ぼくらは薔薇を愛でる

祭、そして

 朝焼けに照らされた、オレンジ色の雲がたなびく空に、祭開催を知らせる花火が打ち上がる。ポンポンと数回の音が空に響いた。

 年に一度の、たった一日だけの祭を皆が楽しみに準備をしてきた。そんな日の天気は快晴でこれほど嬉しいことはないだろう。今日一日でどれ程の人出になるかは読めないが、既に街の宿は満室で、臨時の駐車場も確保してある。店に用意した物品に不足は無いだろうか、安全面でも不備はないか。祭の終わり――日暮れまでは、楽しみで待ち遠しかった一日でもあり、一番忙しく、気を遣う、一番長い一日がはじまった。

 クラレットも花火の音で目を覚ました。バルコニーに出て朝の空気を吸い込み、身体中に気合いを入れた。髪を一つに括って、動きやすい、かつ目立たないワンピースに着替える。前日にようやく領地入りした父とレグホーン達と共に朝食を済ませたら皆で街へ降りた。

 領主と町長、自警団は役場前の本部席に常駐し、交代で街を巡回する事になった。本部席には次々と領主に挨拶に訪れる者があり、クラレットは街の中心通りを眺めたり自警団から逐一報告を受けて過ごした。
 街一番の通りは歩行者のみが通行可とし、通りの左右にはいくつも屋台が並べられた。他地域の人気のスイーツや、屋台では定番の食べ物のほか、ラベンダーを扱う屋台も当然多く出店している。
 精油やラベンダーウォーターを扱う店、今朝刈り取ったばかりのフレッシュラベンダーをそのまま束にして生花として売る屋台、この祭よりもかなり前に刈り取って乾燥させたドライラベンダーを漬け込んだ茶葉や砂糖、はちみつ、またそれらを使った焼き菓子にパン、アイスクリームはいずれも人気があった。クラレットが作ったクマのポプリは少数だが、それら屋台に数個ずつ置いてもらった。本部席から見える屋台に置かれたそれが、焼き菓子と共に買われていく様子を目にすれば嬉しくて顔が綻んだ。

 昼になった。人々でごった返す通りにはあちらこちらから良い匂いが漂う。運営として本部に待機し続けていたクラレットをレグホーンが誘った。他の3名も巡回を兼ねて自警団と行動を共にしているという。
「クラレット、少し歩かないか」
「行っておいで、ここは任せろ。レグ殿と楽しんでおいで」
 父に背を押され、レグホーンに手を引かれて屋台の並ぶ通りに向かった。

 ――この前から私を呼び捨てにしているけど……それに手……。

 繋がれた手から感じるレグの熱は心地よかった。一見すると細そうなのに、その手はわりとゴツゴツしていて、力強かった。腕だってがっちりしている。その手を凝視して、繋ぎ方が恋人繋ぎである事に気がついたクラレットは更に顔を赤らめた。
「クラレット、疲れた?」
 頬に空いた方の手を当てているクラレットを覗き込むレグホーンの目はどこまでも優しかった。
「ラベンダーの屋台はいずれも人がすごいなあ! 良い香りがここまでする」
「ほ、ほんとね。あの、レグ様、」
「今はレグって呼んで」
 握られた手にキュッと力がこもる。
「じゃ、じゃあ、レグ」
「うん、なんだい」
 ニコニコと嬉しそうで、一人だけドキドキしているのが悔しくもある。
「お腹が空いたから何か食べたい、それから、あの、手は、もういいのでは」

 ――もう大人だし"幼い頃"のように手を引かれなくとも歩ける。ここは慣れている領地だし。……ん? 幼い、頃……?

