ぼくらは薔薇を愛でる

約束の

翌朝、クラレットはいつもより遅くに目を覚ました。

 祭を終えて帰宅したのが夜中過ぎで、そこから先に帰宅していた父へ屋台撤収を見届けた事などを報告して、寝支度を整え就寝できたのは更に遅かった。

 まだ頭がぼうっとするものの、そろそろ起きないと、と自身にハッパをかけてベッドから降りる。窓を開けたら、庭には剣の稽古をするクラウドとゼニスの姿があった。

 ――あ、起きてらっしゃる、私だけ遅いの? 急がなきゃ

 それからは早かった。部屋を整えて着替え、髪をまとめてとりあえずお腹が空いたから食堂へ向かった。誰もいない食堂の奥の厨房にレグホーンの後ろ姿が見えた。ドキッとした。庭にいなかったから寝てるのかと思っていたが彼は起きてそこにいた。

「おはよう、お嬢様」
 クラレットに気づいたシェフが声をかけてくる。

「おはよう、今日は寝坊しちゃったわ。軽く何かいただける?」
「いいんですよ、昨日はお疲れでしたでしょう。今日は休養日ですよ、旦那様もまだおやすみですから」
「お父様も? そう」
「あとで何かお部屋にお持ちすることになっています。あ、お嬢様、ちょうどよかった! レグ様がとっておきのものを拵えたんです、今お持ちしますね」
 そう言って厨房へ行けば、シェフと入れ違いに、皿を持ったレグホーンが出てきた。

「おはようクラレット、疲れは取れた?」
「おはよう、レグ。寝過ごしちゃった、レグ達は早くに起きたの?」
「うん、僕たちは旅のくせなのか、日の出と共に目が覚めちゃったんだ、だから庭を一走りして剣の稽古をして、あとは好きに過ごさせてもらっている」
 そう言ってカラカラと笑うレグホーンは、手にした皿を差し出した。

「これくらいなら食べられるか?」
 白い皿には、キッシュとサラダが乗っていた。
「キッシュ? 大好きよ! まさかレグが作ったの?!」
「うん、料理もするんだよ、すごいだろう」
 えっへん、と少々得意げな顔を見せる。その様子がかわいく見えて、思わずふふっと笑いがこぼれた。
「すごいわ、なんでもできるのね。いただきます!」
 シェフがスープも持ってきてくれ、これらを前に、手を合わせてフォークを手に持つ。

 目の前で頬杖をついてこちらを見ている男性は貴族令息のはずで、国ではおそらく何不自由ない暮らしが送れるくらいの家格なのに、料理までできるとは、とクラレットは改めて思った。長旅を許されていると言うことは家に余裕があるわけだし、料理ができるだけでなく、旅のおかげか、野良作業も難無くこなす。だがやはり令息で、立ち振る舞いは丁寧だし強引なところがない。言葉遣いも落ち着いていて綺麗だ。そんなことを考えながらカットしたキッシュを口に含んだ。
「おいしい!! このじゃがいもが入ってるの好きなの、味付けもちょうどいいし、すごいわ、レグ!」
 正面に座ってクラレットが食べるのをニコニコと眺めていたレグホーン。
「――だって約束しただろう? じゃがいもの入ったキッシュを作ってあげるって」
 パクパク食べていて、レグホーンの一言で動きが止まる。

 ――え。

「約束? した?」
 約束したということは、過去に会ったことがあると言うことだ。

 ――いつ?

