ぼくらは薔薇を愛でる
「ねえ、パープル。これも入れて」
荷物をまとめている侍女パープルに、クラレットが声を掛けた。
「はい、わかり――こっんなに持っていってどうするんです?!」
振り向いたパープルにギュッと押し付けたのは、両腕で抱えるくらいの袋に入ったドライラベンダーだった。
バーガンディ侯爵領カーマインではラベンダーが盛んに栽培されている。初夏に咲く花を刈り取って生花として出荷する他、様々なものに加工する。フレッシュのまま茶葉や砂糖に漬け込めば菓子に利用できる。蒸留酒に漬け込めば虫刺された時に役立つチンキになる。その加工されたものの中の一つがドライラベンダーだ。花部分だけを乾燥したもので、その香りは衰える事なく愉しませてくれる。石鹸、ポプリ、ハーブティなど使えるが、クラレットはこれを、趣味であるクマのぬいぐるみの中に綿の代わりに詰め込んでみたらいいのではと思いついて、今朝、クラレットが抱えられるくらいの量のドライラベンダーを分けてもらったのだ。
「だめ? 荷物になっちゃうかしら。クマの中に詰めたら良い香りがすると思って……だってお父様を待つ間、退屈だし」
ぷくっと頬を膨らませ、ドライラベンダーの袋をぎゅっと抱えたクラレットにパープルは微笑んだ。
「構いませんよ、さ、こちらへ。軽いし問題ありません」
受け取ったそれを布で包んでから、裁縫箱を入れる箱に詰め込んだ。それから着替えと、何冊かの本などをカバンに入れて、荷造りは進んだ。
* * *
ラベンダーから精油を抽出するには『水蒸気蒸留法』を用いる。刈り取ったラベンダーを大きな窯にぎゅうぎゅうに詰め込んでガッチリ蓋をして、下部から高温で蒸す。みっちり詰められた間を抜けて上がってきた蒸気は、蓋から繋がる専用の管を通ることで冷やされ液体と変わる。この液体は香り成分の濃い油分と香りの付いた蒸留水でできており、精油は遮光性のある容器に詰められる。ラベンダー祭ではこれが人気で、毎年たくさんの精油が屋台に並ぶ。祭が近づくと蒸留所では連日この作業が行われ、やがてたくさんの精油の小瓶が出来上がる。
精油と分けられた残りの蒸留水は、家事で色々と使えるためこちらも瓶に移し替えられ、各家庭で好きなように使われる。刈り取ったラベンダーは一切が無駄にならない。
その蒸留所で使っている「蒸留器」の、蓋を止めるハンドル部品は常に高い圧を受けるため交換頻度が高い。その部品の買い付けとクラレットの皮膚科が今回のローシェンナ行きの主な目的なのだ。国内で作られているものを使ってもいいが、蒸留器自体がローシェンナ製である為、オーキッドは部品も蒸留器を買った工房から仕入れていて、祭が近づく前にこの部品を仕入れておきたいと思ったのと、もし買い貯めておいた部品を使い切ってしまった時に備えて、作り方も教えてもらえないかを打診し、了承を得た事も、ローシェンナ行きの決め手にもなった。
* * *
ローシェンナへ向かう日の朝。空は濃い青の空から薄紫色へと変化を見せ、今日も一日天気が良いことを示唆してくれていた。時折吹く風は冷たく心地いい。遠くで馬のいななきが聞こえ、街が目覚め始めた。大きめの馬車にオーキッド、クラレット、パープルと従者、御者の計5名で出発した。
ローシェンナのスプリンググリーンへ行くには、カーマインから南に向かってから国境を越える。途中で一泊して、およそ二日掛かった。
「スプリンググリーンに着いたら、宿のチェックインを済ませてすぐ皮膚科に行くぞ」
馬車から見える景色の遠くには街並みが見えた。あれがおそらくスプリンググリーンなのだろう。クラレットは思った。
――新しいお医者様はどんな方かしら。またあれがあるのかしら。
「痛いことする?」
五歳の頃、この痣は皮膚のどのくらいの深さまでいっているものなのか、移動するものなのかを調べるため、右上腕の内側の痣を切除した事を思い出した。はっきりは覚えていないが、顔を布で覆われ、全身と右腕をバンドで固定した上でメスを入れられた。麻酔をかけていたとはいえ、その状況の恐ろしさはクラレットの心に深く残っている。――またあれをやるのだろうか、と思い巡らせてしまうのも仕方がなかった。
「いいや、しない。お前の痣を、先生が見たり触れたりはするかもしれないが、針を刺したりといったことはしないはずだ」
そう言ってオーキッドはクラレットを抱きしめた。
――完全に取り除く方法が外科的方法しか無いのだとしたら、このままの方がこの子にはいいのかもしれない……。
十歳になっても消える事のない痣。オーキッドは抱きしめた娘の頭を撫でながら、窓の外の、遠くの街並みを見つめた。
