ぼくらは薔薇を愛でる
 翌日昼過ぎ、共の者三名を連れたレグホーンが侯爵家を訪れた。
「此度は長旅の末に起こしいだき――」
「侯爵とは幼い頃に一度会っている。覚えているだろうか、スプリンググリーンの街で」
 腰を折っているオーキッドに近づいてレグホーンは穏やかに声を掛ける。
「もっもちろん覚えております! あの時は娘が大変お世話になりまして。殿下と知らずに御無礼をいたしました」
「いいんだ、あの頃の私は身分を偽っていたから」
「それで此度の用向きを伺ってもよろしいでしょうか」

 ゼニスに目配せして、書類をテーブルの上に拡げた。
「これは私の身分証明書だ。父の、国王の印が入っている正式なものだ。それから、これが目的なのだが、貴殿の御息女クラレット嬢を私の妃として迎えたく、その為の婚約を結びたい。我が国では、貴族の令息は皆、小さなリングを持っている。大人になって好きな相手に巡り合え、相手と想いが通じ合ったなら婚約を申し込むという約束の証としてリングを相手に渡す風習があって、クラレット嬢には、その、あの幼かった頃に既に渡してあるんだ」
「……」
 旦那様、と執事から言われるまで、目の前の殿下が何を喋っているのか理解できないでいた。
「あっ、ええ、クラレットを、え、妃に?!」
「うん、許してもらえないだろうか」
 ニコニコとオーキッドに言うレグホーン。その笑顔に押され、たじろぎながら返答をする。
「許すも許さないもお断りできる道理がございません。娘が諾、と言うならば私は反対致しません。ローシェンナから帰国したあの日から見たことのない首飾りをしておりましたが、あれは殿下からのものだったとは……! ただ、娘は――」
 痣がある、と言おうとして手で制された。
「昨日、とあるレストランで酷く下品な男に出会した」
 下品な男、と聞いてオーキッドは身を強ばらせた。
「奴は、自分は侯爵家に婿入りするはずだった、元婚約者は痣を持っていた、領地なんかに居られないから抜け出てきた、と男は声高に語っていた。その……心当たりあるだろうか」
 オーキッドは眉根を寄せた。
「――そいつは、数ヶ月前まで娘の婚約者でした。挙式直前での、娘への振る舞いと使用人たちへの暴言、暴行に我慢ならず、婚約を解消した次第です。領地から出さないことになっていたはずだが……やはり居ましたか。あいつは娘の痣を侮辱した。とうてい赦せません。ですが、あいつの事を赦せないと思い続けるのも癪なんです……娘には幸せになってもらいたい、ただそれだけです」
 項垂れるオーキッド。膝の上で拳を硬く握りしめた。
「バーガンディ侯爵、クラレット嬢を妃にできたならば、私が生涯、守る。彼女を泣かせないと、愛し抜くと誓う」
 オーキッドは泣いた。事件を思い出し、そこから立ち直ったばかりのこの報せ。クラレットの痣を厭う奴らと縁を切り、信頼できる者のみを側に置いて皆でクラレットを見守ってきた。うれしかった。だが――。
「殿下、言っておかねばならないことが」
 ローシェンナからの帰国の途中でひどい高熱を発して数日間寝込んだこと、そのせいか帰国前後の記憶が曖昧になっていることを伝えた。
「ですから、殿下の事を覚えていないかも……」
「それなら、またクラレットと恋ができるということだな、わかった。必ず、彼女の心からの"諾"を得よう」
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