ぼくらは薔薇を愛でる
すぐそばまで来てしゃがみ、エクルの顔を覗き込む。いつもジョブズはこうしてエクルの顔を見ようとする。恥ずかしくて俯いていても、機嫌が悪くて返事をしたくなくても、エクルの目線に降りてきて、真下から見られてしまう。そしてこの時もそうだった。
「どうかなさいましたか、昨日はお顔の色が優れなかったと報告をもらいました、今日もお加減がお悪いのでは」
少し心配で、だけどやや強めの語気で言いながら握ってくる手は優しく、その目はエクルを真っ直ぐ捉えた。そう真っ直ぐ見つめられたまま誤魔化す事はできそうになく、顔を逸らすしかエクルにはできなかった。
「なっなんでもない、大丈夫。昨日は、その、欲しかったものが売ってなくて気が乗らなかっただけで」
そうでしたか、と微笑むジョブズはエクルの手を取って立ち上がらせる。温室とはいえ、窓は開放されていて、日陰だ。薔薇の葉を揺らす風が二人にも届いて、思ったよりも冷たく感じたジョブズは促した。
「そろそろ冷えてまいりますから部屋へ――」
手を引いて一歩踏み出した時、エクルは思い切って聞いてみた。悶々してたって意味がない。こういう事ははっきり聞いて、本人の口から答えをもらったほうがスッキリするし、それより他に、この胸のモヤモヤを晴らす方法を知らない。そう思って、握られた手に僅かに力を込めた。
「あの、昨日は、うまく行ったの?」
ジョブズは戸惑った。何が"うまく行った"のだと気にされているんだろうか。代わりの護衛からは、"変装はうまく行った"とは聞いた。街へ行くための衣装は自分のサイズしか無いから似た体型の者を選んだが、それを気にされていたのか。実家に帰った事の理由は明かせないが、それ以外にジョブズは思い当たらなかった。
「え、ええ、それはもう」
――うまく行ったんだ……!
うつむき立ち止まり、部屋へ戻ろうと手を引くジョブズに抗って歩くことをやめた。温室の入り口近くで立ち止まった。
「やはり、何かありましたね?」
エクルに向き合って問いかける。
「なんにも無いわ。もっもう少しここにいたいの」
温室へ戻ろうと背を向けたエクルの手首を掴んで振り向かせ、背を屈め目線を合わせてきた。
「そんな泣きそうな顔して何も無くないでしょう? 何があったんです? 誰かにイジワルされましたか? 私が王に進言して差し上げます」
「いっ、いいわよ! あなたは婚約者の事だけ考えてあげてよ」
言いたくなかった。婚約者だなんて言葉。ジョブズは自分のそばにずっと居てくれるものと思い込んでいた浅はかで傲慢な自分が恥ずかしい。"うまく行った"なら、ここから離れていくだろうジョブズの事は諦めなければ。専属の護衛騎士なのだから執着したらいけない。だって王女だから――。色々な思いがないまぜになって口走ってしまった。