秘夜に愛を刻んだエリート御曹司はママとベビーを手放さない
「悪かったな。本当はかえって菌が入るからよくないのに。消毒するよ」
 そんなふうに言って、彼は新しいガーゼに消毒液を吹きつけた。
(消毒なんて、しなくていい……したくない)
 内心でそう思っていることは、もちろん彼には打ち明けられない。

 嫌がるウタにあちこち引っかかれながら、なんとか手当てを終えた。骨が折れている様子はないので、病院に行くほどではないかもしれない。
「野良猫ですかね? 近所で飼われているのかな」
「このあたりはペットを飼っている家は多いが……ウタは見かけたことがないな。駒子さんなら知っているかもしれない」
 眠くなってきたのか、ぼんやりしているウタの様子を見守りながら、清香は言う。
「勝手にウタって呼んでるけど、本当はそんな名前じゃないよって思ってる?」
 ウタに話しかけたつもりだったが、志弦が答えてくれた。
「さっきの攻撃はもっと立派な名前があるという抗議だったのかもな」
 このあたりで飼われている猫ならば、たしかに立派な名をつけられていそうだ。清香がくすりと笑うと、志弦も柔らかく口元を緩めた。

「この屋敷には慣れたか?」
「はい。やっと全容を理解しました」
 母屋以外にも離れやら蔵やら、時代劇に出てくる大名屋敷のようなのだ。
「花嫁修業はどうだ?」
 志弦の口からその単語が出たことに、かすかに心が痛んだ。
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