ぼくらは薔薇を愛でる
Epilogue
エクルは温室内のベンチに座って膝を抱え、祖父から何度も聞かされた物語を思い出していた。
祖父と祖母がいかに育ち、出会い、結ばれたのかを聞くたびに、自分にも全てを愛してくれる人がこの世のどこかにいるのではないか、希望が湧いてくる。この腕にある痣を見る度に、そんなことが過ぎる。
祖父母はエクルの憧れだった。出会うべくして出会って、愛し合い夫婦となった二人は、この国の長としてその愛情を民にも惜しみなく注ぎ、永い治世は平安で、現在も続いている。人々の目線で物事を捉え、話をよく聞く、行動力のある二人を尊敬もしていた。
祖父母の子供たち、エクルにとったら叔父叔母は父親を含めて四人いた。長男は現国王、エクルの父親だ。その弟は、祖母クラレットの実家バーガンディ侯爵家の養子となって跡を継いでいる。
バーガンディ侯爵家は隣国ウィスタリアにあって、その領地カーマインは広大なハーブ畑が広がっている。とりわけラベンダーの栽培が盛んで、それを使ったさまざまな製品を多方面に展開し街を盛り上げ職を生み出して、領地運営は順調だと聞いたことがある。上の妹は隣国の貴族に嫁いで、下の妹は辺境伯夫人となった。
* * *
木陰だったベンチに日が当たり始め、眩しさに目を細めて立ち上がった。水道で手を洗い、持ってきたタオルで水気を拭う。温室から出て小道を一歩ずつゆっくり進む。
――そろそろぬいぐるみ作りはじめようかしら。薔薇のポプリも溜まった事だし……良さげな布地、見に行きたいわ。いつ抜け出そう。この前抜け出してまだ日が浅いからまだダメよね。
エクルは、曽祖父の墓参りにウィスタリアを度々訪れていた。年に一度の祭にも必ず顔を出していて、護衛に来ている騎士と共に、街の者と一緒になって屋台を楽しんだ。音楽に合わせて噴水広場で踊ったりもした。女の子達と恋バナをしたり、とにかく祖母の故郷を満喫していた時、祖母が生前手掛けていたクマのぬいぐるみの話を聞いた。あれが無いと寂しいもんだ、と話す声を聞いて、自主的に作るようになった。ただし中身ラベンダーのポプリではなく薔薇のポプリなのだが、これはこれで良いと街の者からも気に入って貰えたから、エクルは毎年十数体のぬいぐるみを納め、その売上はカーマインと自国の孤児院に寄付をしている。
――どんな柄の生地を使おうかな、ドレスを仕立てた時にもらっておいたハギレがあるから、ついでにクマのドレスも縫ってみようかしら!? 書庫にドレスの縫い方の本なんてあるかしら。
書庫といえば、このまえ読んだお祖父様に関する記録書に書かれていたあの話――お祖父様から一度も聞いた事がなかったわ。お祖母様もご存じなかったのかも?
記録によれば、祖父レグホーンがローシェンナ帝国第一王子として正装をして、国王の印の入った正式な婚姻書を持って祖母クラレットを迎えに行った時、無謀にもその行列を襲った愚か者がいた。
王子の一行が到着するのを待って国境で警備中だった騎士隊にこれを見破られすぐさま捕らえられた。その日のうちに簡易裁判が開かれて終生投獄されたという。
犯人は、祖母クラレットの元婚約者だった。不祥事を起こしてバーガンディ侯爵家長女クラレットとの婚約解消となった後、領地で更生させるため一家総出で彼をサポートしていたが、次第に男爵家は借金が嵩んで返済ができず破産、爵位返上、その時、彼は出奔し行方不明となっており、捜索願いが出されていた。捕らえてみたら行方知れずだった元男爵令息であることが判明した。自暴自棄の末に盗賊にまで落ちぶれて日々を凌いで暮らしていたが、『偉そうな貴族の行列が来ると噂に聞いたから憎たらしくて襲った』との供述だったと書かれていた。
――あんな事するなんて愚かしい事この上ないじゃない。だいたい一国の王子の列よ、ただの貴族のそれとは明らかに違うことくらいわかりそうなもんだわ。本当に……愚か。
お二人が手を取り合って導いてくださったローシェンナは今も平穏で、他国とも貿易を通じてうまく付き合えていると思う。お祖父様の、レグホーン王としての治世は永くて、その間に築いた人脈は今も私たちを守ってくれているんだわ。
「エクル様、どちらにおいでですか、そろそろお時間です」
小道にしゃがんで薔薇を眺めていたら声が聞こえた。専属の護衛騎士であるジョブズだ。
「ここよ、今行くわ」
立ち上がってジョブズの声のした方を見遣れば、背の高い後ろ姿があった。窓から射し込む日差しを背中に浴びて、エクルを探していた。そうして視線を薔薇に戻せば小さな蕾が目に入り、それにそっと指先で触れる。
――私もお祖父様たちのように、寄り添って薔薇を愛でる方と生きていきたい