荷物をまとめている侍女パープルに、クラレットが声を掛けた。
「はい、わかり――こっんなに持っていってどうするんです?!」
振り向いたパープルにギュッと押し付けたのは、両腕で抱えるくらいの袋に入ったドライラベンダーだった。
バーガンディ侯爵領カーマインではラベンダーが盛んに栽培されている。初夏に咲く花を刈り取って生花として出荷する他、様々なものに加工する。フレッシュのまま茶葉や砂糖に漬け込めば菓子に利用できる。蒸留酒に漬け込めば虫刺された時に役立つチンキになる。その加工されたものの中の一つがドライラベンダーだ。花部分だけを乾燥したもので、その香りは衰える事なく愉しませてくれる。石鹸、ポプリ、ハーブティなど使えるが、クラレットはこれを、趣味であるクマのぬいぐるみの中に綿の代わりに詰め込んでみたらいいのではと思いついて、今朝、クラレットが抱えられるくらいの量のドライラベンダーを分けてもらったのだ。
「だめ? 荷物になっちゃうかしら。クマの中に詰めたら良い香りがすると思って……だってお父様を待つ間、退屈だし」
ぷくっと頬を膨らませ、ドライラベンダーの袋をぎゅっと抱えたクラレットにパープルは微笑んだ。
「構いませんよ、さ、こちらへ。軽いし問題ありません」
受け取ったそれを布で包んでから、裁縫箱を入れる箱に詰め込んだ。それから着替えと、何冊かの本などをカバンに入れて、荷造りは進んだ。
* * *
ラベンダーから精油を抽出するには『水蒸気蒸留法』を用いる。刈り取ったラベンダーを大きな窯にぎゅうぎゅうに詰め込んでガッチリ蓋をして、下部から高温で蒸す。みっちり詰められた間を抜けて上がってきた蒸気は、蓋から繋がる専用の管を通ることで冷やされ液体と変わる。この液体は香り成分の濃い油分と香りの付いた蒸留水でできており、精油は遮光性のある容器に詰められる。ラベンダー祭ではこれが人気で、毎年たくさんの精油が屋台に並ぶ。祭が近づくと蒸留所では連日この作業が行われ、やがてたくさんの精油の小瓶が出来上がる。
精油と分けられた残りの蒸留水は、家事で色々と使えるためこちらも瓶に移し替えられ、各家庭で好きなように使われる。刈り取ったラベンダーは一切が無駄にならない。
その蒸留所で使っている「蒸留器」の、蓋を止めるハンドル部品は常に高い圧を受けるため交換頻度が高い。その部品の買い付けとクラレットの皮膚科が今回のローシェンナ行きの主な目的なのだ。国内で作られているものを使ってもいいが、蒸留器自体がローシェンナ製である為、オーキッドは部品も蒸留器を買った工房から仕入れていて、祭が近づく前にこの部品を仕入れておきたいと思ったのと、もし買い貯めておいた部品を使い切ってしまった時に備えて、作り方も教えてもらえないかを打診し、了承を得た事も、ローシェンナ行きの決め手にもなった。
* * *
ローシェンナへ向かう日の朝。空は濃い青の空から薄紫色へと変化を見せ、今日も一日天気が良いことを示唆してくれていた。時折吹く風は冷たく心地いい。遠くで馬のいななきが聞こえ、街が目覚め始めた。大きめの馬車にオーキッド、クラレット、パープルと従者、御者の計5名で出発した。
ローシェンナのスプリンググリーンへ行くには、カーマインから南に向かってから国境を越える。途中で一泊して、およそ二日掛かった。
「スプリンググリーンに着いたら、宿のチェックインを済ませてすぐ皮膚科に行くぞ」
馬車から見える景色の遠くには街並みが見えた。あれがおそらくスプリンググリーンなのだろう。クラレットは思った。
――新しいお医者様はどんな方かしら。またあれがあるのかしら。
「痛いことする?」
五歳の頃、この痣は皮膚のどのくらいの深さまでいっているものなのか、移動するものなのかを調べるため、右上腕の内側の痣を切除した事を思い出した。はっきりは覚えていないが、顔を布で覆われ、全身と右腕をバンドで固定した上でメスを入れられた。麻酔をかけていたとはいえ、その状況の恐ろしさはクラレットの心に深く残っている。――またあれをやるのだろうか、と思い巡らせてしまうのも仕方がなかった。
「いいや、しない。お前の痣を、先生が見たり触れたりはするかもしれないが、針を刺したりといったことはしないはずだ」
そう言ってオーキッドはクラレットを抱きしめた。
――完全に取り除く方法が外科的方法しか無いのだとしたら、このままの方がこの子にはいいのかもしれない……。
十歳になっても消える事のない痣。オーキッドは抱きしめた娘の頭を撫でながら、窓の外の、遠くの街並みを見つめた。