君の香りに囚われて
苺花は自宅のリビングで昨日の出来事をぼんやりと反芻していた。
カーテンからのぞく太陽が眩しい。
眩しすぎて目が開けていられない。
椅子の上に両足を乗せて抱え込む。
朝から着替える気力もなくてパジャマのままでいた。
そして身体に残る鈍い痛みを感じていた。
、、、昨日。
ティンのマンションに行った。
一昨日、大学の授業で提出するレポートが終わらずかなり遅い時間までパソコンとにらめっこしていた。
気がついたら明け方になっていて、
寝不足のまま慌てて大学へ行き授業を受けて、午後からマンションへ。
リビングでティンと映画を見ながら話をしていたはずなのにいつの間にかうとうとしていた。
マンションのソファの座り心地が良すぎる。
フカフカで包み込まれる感覚。
脱力してソファに沈み込んでいると、そっと引き寄せられて、ティンの肩にもたれさせてくれた。
優しく回される腕にとても安心して、ティンがふふふって小さな声で笑っていたのが聞こえていたけど、その後の記憶が曖昧。
多分寝ちゃったんだろうな。
どのくらい眠っていたのだろうか。
はっとして目を覚ますと
ベッドに寝かされているようだった。
横向きになった頬にふかふかの感触。
首筋に感じる吐息。
少しくすぐったい。
ここはどこだろう?
見覚えのない景色だった。
苺花が一度も入ったことがないティンの寝室だろうか。
天井が真っ白い。
横向きのまま目だけで辺りを見回すと、大きなベッド以外何もなさそうな部屋だった。
クローゼットと廊下に続くドア。
大きな窓には落ち着いた色のカーテンがかかっている。
空調がちょうど良くてとても心地よい。
そして、何よりも横になっているこのベッドの寝心地といったらなかった。
身体の凹凸にフィットしてシーツもツルツルですごく気持ちいい。
これはぐっすり眠ってしまっても仕方ない仕様だわ。
しばらくベッドの感触を堪能してから、身体を起こそうとすると、身動きが取れない事に気がついた。
「ん、、、?あれ?」
ずいぶん窮屈だと思っていたら、横向きになったティンに抱き枕のように腕の中に捉えてられていたのだった。
そのティンの吐息を首筋で感じていたのだった。
苺花の手の甲にはティンの手が重ねられていて、指の間に指を入れられていた。
じんわりと温かい。
そして腕が一本乗っているだけなのに、ものすごく重たい。
鍛え上げられた肉体がこうやって脱力するとものすごい重量なのね。
微かな寝息を立てているティンの顔を見ようとそっと手を外して身体の向きを変える。
顔にかかるシルバーの髪。
長くて濃密なまつ毛。
綺麗な鼻筋。
唇は微かに開いている。
真珠みたいな小ぶりの前歯が見える。
そんな寝顔も美しい。
ビスクドールのような陶器でできた肌。
こんなに至近距離なのに毛穴が見つからない。
この美しい顔を見た後で、自分の間抜けな寝顔を見られていたのかと思うと本当に恥ずかしくて、汗が出てきちゃう。
ティンはぐっすり眠っているようで苺花がティンの腕からなんとか抜け出そうと必死に身体を動かしても全然目を覚さなかった。
それどころか逃さないようにティンの腕に力がこもってさらに近くに引き寄せられる。
長い足も乗せられてしまって益々逃げ出せなくなった。
「んーーー」
ティンの眉根がぎゅっと寄せられて、夢見が悪そうな感じだった。
「わぁ、ごめんごめん。」
小声で謝って、優しく顔にかかる髪の毛を払ってあげる。
よく眠っているので起こすのがかわいそうになってしまった。
はーっと息を吐いて、びくともしない腕から逃れるのを諦める。
仕方ないからティンの顔でも眺めていよう。
こんな綺麗な顔を間近で見ることが出来るなんてあり得ないことだもの。
どうしたらこんなに美しく生まれるのかしら。
その上たくさんの才能を持ってて。
大勢の人たちに愛されている。
けれど、天才はやっぱり孤高の存在なのかしら。
悩みは深そうだけど。
凡人の私には想像も出来ない。
でも、ティンはそんな凡人の私を側に置きたがる。
とても不思議。
彼の周りには沢山の人がいるはずなのに。
苺花よりも何倍も美しい女の人だっているはずなのに。
などと止めどもなく苺花の頭の中で次々と言葉が生まれる。
苺花は何とかうつ伏せの状態になって、膝をついてよいしょと上体を上げる。
そのままじーっとティンの顔を見下ろしていると、
長いまつ毛が震え出し、そっと瞳が開かれる。
「、、、あ。苺花。
よかった。
ここにいたんだね。」
苺花の顔を見上げて心底ほっとしたような顔をした。
腕に力がこもり、きゅっと抱きしめられ、上体を起こしたティンにキスをされる。
ティンはまだ夢を見ているようだった。
「ね、ティン起きて、、、。
寝ぼけているの?」
苺花がティンの胸を両手で押して離れようとするが全くの無駄だった。
そればかりか、焦りからかじんわりと汗をかいて、強い香りを漂わせてしまう。
誘われるように首元に寄せられた鼻先。
一番最初に出会った時のようだった。
匂いを嗅いだティンが蕩け切った表情で一度苺花を見つめ深いキスをしてきた。
そして苺花を身体の下に組み敷いた。
「すごく良い匂いだ。」
美しい微笑み。
思わず見惚れる。
それで。。。。
そのまま。。。
身体を重ねることになったのだった。
「わーー!」
苺花は頭を両手で抱える。
以前ティンとキスをした時のように、ものすごく自然な流れだった。
初めてのことだったのですごく不安だったけど嫌ではなかった。
やや強引ではあったけれど。
どこかでブレーキをかけなければいけなかったのだけど、、、それはとてもできなかった。
自分の中の強い衝動。
本能というのかな。
ティンと一緒にいたいと強く強く願ったのだ、、、。
自分の唇に指先を当てる。
本当にティンと抱き合ってしまったんだ。
どうしよう。
どうしよう。
そんな言葉だけが頭の中をぐるぐる回っていた。
、、、ヨルさんに話さなければいけないかしら。
それも、どうしよう。
、、、ヨルさんに知られたくない。
というが正直な気持ちだった。
自分の狡さに涙が出そうになる。
傍らに置いた携帯電話が通知音を鳴らしているのに、気がついた。
、、、相手はきっとティンだろう。
あと少ししか一緒にいることができない。
そのことを彼はどう考えているのかな。
そして、今後は苺花自身もどうするつもりなのか、
2人で話さなければいけないことはきっとたくさんあるのに。
現実から目を背けたい。
苺花は親指の爪を噛みながら、意を決した様な顔をして携帯電話を手に取ったのだった。