君の香りに囚われて


 ヨルさんと話をして、ティンの帰国後落ち着くまでアルバイトもお休みさせてもらうことにした。

その代わり連絡すれば苺花に会えるように仕事を調整してくれると約束してくれた。

だから、今はティンと別れることばかり考えすぎないで、思い残すことがないように過ごして欲しいとお願いされる。


ヨルさんはどこまでもとても優しい。

今は一人で立っていられそうにない。

ヨルさんの言葉に寄りかかって甘えても良いのかな。


「どうしてこんなに優しいのですか?」

と聞くと

困ったような顔をして

「苺花が好きだからだよ。
君のためになんでもしてあげたいんだ。」

と率直に答えてくれる。


苺花を見つめるこのヨルさんの切ない表情。

大人の男性なのに、苺花よりも歳下の男の子のようだった。

ヨルさんは仕事ができて、自分よりも大人で何でも卒なくこなして揺るがない。
そんな風に感じていたけど、こうやって素直に自分の気持ちを伝えてくれたり、表情に出してくれたりすると、そんなことはないんだなって微笑ましくなる。

人間味があるというか。

ヨルさんも1人の若者なのだということに気がつく。


そのままティンのマンションの駐車場まで送ってもらうことになっていた。

今、1番優先するべきなのはティンのことだった。

全てはティンのため。

ヨルさんと苺花に課せられた使命。

ヨルさんにとっても苺花にとってもティンはとても大切な人だったから。



「本当は僕だってこうやって君と離れるのは辛い。」

ハンドルに両手を置いて、ため息混じりにヨルさんが呟く。

今までのヨルさんからは考えらないような素直な言葉だった。

ちょっと驚いて目をまんまるにしてしまう苺花。

こんな言葉がヨルさんの口から出るなんて信じられなかった。


そして、、、ヨルさんもまたずっと自分を押し殺して生きてきていたということに気がついた。

ティンと同じ生き方だ。


一度『君が好きだ』ということを強く自覚し、言葉を表に出してしまったヨルさんは、もう自分の気持ちを隠すようなことはできないみたいだった。


苺花は何も答えられずに、運転席から伸ばされたヨルさんの手をそっと握る。

ヨルさんの手の温もりを感じる。
優しい手。
いつでも。


「ありがとうございます。」

戸惑いながら微笑み、手をそっとほどくと車から降りる。


「あっ。そうだ、ちょっと待って。

これティンの好きなサンドイッチ。

作業に没頭していると食事を摂らないだろうから買ってきたんだ。

沢山あるから苺花も食べて。ね。」

後部座席に置いてあったクーラーバッグを引き寄せて苺花に渡してくれる。


「ありがとうございます。ちゃんと食事するように話しますね。」

苺花がニコリと微笑む。


ヨルさんは本当に優しい。

ティンのことも苺花のこともこうやって気遣ってくれる。


ドアを閉めると、名残惜しそうな表情のヨルさんだったが、すっと背筋を伸ばし前を向いた。

片手を軽く上げて苺花に挨拶をしてからゆっくりとアクセルを踏んで車を発進させる。

車が駐車場から出て行くのを見送る。
車はゆっくりと滑るように静かに出口から消えていった。



しばらく車が消えていった方向を見ながら立ちすくんでいた苺花だったが、気を取り直してバッグから携帯電話を取り出す。

ティンに到着のメッセージを送る。

すぐに返事が返ってくる。

「作業部屋にいるから入ってきて。」

という内容だった。



薄暗い駐車場の奥にあるエレベーターに暗証番号を入力して乗り込む。

ティンの部屋までは数十秒。
高層マンションだというのにあっという間についてしまう。

その間に、エレベーターの鏡に映る自分をチェックする。

不自然なところがないか確認し、素早くリップを塗り直す。


確かにヨルさんの言う通り痩せたのかもしれないと改めて自分の姿を鏡で見て思う。

そういえばこのワンピースを試着した時はこんなに大きく感じなかった、、、。
言われるまでちっとも気がつかなった。

フワッとしたシルエットだからそんなに痩せているのは目立たないかな、ヨシ!と自分で自分に合格を言い渡す。



最上階に着いて、エレベーターの扉が開く。

