身ごもり婚約破棄したはずが、パパになった敏腕副社長に溺愛されました

 しかし、嘉月さんはいつもの笑みを浮かべることもなく、なぜか不思議そうにこちらを見つめている。


「君は、ヱモリの……」


 彼の口からこぼれたのは、他人行儀なひと言。妙な違和感に胸がざわめく。


「どうしてこんなところに? それに、なぜ俺の名前を……?」


 ──あまりの衝撃で、一瞬周りの音がなにも聞こえなくなった。まさかと、現実だと信じたくない考えが脳裏をよぎる。

 涙も止まり、ただただ呆然とする私に「ちょっといいか」と伯父様が声をかけてきた。再び病室の外へ連れ出され、彼の口から深刻そうな声色で詳しい事情が語られる。


「嘉月は、頭に強い衝撃を受けたことで脳を損傷して、逆行性健忘症というものを発症しているらしい。今年一月の辺りから記憶が曖昧で、事故までの約半年分の出来事を覚えていないんだ」
「一月……」


 というと、私たちはヱモリで出会ってはいたが、まだ特別な言葉を交わしていない頃だ。ただの店員と客の関係に戻ってしまったということ?


「気の毒だが、婚約したことも記憶にない。思い出せる可能性もあるというがすべては難しいだろうし、いつどんなタイミングで戻るか……」
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