秘夜に愛を刻んだエリート御曹司はママとベビーを手放さない
(仕方ないか。彼にとっての私は、財産目当てに押しかけてきた女だもんね)
「おかえりなさいませ」
 これで会話はおしまいだろうと、軽く頭をさげ彼に道を譲った。ところが――。

「……腰でも痛めたのか?」
「え?」
 志弦は不審そうに清香の顔をのぞき込む。
「変な格好で足を引きずってるから」
 どうやら日舞の練習であることすら、わかってもらえなかったようだ。清香は少しふてくされた顔でつぶやく。
「――日舞の歩き方の特訓をしていました」
「日舞? それが?」
 心底驚いたという顔で、彼はあんぐりと口を開けた。そして、冷淡な口調で続ける。
「悪いが、君の日舞に駒子さんが合格を出す日が来るとは思えない。大河内に嫁ぐのはすっぱり諦めて、さっさと実家に帰ったほうがいいだろう」
 ぐっと言葉に詰まる。

(やっぱり志弦さんは、私がこの屋敷にいるのが嫌なんだな)
 わかっていたことでも、何度も言葉にされると胸が痛む。好きな人に嫌われてしまうのは、なによりつらい。
 けれど、逃げ帰ることもできないのだ。
「ひどいのは自覚しています。でも、同じ不合格でも努力したかそうでないかは大きく違うと思うので」

 清香はまた前を向いて、一歩ずつ進む。志弦の小さなため息が聞こえてくる。
「ここ。この場所にしっかり力を入れる」
 大きな手が清香のおなかを押した。
「丹田は知っているだろう」
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