玄関を入って二つ目の扉。

そこがティンが音楽制作をする作業部屋だった。

たくさんの機材が所狭しと並んでるし、素人には何が何だかさっぱり分からない上に、触ったら絶対壊しそうだから、入るのにもためらわれる部屋なのだ。


自分と会っていない時間は睡眠もとらず作業部屋にティンが篭っているのは知っていた。

休暇中なのに仕事熱心なことにとても驚いたが、身体も心配だったので少しでも休むように話したけれど、ティンは言うことを聞いてはくれなかった。


苺花が何か言おうとすると、すぐその内容を察知してキスをしてくる。

本当に口を塞がれてしまうのだ。

何度も何度も。


そのまま寝室に連れていかれることも多く、余り余計なこと言わせない雰囲気を作り出す。

雰囲気に流されてしまう自分も悪いのだが、ティンに翻弄されていつの間にか言いたいことどころではなくなってしまう。


思い出すだけで頬が熱くなる。

両手で熱くなった頬を包む。

恥ずかしい。

何を思い出しているのよ。

両手でパチパチと頬を叩いて思考を外に追い出そうとした。


気が緩んで苺花から芳香が放たれる。
まるでオーラのように苺花の周りがピンク色に包まれたようだった。

自分の考えを振り払う様に頭を振ってから深呼吸して
作業部屋の扉をノックする。

すぐに返事があって、苺花は小声で「失礼します。」と声をかけてから扉を開ける。


機械に囲まれたティンが椅子を回して振り返る。


曲作りが上手くいってるのかな。

機嫌が良さそう。

とてもいい笑顔だった。

苺花においでおいでと手招きをしてくる。


それに誘われて近くに寄ると、ティンの表情が急に変わった。


「え?」


苺花の腕を掴むと自分の方に引き寄せてから、いきなり横に抱えて抱き上げた。

手にしていたクーラーバッグが遠くに投げ出されるのを目で追う。


ヨルさんのサンドイッチ!!


「え?ティン!どうしたの??」

突然のことに苺花が驚いてティンの首に腕を回して抱きつく。

自然に自分の首に抱きついてきた苺花に、嬉しくなって頬が緩むティンだったがそんな表情を苺花には見せなかった。

苺花の問いには何も答えずに、大股でズンズンと廊下を進み、部屋を出て、寝室のドアを開ける。


「やだ。ねえ怒ってるのティン。

なんで?やだ。こんなのやだよ。」

慌てる苺花をポンっとベッドに投げ出す、起き上がる隙も与えずにティンが覆いかぶさる。


無言。


グレーの瞳が苺花の内面を探ろうと、じっと瞳の中を覗き込む。

綺麗な顔をしているだけに、無言でのこういう表情のティンはとても迫力があって怖い。


苺花が何かを言おうとすると、すぐに口を塞ぐキス。

逃れられないように両腕を抑えつけてくる。


「んっ!んうっ!いっや!」

キスをしながら器用に背中のファスナーを下ろして首元についていたリボンも外す。

広く開いた襟元から肩が見える。

すぐに苺花の肌は明るい光の元に晒されてしまう。

カーテンは開いたままだった。


ティンが苺花の肌を確認するように隈なく撫でる。

全部ティン自身がつけた跡だらけだ。


段々と煽られて苺花の身体が熱くなってしまう。

すっかりティンの愛撫にすぐに応えられるような身体になってしまっていたことに羞恥心を覚えて抗議しようとするが言葉にならなかった。

彼の与えるひとつひとつの刺激に小さな声が漏れるだけ。、



ティンは洋服を着たままなのに、苺花だけ全て剥ぎ取られてしまっていた。

隠そうとしても無駄だった。

両腕を掴まれて頭の上でひとつにまとめられている。

嫌だを発する前にキスをされるので、荒い息を繰り返すだけ。
ティンが何をしようとしているのか分からず混乱する頭の中で、ふと思いついた。


、、、ヨルさんに会ったからだ、と。


理由が分かり抵抗をやめて、身体の力を抜く。

顔を横に背けて、ティンが満足するまで静かに目を瞑っていた。



しばらく夢中で苺花に触れていたティンだったが、苺花がじっと動かなくなったことに気がついた様で、
苺花の両腕をまとめていた手を離すと、背中に手を入れてそっと抱き起こした。


フワッと毛布で身体を包み、

「ヨル兄さんに会ってた?

