君の香りに囚われて
ティンは苺花が自宅に帰っている間は作業部屋に籠って曲作りをしていた。
苺花と過ごす様になってから、自分の五感がさらに冴え渡り次から次へとアイデアが浮かぶ様になっていた。
彼女の顔を思い出す。
匂いや手触り、声、雰囲気、全てが刺激となっていた。
何かに没頭していないと、自分自身をコントロールできなかったという理由もあったのだが、次々と自分の中から湧き上がって来る曲や詩と向き合い、改めてこの仕事の面白さを噛み締めていた。
そして、自分にはこの仕事しか出来ないということも同時に痛感していた。
失うことのできない大切なものだと。
それに気が付かせてくれたのは、他でもない苺花だった。
こちらも失うことのできない大切なものだった。
帰国の迫る今、両方とも自分には無くてはならないものだったが、両方とも選べないということも分かっていた。
ティンが今作っている曲はどれも苺花への気持ちを綴ったものだった。
恋をしている。
それも一生に一度だと思う。
こんなに深く誰かを想うことはもうきっと無い。
その気持ちが漏れ出ていて、聞く人にはきっと分かってしまう。
それでも作ることをやめられなかった。
簡単にデモをいくつも作り、休暇が終わったら他のメンバーにも聞いてもらわなきゃとワクワクしていた。
ティンと苺花。
2人それぞれの時間を過ごす。
ティンが夢中で仕事をしている間、苺花は自宅で静かにぼーっとしていることが多かった。
たまに訳もなく涙が溢れて止まらなくなり、戸惑う。
世界中でまるで一人ぼっちになったような感覚に陥る。
仕事をしている母親の為に料理を作るのだが、自分はあまり食欲が湧かずにいた。
いつも美味しい!って喜んでくれる母親も最近また帰りが遅く、作った料理は冷ました後にラップをかけて冷蔵庫にしまう。
今はすれ違いでほとんど顔を合わせることがなかった。
夜遅く帰ってきて料理は必ず食べてくれてお皿も洗って置いてある。
たまに「いつもごちそうさま!」ってメモが置かれたりしていた。
そんな毎日なので、多分苺花が外泊しても気がつかないかもしれない。
無関心というわけではないけど、あっさりとした親子関係なのだ。
余り執着がない。
心配。。。もされていないのかもしれない。
ただキラキラした目で仕事に没頭している母親の邪魔に苺花はなりたくなかった。
お母さんも悩んだりするのかな。
いつも元気いっぱいで、病気もしたことがない。
お母さんが泣いたところも、病気で寝込んでいる姿も見たことがない。
女性が外で仕事をするにはまだまだ大変な場面がいっぱいあるだろうと思う。
それでも毎日遅くまで仕事をして苺花を育ててくれている。
何不自由ない生活。
苺花としても別段不満はないのだ。
ただ、この足元が不安定になるような寂しさは一体何なのか。
胸に小さく空いた穴をスーッと風が通り過ぎていくような、そんな感覚。
その風はいつも吹いていてどんなに楽しい時間を過ごしていても塞がらなかった。
それがティンに会うようになってから、いつの間にか感じなくなっていたのだ。
一緒にいる時とても心が満たされるからなのか。
不安定だった足元が固まって、やっと真っ直ぐに立てる。
そんな感覚だった。
会いたかった人に出会えた、ということなのかもしれない。
また明日も会える。
そんな気持ちで毎日自分のベットに横になる。
眠りが浅くていつも夢を見ていた。
どんな夢なのか起きると覚えていないのだけど、いつも涙が流れていた。