ぼくらは薔薇を愛でる

領地へ

 父親が出かけるのを見届けてクラレットは一人にしてもらった。夕飯を食べるほどお腹も空いていない。

「お嬢様、せめて水分だけでも摂ってくださいませ」
 パープルにそう声をかけられたが、返事をする事はおろか手を伸ばすのも億劫だった。

「こちらに、置いておきますね。隣に居りますから声をかけてくださいませ」
 かちゃかちゃとカップを用意する音や何かを置く音がして、パタン、と扉の閉まる音を最後に静かになった。キィーンと耳鳴りのようなものも聞こえる。

 どうしたらいいかわからなくなっていた。家を継ぐ事を目的に婚約をしていたが、それが解消された。自由になったが、じゃあすぐ次の人を、と思えるわけもなく、でも泣き叫ぶのも違う気がしていた。
 押し倒された事は怖かった。だがそれよりも、胸の痣を面と向かって罵られたことの方がショックが大きかった。気持ち悪いと言われてもどうすることもできない。痣があっても自分は自分で何ら変わりはないのに。彼は表面しか見ない人だった。

 気づくと胸元の小さなリングを服の上から握りしめていた。いつからかこうするのがクセになっていたのだ。

 布団から顔を出して静かな寝室を見回す。クローゼットの上に置かれた小さなクマのぬいぐるみ。

 ――祭……カーマイン……

 いつの間にか眠っていた。空は白み始めていて、クラレットはベッドを降りた。昨夜パープルが淹れてくれたお茶を飲み干し、クッキーも食べた。空いた器を乗せたワゴンを居間へ押し出せば、侍女用の椅子に座り壁にもたれかかって眠るパープルが居た。

 彼女も突き飛ばされていたが大丈夫だろうか、痛いところは……それでもこうして居てくれた事に涙が出るほど嬉しく、いつも寄り添ってくれる姿に感謝した。

彼女にブランケットを掛けてやり起こさないよう部屋を出れば、二人の使用人が更に居た。

「あ、お嬢様……」
「あなた達……ずっと居てくれたの? ありがとう」
「あの――」
 着いて行くべきか、何かお召し上がりになるか、色々と声をかけたい二人は、うまく声が出なかった。

「大丈夫よ、ありがとう。まだパープルが中で眠っているからもう少しあのままにしてあげて? あなた達ももう休んで、大丈夫だから。私はお父様の執務室へちょっと。執事さんに、後ほどお茶を持ってきてくれるよう言ってくれるかな」
「はい、かしこまりました」
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