ぼくらは薔薇を愛でる

「え? 誰がです?」
 ジョブズは何を言われているのかわからない顔をしている。キョトンとして、小首を傾げ考え出した。
「あなたよ」

 ――もうこれ以上顔を見て話せない、泣いちゃう。やだ。

「……私には婚約者がいるんですか?」
「お見合いしたって聞いたの。さっきだって、うまく行ったか聞いたら、『それはもう』って言ってたじゃない。それってそういう事でしょ? お式はいつ? お相手の方はどんな方? 何かお祝いをしたいわ」
 早口で捲し立てて、ジョブズからの肯定の返事が怖い。

「いいの、いいのよ、大丈夫、わかってるから」
 目を閉じてわけのわからない返しをした。じわりと目尻が滲む。ジョブズに背を向ける。

「話が見えません、エクル様、お顔を見せてください」
 中途半端に涙が溢れたせいで、きっとひどい顔してる。見られたくないエクルは頭を振って言った。

「お忍びはそろそろ辞めようと思っていたし、お父様に専属護衛を解いてもらうわ、おし」
 お幸せに、と言おうとして、でも言えなかった。肩を掴まれ、力強く振り向かせられたと思ったらジョブズの顔が間近にあり、何かに唇が塞がれた。すぐ近くのジョブズは目を閉じていて、シダーウッド系のしっとりした香りがいつもより強く鼻を刺激する。
 
「そんな涙をこぼしながら、何が大丈夫ですか」
 とても優しく穏やかな声が頭上から降りてくる。唇を離したジョブズはエクルの濡れた頬を拭って、そのまま胸に引き寄せ、腕をその背と後頭部に添えた。

 何が起きたのか理解できないエクルは声が出なかった。先ほどジョブズは自分にキスをしてきて、いまはジョブズの腕の中にいる。顔を覗き込もうとして勢い余り、唇が触れてしまっただけだろう、だって見合いはうまく行って婚約者が居るのにキスしてくる理由がわからない。そんな不貞、受けるわけにはいかない。懸命にジョブズの胸を押して離れようとするが、離れそうもないくらいがっちり抱きしめられていた。

「こうでもしないとお顔を見せていただけなさそうでしたし、私に婚約者が居ると言うそのお口を静かにしたくて」
 だとしても、キスは! エクルは腕の中で固まったまま考えてしまった。ようやく出た声は言葉になっていなかった。
「な、な、」
「なんで、という問いでしたら、あなたをお慕いしているからです。誰に何を聞いてどう勘違いしてらっしゃるかわかりませんが、妄想を暴走させておいででしたので」
 腕の力をほんの少しだけ緩めて顔を覗き込むジョブズは、勝ち誇ったかのように余裕のある笑みを浮かべていた。

「ですから、暴走をお止めいたしました。お嫌でしたか?」
「ううん……嫌じゃ、なかっ……」
 真っ赤な顔で答えたエクルが愛しくて愛しくて、ジョブズはまた口付けた。

「はっきり申し上げますが、私に婚約者は"まだ"居りません。ご本人の承諾を得ていませんから」
 腕の中でエクルは大人しく頷いた。

 ――ジョブズに婚約者は居なかった。自分を慕っていると言って、抱きしめてくるこの状況……本人の承諾?

 嬉しいやら、戸惑うやらで、どうしたらいいかわからない状態になっていたところで、ジョブズは本来の目的を思い出した。

「あ! 忘れていました、国王がエクル様をお呼びです、これをお伝えする為にここへ来たんだった……ははっ」

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