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第1話 「雨の中」
reply 第1話 「雨の中」














「終わったー!」




――やった・・・これで家に帰れる。

早速カバンをデスクの上に置き、私物を掴んで押し込む。
それに気づいたのか隣のデスクで作業していた、有美が振り向き声をあげた。


「えー!?沙利、終わりなわけ!?」

「フフン、まーね。いいでしょ。」


ニヤリと笑ってみせると、有美が少し不機嫌そうに眉を寄せた。


「・・・私と残業、代わんない。この後、デートの約束が」

「冗ー談!悪いけど、代わってあげられないわ。もうきついし・・・」

「なによ。あんた彼氏いないんだから代わってくれたって。」


それを聞いてムッとしたが、暫くして小さな声で呟いた。


「・・・好きな人なら、居る。」

「知ってるわよ、そんなの。」


有美は、もう聞き飽きたと言わんばかりに手をヒラヒラさせた。


「・・・とにかく、ごめん。帰る。今日はなぜか帰りたい気分なの。・・・今度奢
るから、」

「いいよ。そんな気を遣わなくて。まぁ、彼氏になってくれるといいわね。」

「・・・限りなくゼロに近いけど。」


デスクからカバンを持ち上げる。


「じゃあ、またね。」

「ん。気をつけて」


有美に挨拶をして部屋を出た。













私の勤め先は10階。
いつもエレベーターを待たなくちゃいけないのは、正直面倒だ。



――あ、きた。



機械音を立ててドアが開く。

入ろうとしたら、誰かの足が見えた。
ズボンや靴の色からして男の人だろう。

しかし目線を下から上へ上げていったところで一瞬固まった。






・・・今日はツイてるかも。





「・・・糸川くん。」


思わず呼んでしまった。

腕時計を見ていた彼は、視線を私へと向ける。


「・・・今、上がりか。」

「はい。」

「お疲れ」

「お疲れ様です。」



小さく会釈しながら、エレベーターに乗り込んだ。


糸川君の横に並び、ドア側を向く。


鈍い音を立てながらゆっくりと閉まった。










・・・こういう時はどこに目を向けたらいいのかわからない。




とりあえず、ドアを見つめることにした。


二人きりという空間に緊張を感じながらも

それを表に出さないよう必死に押さえ込む。




「最近、調子はどうだ。」




同じく正面を向きながら、糸川君が尋ねてきた。



「今は比較的落ち着いてます。大きな問題もありません。」


「...そうか。」


彼は目を伏せる。



「植野、敬語はいらない。何度も言ったはずだ。」

「…立場的には糸川くんの方が偉いのよ。」

「それでも、お前とは同期なんだから。そんなの関係ないだろ。」

「……。あなたは今この会社で一番注目されている。」
「そんな人に、敬語なしなんてやっぱり駄目よ。周りも変な顔をするだろうし。」

「…わかった。じゃあ、俺や他の同期の前ではせめて普通に話せ。」

「…うん。ありがとう。」


ドアが開き、お互いにエレベーターから降りる。

“そういえば”と、振り返った。


「糸川くんも、もう上がり?」

「いや、俺は会議がある。」

「わかった。頑張ってね。」

「ああ」


スタスタと会議室へ向かう、その後ろ姿を見つめた。


――彼はどんどん先に行ってしまう。

糸川君と釣り合えるようになりたい。



今の私じゃ、相手にもしてもらえないだろう。
















外に出れば、雨が降っていた。


・・・折り畳み傘を常備していて良かった。


袋から取り出して、いつもの通勤コースを歩く。








もうすぐ家だ――。


私は一人暮らし。

マンションで、一人で住むには少し広い部屋を借りている。

帰ったら、熱いコーヒーを飲んで、あたたかいお風呂で疲れを取って・・・

今日は早めに寝よう。




そう思い、通りを歩いていると視界の端に変なものが入った。



「ん?」



茶色・・・?



ゆっくりとそれに近づく。

フサフサした毛が生えているが、ドロまみれ。
そして体は小刻みに小さく震えていた。

動物なのは確か。




困った。




家のマンションは動物禁止じゃない。
このまま連れて行くことも出来る。

・・・でも、一度拾ったなら私が育てなくちゃいけない。




そうこう考えているうちに、動物の震えが激しくなってきた。


――これは考えている場合じゃない。

このまま放っておけば、確実に死んでしまう。


私は動物を雨に濡れぬよう胸元に寄せ・・・家まで走って帰っていった。




◇雨の中◇End ・・・続く。
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