匂いがついていたから、頭に血が上っちゃった。

ごめんね。

でもなにもされてないね。

よかった。安心した。」

と素直に謝り抱きしめてくる。


苺花の微かな変化にティンはとても敏感だ。

多分離れている時間の間に不安を募らせているからだろう。

片時も離れることなく常に側に苺花を置いておくことが彼の望みなのだ。

ヨルさんに置いていかれた時の心の傷がまだ彼の中で癒えていない。

、、、そんな気がした。


けれど、それだとティンも苺花もダメになってしまう。

お互いを求め、お互いに依存し、どこにも進まなくなってしまうだろう。


それが分かっていたので、苺花は夜には必ず自宅に帰るようにしていたのだった。

ティンにはいつも引き止めらた。

「帰らないで。」

と言われる度に心は揺らいだが、
「お母さんが待っているから」
といつも言い訳をして振り切っていたのだった。


一緒にいる時間が長くなればなるほどきっと別れが辛いから。


苺花が何も答えられずにいると、不安そうな瞳でティンが覗き込んでくる。


不安なの?

私だってそうだよ。

苺花と近づいたことで安定していたのに、別れを前にまた不安定になってしまうのだろうか。

こんな瞳のティンを見ていると本当に辛い。


「、、、ティン。ね、聞いて。」

首を傾げてティンの顔を見つめる。

少しだけ唇が開いている。


その上目遣いにティンの胸が高鳴る。

色香を含んだ芳香を放ち、グッと大人らしくなった苺花。

同じ歳のはずなのに急にお姉さんになったように見えた。


ティンの瞳が揺れる。

「やだ。」

ティンは子供ように顔を背ける。

聞きたくないと耳を塞ぐ。


頑なな態度に苺花は小さなため息をつく。

「、、、そう。わかった。

聞いてくれないなら帰る。」

低い声色ですっぱりと宣言する。


毛布を巻いたままでベッドから立ち上がり、剥ぎ取られた下着や洋服を拾って集めていると、

「やだ、やだやだやだ。

苺花行かないで。」

慌ててベッドから降りてきたティンに後ろからギュッと抱きしめられる。

「いなくならないで。

ここにいて。

俺の側にいてよ、、、。

お願いだから。」



「、、、じゃあ話聞いてくれる?

私たちには時間がないの。」


しばらく沈黙があって、
ぎゅっと苺花を抱きしめていた力が緩む。


「、、、うん。、、、分かってる。

ずっとこのままでいられないことも分かってる。」


苺花がティンの方を振り返り、俯いた頬に手を添えて顔を上げさせる。


潤んだグレーの瞳。

澄んでいてなんて綺麗なんだろうと感動してしまう。


それから2人でポツリポツリとお互いの気持ちを話しあった。


出会ってから短い間だったけど、お互いのことをすごく求め合ったこと。

誰かにこんなに気持ちになることなど初めてだったからお互いにどうすればいいのか分からなかったこと。

2人ともどこかに寂しさを抱えていたのは一緒だったから、会っている時間は幸せでその寂しさを忘れられたこと。

全然違う人生を歩いてきた2人なのにどこか似ていて、2人でいる時間がすごく自然で心から安らげた。



でもそれはモラトリアム。

大人になっていく2人に与えられたほんのひとときの猶予期間。


またお互い違う道を歩んでいくのだ。

2人とも涙でお互いの顔が見えないくらいに泣いて、そしてまた肌を重ねた。

これ以上甘くて濃密な時間を過ごすことはきっとこの先の人生でもないだろう。



そのくらい満たされてとても幸せな時間だった。


合間に何度も『愛している』を繰り返した。


言われるたびに胸が痛んだ。


この声を一生覚えていよう。

大切にしよう。

心の底からそう思った。




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