 ぐいっと手を引かれ、恋人繋ぎをしている手をクラレットの目前に持ち上げる。 
「迷子になったら困るだろう、だから離さないよ」
「まっ迷子って! もう――」

 ――知っている、こんなような事、経験したことある。誰と? 覚えてない、でも、迷子になったら困る、同じ事を言われた気もする。

 レグホーンと手を繋いで通りを歩けば、あちらこちらからクラレットに声がかかった。
「お嬢様、来てくださったんですね! 大盛況でさあ! 召し上がってください! 焼きたてですからね」
 そういって串焼き屋台の親父は鶏肉と野菜の串を二人に渡してくる。
「お嬢様、今日は特に良いお顔をなさっておいでだ」
 ボールカステラの屋台からも声がかかった。串焼きをかじっていたレグホーンは思い出したようにクラレットを背に庇い、ニッと笑みを浮かべながら、屋台に向けて言った。
「あんまり見ないで、クラレットが減るから」
 一瞬ポカンとしていた屋台の親父たちはやがて大声で笑い出した。
「あっはっは! 減るわけねぇだろ! 護衛の兄さんあれか、お嬢様を独り占めしたいんか、がはは!」
 
 ――あ……これも、きっと知ってる、減るわけないって聞き覚えある……

「ま、せいぜいがんばんな!」
 口々に冗談めいた応援をされながら通りを進んで、雑貨の屋台、スイーツの屋台と見ながら過ごせばあっという間に日暮れになってしまい、いつのまにかメイン会場の広場にいた。

 周りの建物の外壁に下がるランタンには灯りが入り、広場をほんのり照らしはじめていた。明かりのオレンジ色と空の深い青色のコントラストがとても美しい。ランタンの下の空いてるベンチに腰掛け、まるで夜と昼の境目のような色の空を見上げたクラレットが言った。
「ねえ、見て、レグの瞳と同じ色の空。とってもきれい――」
 見上げるクラレットの横顔を見てから同じように空を見上げてレグホーンが言う。
「それならあの一等輝く星は、さしずめ僕の瞳に映る君だな」
 サラッと言ったレグホーンに比べ、クラレットは勢いよくレグホーンに顔を向けてすぐ両手で顔を覆った。俯いて、小さな声で何かつぶやくも、音楽隊が始めた演奏に掻き消されてしまった。
 祭のクライマックスとも言えるダンスがはじまった。噴水の周りの空いたスペースにはペアになった者が集まり、思い思いに踊り出す。

「クラレット嬢、一曲踊っていただけないだろうか」
 二人分の、食べ終えた串を近場のくずかごへ捨てたレグホーンは、王子様のように振る舞った。クラレットに片手を差し出してダンスに誘う。
「はい、喜んで」
 貴族の夜会に参加したことは滅多にないが、きっとこんな感じなんだろうと思うと途端に楽しくなった。ワンピースの裾を持って膝を折り差し出された手を取れば、レグホーンのリードでたちまち輪の真ん中に躍り出る。くるくるとリズム良く踊りながら、周りの人とぶつかりそうになっては声をあげて笑った。

 楽しい時間はあっという間に終わり、祭の閉会の時が来た。領主のオーキッドによる挨拶が広場で行われ、運営本部の面々に労いの言葉をかければこれでもう解散となる。通りに出ていた全ての屋台が撤収できたのは夜半過ぎで、クラレットはレグホーン達と共にそれが終わるまで通りを巡回し続けた。店仕舞いの忙しい合間を狙う不届き者がいるからで、撤収までは気が抜けなかった。

「レグ、皆さま。力を貸してくださったおかげで、今年の祭も無事に終えることができたわ。ありがとう」
 帰りの馬車の中で礼を伝える。クラレットとレグホーン、ゼニスは馬車に、マルーンとクラウドは馬に乗り、馬車と歩を合わせて進んでいた。
「僕らも他国の祭は初めてだったから楽しかった、良い体験させてもらったよ。クラレット様、ありがとう」
「明日は寝坊しちゃうかもなあー」
 マルーンが呑気に言うから、みな笑った。

「皆さま今日は歩き通しでしたものね、お腹は空いてないですか? 何か召し上がれましたか? 必要なら帰ってから――」
「実は、巡回しながら自警団の人たちに色々奢ってもらったんだ、だからお腹もいっぱいだよ。それに、ね、ゼニス」
 馬車の中のゼニスは、二人を見比べてニヤッと何かを思い出したかのような顔つきで言った。
「レグが良い顔してたから、僕たちはそれだけでもう胸がいっぱいだよ……!」
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