国出身の方だった。

だから話し方のイントネーションに違和感を感じたんだな、と納得。

他の従業員もヨルさんと呼んでいるから気軽に呼んで欲しいと言われた。

ヨルさんは声も素敵で頭の上から降ってくる言葉がじんわりと心に染み込んでくるようだった。

ヨルさんはグレーの瞳以外にも鼻筋が通っていて唇が横に大きくてとても綺麗な顔をしていた。


笑顔が美しい。


だから私見とれたのかしら。

私って面食いなんだわ。


苺花は1人で納得した。


あと店長の照山さん。

とても頼りになりそうな印象。

顔の作りはパーツがみんな大きくて笑顔が太陽みたい。

なんでも困ったことがあったら言ってくれよ。と頼もしい!

ヨルさんみたいに背は高くないけどまるで明るくて包容力を感じた。

照山さんにもあまり嫌な印象を持たなかった。

苺花には父親がいなかったけど、きっとお父さんってこういう感じ?と思わせた。



厨房担当の方々も紹介された。

皆さんとても元気で威勢がいい感じ。

ほとんどが韓国の方たちだった。

言葉がキツイ感じがするかも知れないけど、みんな優しいからね大丈夫だよ。

とヨルさんが微笑む。


あとはバイトの子達。

ほとんどが大学生で、詩もそうだけどみんなすらりと高身長で容姿端麗。

ずらりと並んだ様子に圧倒されてしまった。

でも皆さんとても優しくて、すぐ慣れるよ!なんて声をかけてくれた。

すごく有難い。


こんな私が一緒に働いて良いのかしら、とちょっと気後れした。


けれどそんな事などすぐに消し飛ぶ。


驚いたことに、詩の弟も働いていたからだった。

名前は千隼(チハヤ)

ひとつ年下で昔からすごく生意気で小さい頃から詩の家に遊びに行く度にからかわれていた。

「マジで来たじゃん。

苺花!ウケるんだけど。」

千隼が大学生になってから、全然会わなかったのに久しぶりに会ったらこの言い方!

詩にそっくりで可愛い顔をしてるのに詩とは全然違う!


千隼はニヤニヤと笑いながら

「困ったことがあったら店長じゃなくて先輩の俺に言えよ。」

だって。


やたらと先輩のところを大声で言ってきた。

一応素直に

「分かった。ありがとう。」

って笑顔で言ったら変な顔してた。


何その顔って思ったけど敢えて口にはしなかった。

私だって大人になったんだからね。

いつもみたいな子供っぽい言い争いは極力しないように気をつけようと思った。


その後は、襟が詰まった黒いワンピースに白いフリルのついたエプロンを身につけて、髪の毛が落ちないようにとレースのヘッドドレスを着けた。

クラシカルな制服でとても可愛い。

サイズ合わせをしてくれた詩も

「すっごい可愛い!似合ってるよ。こういう制服は苺花みたいな感じの子の方が素敵だと思うわ。」

なんて嬉しいコメントをしてくれた。

えへへ。詩に褒められるの嬉しい。

さっきは他のバイトの子達に圧倒されちゃったけど。

少し自信持ってもいいのかな。

なんてちょっと調子に乗る。

あとは、お店のマニュアルを読んだり、レジ打ちの練習をしたり、接客以外の簡単な仕事を手伝いあっという間に時間が過ぎた。


 ヨルさんは更衣室の隣の事務室兼休憩室でパソコン作業をしていた。

店長さんに10分休憩をもらいペットボトルの紅茶を飲みながら休憩室のテーブルに着く。

思わずヨルさんの背中を見つめる席に座ってしまった。


ヨルさんの叩くキーボードの音だけが響いている。

邪魔をしない様に静かに座っていることにした。


こちらに気がつくとヨルさんは振り返りながら

「苺花ちゃん忙しくない?初日なのに疲れない?」

と 気遣ってくれた。

仕事が始まってからも気にかけてくれて、様子を見に来てくれていた。



グレーの瞳。

美しい笑顔。


苺花が口を開けてぼけっと見とれていると、ヨルさんの顔が心配そうな表情を浮かべる。

「あ!はい!大丈夫です。

バイトしたことがなくて慣れていないので皆さんにご迷惑をお掛けしてます。」

緊張して声が大きくなる。


恥ずかしい!