 もしかしたら過去にどこかでレグと会っていて、自分は忘れているんだろうか。もしそうなら、もっと責めてもいいし、過去に会っていたと言ってくれてもいいのに、目の前に座るレグは相変わらずニコニコしている。クラレットは途端に申し訳なく感じてきた。何か言おうと思うのに言葉が出てこない。

「レグ様、こちらはどうなさるー?!」
 厨房からシェフがレグホーンを呼ぶ声が響いた。クラレットはホッとした。
 ごめん、と一言残してレグホーンは席を外し、その間にキッシュを平らげた。美味しいのに、申し訳ない気持ちもあって、時折キッシュがにじむ。

 厨房から食卓を覗けば、クラレットが俯いてキッシュを口に運んでいる姿が見えた。
「お嬢様、なんだか元気ないな、お口に合わなかったかな、レグ様何か聞いたか?」
「美味しいって喜んでくださったよ、祭の疲れも出たんじゃないかな」
 俯いている理由をわかっているレグホーンは誤魔化した。

「そうか。お嬢様のお好きなクッキーでも焼いてあげやしょう」
 うん、そうしてあげて、と声をかけ厨房から出て客間へ戻ったレグホーンは、少し焦ったかと自責した。昨夜の祭の時間が楽しすぎた。幼い頃の状況を思い出して、何度か同じやりとりをしてみた。その度に何か言いたげな、不思議な表情をしていたクラレット。焦るな、焦るな俺。自分を責めながら、励ました。

*  *  *

 キッシュを食べ終えたクラレットは、昨日の祭で売り切ったぬいぐるみの、使い切った資材のチェックを始めたが、軽い頭痛を感じて休むことをパープルに告げた。寝て起きたばかりだが……と思ったが、休め、と言いながらおでこへキスを落としたレグホーンを思い出して急に恥ずかしくなり、枕に顔を押し付けるようにしてベッドへ倒れ込めば、瞬く間に眠りについた。


 ――ここは、ローシェンナ……? あ、小さなレグがいる。かわいい。今とちっとも変わらないのね。レグの家かしら、小さな温室がある……賑やかな街だわ、屋台で何かを買ってる?
『見ないで、クラレットが減るから』
 昨日のレグみたい。ふふ。そうそう、レモンタルト食べたわ、美味しかった。……首、飾り……リング?
『必ず君を迎えに行くから』
 あ、これ……


 目を覚ました。目尻は濡れていて、拭いながら窓の向こうの空を見れば、昨日レグホーンと見た空と同じ色をしていた。だいぶ眠っていたことがわかった。

「レグ……」
 視界いっぱいにレグホーンの瞳の色を見たくてバルコニーに出た。夕方の風は冷たく、長く当たると体の表面だけが冷えてしまうから長居は禁物だとわかっているが、もう少しこの空色を見ていたくて、しばらく手すりに寄りかかって見上げていた。一番星が輝いている。

 下から声が聞こえた。

「あの星は、さながら僕の瞳に映る君だ」
 手すりから下を覗けば、レグホーンが笑顔で剣を持って立っていた。
「頭痛はどう? 身体冷えるから」
「レグ……あのね、話があるの、あとで時間があったら、あの、――」
 下からこちらを見上げるレグを見て努めて冷静に言ったが、感情が昂ぶって涙が出てしまう。頬を伝う熱を感じて初めて涙だと気づいたクラレットは手で拭った。拭っても拭っても涙は止まらなかった。
 どうして今まで忘れていたのだろう。好きだったレグが目の前に居たのに。悪漢から助けてくれたレグ、祭の準備を共にしてくれ、当日も頼もしく働いてくれたレグ。頭痛を感じたクラレットをベッドへ運んでくれたレグ。おでこに口づけを落としたレグ。どれも思い出すと、忘れていたと言うことが申し訳なく、胸がたまらなく苦しくなって、だが会えたのだという嬉しさも入り混じる。

「ど、どうした、クラレット?! そっちへ行ってもいいか?」
 手すりに頭を乗せていることに気がついたレグホーンは焦った。下からだと何もしてやれない。彼女が、うん、と頷いたのを確認して、バルコニーへ外階段から上がり、しゃがみ込むクラレットを抱き起こしてやる。

「レグ、ごめんね」
 自身の肩を掴むレグホーンに縋り、謝罪してくる様子に、レグホーンは身構えた。
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