エクルのいた辺りには柔らかな風が吹き抜け、小さな蕾を揺らしていた。
――完――
祖父と祖母がいかに育ち、出会い、結ばれたのかを聞くたびに、自分にも全てを愛してくれる人がこの世のどこかにいるのではないか、希望が湧いてくる。この腕にある痣を見る度に、そんなことが過ぎる。
祖父母はエクルの憧れだった。出会うべくして出会って、愛し合い夫婦となった二人は、この国の長としてその愛情を民にも惜しみなく注ぎ、永い治世は平安で、現在も続いている。人々の目線で物事を捉え、話をよく聞く、行動力のある二人を尊敬もしていた。
祖父母の子供たち、エクルにとったら叔父叔母は父親を含めて四人いた。長男は現国王、エクルの父親だ。その弟は、祖母クラレットの実家バーガンディ侯爵家の養子となって跡を継いでいる。
バーガンディ侯爵家は隣国ウィスタリアにあって、その領地カーマインは広大なハーブ畑が広がっている。とりわけラベンダーの栽培が盛んで、それを使ったさまざまな製品を多方面に展開し街を盛り上げ職を生み出して、領地運営は順調だと聞いたことがある。上の妹は隣国の貴族に嫁いで、下の妹は辺境伯夫人となった。
* * *
木陰だったベンチに日が当たり始め、眩しさに目を細めて立ち上がった。水道で手を洗い、持ってきたタオルで水気を拭う。温室から出て小道を一歩ずつゆっくり進む。
――そろそろぬいぐるみ作りはじめようかしら。薔薇のポプリも溜まった事だし……良さげな布地、見に行きたいわ。いつ抜け出そう。この前抜け出してまだ日が浅いからまだダメよね。
エクルは、曽祖父の墓参りにウィスタリアを度々訪れていた。年に一度の祭にも必ず顔を出していて、護衛に来ている騎士と共に、街の者と一緒になって屋台を楽しんだ。音楽に合わせて噴水広場で踊ったりもした。女の子達と恋バナをしたり、とにかく祖母の故郷を満喫していた時、祖母が生前手掛けていたクマのぬいぐるみの話を聞いた。あれが無いと寂しいもんだ、と話す声を聞いて、自主的に作るようになった。ただし中身ラベンダーのポプリではなく薔薇のポプリなのだが、これはこれで良いと街の者からも気に入って貰えたから、エクルは毎年十数体のぬいぐるみを納め、その売上はカーマインと自国の孤児院に寄付をしている。
――どんな柄の生地を使おうかな、ドレスを仕立てた時にもらっておいたハギレがあるから、ついでにクマのドレスも縫ってみようかしら!? 書庫にドレスの縫い方の本なんてあるかしら。
書庫といえば、このまえ読んだお祖父様に関する記録書に書かれていたあの話――お祖父様から一度も聞いた事がなかったわ。お祖母様もご存じなかったのかも?
記録によれば、祖父レグホーンがローシェンナ帝国第一王子として正装をして、国王の印の入った正式な婚姻書を持って祖母クラレットを迎えに行った時、無謀にもその行列を襲った愚か者がいた。
王子の一行が到着するのを待って国境で警備中だった騎士隊にこれを見破られすぐさま捕らえられた。その日のうちに簡易裁判が開かれて終生投獄されたという。
犯人は、祖母クラレットの元婚約者だった。不祥事を起こしてバーガンディ侯爵家長女クラレットとの婚約解消となった後、領地で更生させるため一家総出で彼をサポートしていたが、次第に男爵家は借金が嵩んで返済ができず破産、爵位返上、その時、彼は出奔し行方不明となっており、捜索願いが出されていた。捕らえてみたら行方知れずだった元男爵令息であることが判明した。自暴自棄の末に盗賊にまで落ちぶれて日々を凌いで暮らしていたが、『偉そうな貴族の行列が来ると噂に聞いたから憎たらしくて襲った』との供述だったと書かれていた。
――あんな事するなんて愚かしい事この上ないじゃない。だいたい一国の王子の列よ、ただの貴族のそれとは明らかに違うことくらいわかりそうなもんだわ。本当に……愚か。
お二人が手を取り合って導いてくださったローシェンナは今も平穏で、他国とも貿易を通じてうまく付き合えていると思う。お祖父様の、レグホーン王としての治世は永くて、その間に築いた人脈は今も私たちを守ってくれているんだわ。
「エクル様、どちらにおいでですか、そろそろお時間です」
小道にしゃがんで薔薇を眺めていたら声が聞こえた。専属の護衛騎士であるジョブズだ。
「ここよ、今行くわ」
立ち上がってジョブズの声のした方を見遣れば、背の高い後ろ姿があった。窓から射し込む日差しを背中に浴びて、エクルを探していた。そうして視線を薔薇に戻せば小さな蕾が目に入り、それにそっと指先で触れる。
――私もお祖父様たちのように、寄り添って薔薇を愛でる方と生きていきたい
エクルのいた辺りには柔らかな風が吹き抜け、小さな蕾を揺らしていた。
――完――