と自分でも顔が赤くなるのが分かる。


心配してくれるヨルさんのちょっと眉毛の下がったこの表情も美しかった。

少しお話をしてあっという間に休憩時間が終わる。

ヨルさんが特別自分にだけ優しい気がしてなんだか勘違いしてしまいそうになる。

あっ、いけないいけない。

時計を見て、ヨルさんに挨拶をしてからまた仕事に戻る。


なんだかうきうきして、いつもより勝手に笑顔になってしまう。


仕事中、千隼に何度かちょっかいを出されたけど、全部笑顔でかわすことができた。

千隼はあてが外れたような感じでちょっと悔しそうだった。


千隼は相変わらず子供っぽい。
うん。


交代のバイトの人が数人来たので、詩と一緒に挨拶をして、退勤の準備をする。


時間がなかったからまたゆっくりお話ししようね。

って声をかけてもらってホッとする。


女の人が多くて、みんな新人に優しくて仕事しやすそう。

と思った。


詩がバイトを勧めたのもこういうところだからか、

と納得した。


勤務時間が終わってヨルさんに最後挨拶をして韓国料理店を後にする。

バイバイって苺花にだけ小さく手を振って見送ってくれた。

苺花も照れながら小さく手を振りかえした。

きっと顔が真っ赤だっただろうな。

恥ずかしい、、、。



外に出ると、夜風が気持ち良かった。

充実した気持ちで駅まで数分歩く。


「なんだかんだ言って楽しそうに働いてたじゃん!」

詩がいたずらっ子のような表情を浮かべて歩きながら苺花の顔を覗き込んでくる。


苺花は久しぶりにすっきりとした顔で

「うん!楽しかった!!

お店の人たちみんないい人だったし!

千隼がいたのには驚いたけどね。

詩に何も聞いてなかったし。」

と口を尖らせて拗ねた顔をして詩を見上げる。


「千隼のことを言ったら、苺花が絶対嫌がると思ったからさ。

ごめんね。

でもここのお店の人たちは絶対に苺花に嫌なことはしないから!

大丈夫だよ!

何かあったらさ、照ちゃんに言えば良いんだよ!」


ん???
照ちゃん、、、

照ちゃんって誰だっけ

紹介してくれたスタッフの皆さんのことを思い出す。

照ちゃん。照ちゃん。照ちゃん。

1人づつ名前と顔を思い出そうとする。


ん!?照ちゃんって店長さんの照山さんのこと?

ものすごく引っかかる

照ちゃんって何?!

苺花の大きな瞳がさらに大きく開かれる。

驚いて声が出なかった。


そのまま詩を見つめて固まる。


「あー、あのね。

私、照山さんとお付き合いし始めたの。

バイト始めてからずっと片想いだったんだけど、やっとオッケーもらえたの。

だからさ、どうしても苺花に会わせたかったんだよ。

でも忙しかったね。

全然ゆっくり三人では話せなかったね。」

詩も立ち止まって綺麗な指先を両手で全部合わせながら話をしてくる。

その横顔が更に輝いているようで美しく苺花は見とれてしまう。


詩にこんな表情をさせるなんて

照山さんすごいな!

と感心する。


そして何故だかホッとする。


そうなんだー詩の好きな人は照山さんか!

ヨルさんじゃなかったのか。


「???」


また自分の感情を確かめる。

胸に手を当てたら、ほっとため息が出た。


ヨルさんじゃなかった。

ヨルさんじゃなかった。

何度も心の中で繰り返した。



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