君の香りに囚われて
次々に飛び立つ飛行機を空港の展望デッキから見送る。
よく晴れていて空が澄んでいるから、遠くまで飛行機を見送ることができる。
ただ吹く風が強くて少し冷たく感じられる。
急いで準備をしたのでそこまで気が回らなかったことを後悔した。
上着を持って来ればよかった。
肌寒さを感じて苺花は思わず両腕を抱える。
いつの間にか季節は移り変わっている。
展望デッキでは家族連れや恋人たちが思い思いに過ごしていた。
飛び立つ飛行機を指差して声を上げている子供の姿が微笑ましく、苺花は笑みを浮かべる。
賑やかな歓声。
幸せな光景だった。
後ろからそっと上着をかけられる。
そして遠慮がちにそっと優しく腕の中に抱き込まれた。
さっきみたいに急に抱き締められたわけではなかったので、怖さは感じられなかった。
むしろ、今だから、抱き締められてとても安心したのだった。
ヨルさんの腕の中は心地が良かった。
「ヨルさん、、、。
寒いのに、すみません。
私なら大丈夫ですよ。」
後ろに顔を向けてヨルさんの顔を見上げる。
慈しみ深い笑みを浮かべたヨルさんは、優しい瞳で苺花を見下ろしていた。
「良いんです。僕がそうしたいんです。
苺花の寒そうな様子を見てる方が辛いから。
、、、苺花。
たくさん辛い思いをさせてしまいました。
でもとても感謝しています。
ありがとうございました。
ティンのあの顔。もう大丈夫。
安心しました。」
そう言葉をかけてくれる。
優しい声。
そして『安心した』と言っている通り、ホッとしたため息を長めについたのだった。
ヨルさんの両肩にのっていた重圧。
やっと下ろすことができたみたい。
少しでも役に立てたようで苺花も嬉しくなった。
「どれがティンの飛行機か分かりませんね。
見送りたかったけど。
どの滑走路かも分かりません。」
抱きしめられながら苺花はキョロキョロと見回す。
身長の低い苺花はヨルさんの胸の辺りに頭がくる。
そこで忙しなく動く頭。
小さい子供の様で、ヨルさんも笑い声を漏らす。
そして頭をそっと撫でられる。
くすぐったくて苺花もフフフ、と笑う。
脱力したヨルさんの頬が苺花の頭の上に乗せられる。
「、、、ティンと一緒に行きたかったですか?」
まるで独り言みたいな小さな声だった。
その問いに一瞬思考回路が止まる。
でもすぐに首を横に振る。
「それは想像できませんでした。
きっとその未来は私たちにはなかったです。
ティンはティンの世界で。
私は私の世界でしか生きられません。
でもこれから私はティンを一生推します。
応援していきます。
CDとかも自分で買います。」
ぐっと両手で拳を作って、力強く宣言して笑う。
今は、ティンを見送ることができて、すごくスッキリした気分だったのだ。
ティンの決心したあの美しい顔を見たら、自分もしっかりしなければと強く思ったというのもある。
凛として。
背筋を伸ばして。
前を向いていかないと。
別れは寂しいけれど、そう決意した。
私の側にはお母さんもいてくれるし、詩も変わらずにいてくれる。
そして、なによりもこうしてヨルさんがいてくれることが心強かった。
背中にヨルさんの存在を感じる。
身体の熱も伝わってきて、苺花の冷えた身体を暖めてくれる。
それは心まで満たされるような暖かさだった。
「僕がずっと隣にいますよ。
仕事が忙しくても、君の側を離れたりしませんから。」
苺花の思考を読んだかのようにヨルさんが話す。
ぎゅっと抱きしめられる。
その言葉にきっと嘘はない。
そう信じられた。
他の男性に心を奪われていた自分をどうしてこんな風に想ってくれるのか、、、。
不思議だったけれど、ヨルさんの気持ちを疑ってはいない。
けれど、どうしてもその心を確かめたくなる。
「本当にずっとそばに居てくれますか??」
苺花から濃厚な芳香が放たれる。
ヨルさんを包み込む。
ヨルさんの顔を見上げながら、嫣然と微笑む。
ヨルさんはその苺花の美しさ見惚れ、また眩暈を起こしそうになる。
グレーの瞳が揺れている。
苺花は、本当に美しく大人の女性へと変化した。
それに驚いていたし、戸惑っていた。
そしてその美しさに妖艶さすら感じて圧倒される。
まるで彼女の前にひざまづいたような気分だった。
「、、、はい。誓います。」
ヨルさんが苺花の匂いにすっぽりと包まれながら、熱に浮かされたような表情で答える。
苺花はその答えに満足そうに頷いた。
そして自分のお腹に両手を置いて優しく微笑みかける。
愛しさが後から後から止め処なく溢れているのをひしひしと感じていた。
今までどんなに楽しい時も心の中を通り過ぎていたあの風は、もう止んでいた。
きっともう吹くことはないと思う。
漠然とだけど自信があった。
「ありがとうございます。
私幸せです。」
抱きしめられながら真っ直ぐと前を向いて言葉を返す。
私は私の世界でこれからも輝く。
たとえどんな未来が待っていようとも。
また一機、青空へと大きな音を立てて飛び立っていく。
その飛行機を見送りながら、苺花は自分の幸せな未来に思いを馳せる。
濃厚な匂いを振り撒きながら。