君の香りに囚われて


 明け方の自宅のリビング。

タクシーで苺花が帰宅すると明かりがついていた。


お母さん寝てると思ったのに。

玄関も極力静かに閉めたし、物音を立てないようにゆっくり静かに行動したが、それは無駄なことだったようだ。


玄関から真っ直ぐ廊下の突き当たりがリビング。
そのドアの隙間から明かりが漏れているのが見えたのだ。


わー無断外泊しちゃったもんね。

怒っているかな。


静かに静かに、足音を立てずに廊下を進む。

ドアの前まで来て様子を伺っていたが、
諦めてそっとリビングのドアを開ける。


ダイニングセットに座り両肘をテーブルの上に置いて手を組んでその上に額をつけた母親がうとうとしていた。


そんな姿初めてみたよ。

自然と心の中で謝罪する。


「お母さん。ごめんね。」

そーーっと声をかけると、
パッと反射的に顔を上げた。

「あっ。あーーー良かった。

連絡がないから心配してた。」

苺花を見上げる母親の表情。

本当に心配してくれていて、安堵した顔だった。

「うん、うん、ごめんね。

本当ごめん。」

言いながら涙が後から後からポロポロと落ちていく。



立ち上がった母親がフワッと抱きしめてくれる。

小柄な苺花は母親の腕にすっぽりと包まれる。


「苺花の様子がなんかおかしいのは分かってたよ。

苺花から何にも話がないから聞かなかった。

なにか悩んでいたんだよね。

ずっと気にはなってたの。

だけど自分で考えてきっと乗り越えるだろうと思って黙ってたんだ。

その顔は乗り越えて帰ってきたんでしょ?

今日は、連絡ないから最初怒ってたんだけど、苺花の顔見たらどうでもよくなったー!」

ホッとした母親の声を聞いて苺花は泣きながら母親にしがみついてしばらく号泣した。


お母さんは私に無関心なわけではなく、信頼してそのまま見守っていてくれたんだと初めて気がついた。


黙って見守るのもすごく辛いことなんだって、

子供にあれこれ口出しをすることは子供のためじゃなくて親の自己満足だということをお母さんが後で話してくれた。

それは職場で若い後輩を上司として何人も育ててきた経験から学んだことだそうだ。


何度も失敗した。


良かれと思ってしたことはその人の為じゃなかったんだってやっと分かったの。

あの時の辛い経験はこの為だったんだって思ったよ。


お母さんは苺花の髪の毛を撫でながら話してくれた。


柔らかい表情だった。
とっても眠そうな。


苺花と母親もこういう会話が極端に少なかっだと、いうことに気がつく。

お互い避けていたわけじゃなく、表面上は、穏やかに。

まるで凪いだ海のようだったけど。

いつの間にお互いに遠慮して、少しづつすれ違っていたんだと。


恋の話とかお父さんの話とか苺花の特異体質の話とか、もっと気軽にしたらよかったのかな。

心配かけたくなくて口に出せなかったんだ。


お母さんの腕に包まれながら、まるで自分が小さな子供に戻ったように感じた。

こうやってお母さんに頼れば良かったんだ。



「何があったのかお母さんには分からないけど、苺花は私にご飯を作ってくれたり他の家事も変わらずに全部やってくれていたから、お母さんそれに甘えてたね。

ごめんね。

今日午前中お休みとっちゃったからゆっくりしようよー。

お風呂入っといで待ってるから。」

そう言って苺花の背中をポンポン優しく叩いてお風呂に送り出す。


お母さん昨日から寝てないよね。

早くシャワーして出てこないと。

これ以上心配させたらいけないもんね。

ごめんね。



ささっとシャワーだけ浴びて、その日はお昼過ぎまでお母さんのベッドで久しぶりに2人で横になった。

ものすごい安心感に包まれて、自然と笑顔になる。


母親はそんな苺花の顔を見ながら

「小さい頃を思い出すね。

すごい早さで通り過ぎて、こんなに大きくなっちゃったんだなー。」

と言って目を瞑った。

そしてすぐに寝息が聞こえた。


お母さんの元気の秘訣が分かった気がした。


そしてお母さんの匂いを胸いっぱいに吸い込む。

すっかり忘れていた匂いだったけれど。

自分の匂いに似ていると思った。
けれど、どこか母性を感じさせる匂いだった。

いつまでも包まれていたい。

心の傷がまだ痛くて、思い出すと傷口が大きく開いてしまいそうだったから、もう考えることをやめた。


苺花もお母さんの秘訣を見習わなきゃ、とそのまま瞳を閉じたのだった。


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