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第7話 「うん、可愛い。」
森高
「えー。皆さん、お集まりいただきありがとうございます!」
「今日は仕事のことは完全に忘れて、たくさん楽しみましょう!」
「完全に忘れちゃまずくないか!?」
森高
「あーそうでした!みなさん、せめてやり方だけは忘れないでくださいね!」
司会を務める森高先輩が勢いよく盛り上げる。
上からも下からも信頼されている彼は、飲み会での司会役も毎度好評だ。
森高
「それから先日統括部長に就任した糸川君も出席しています!」
「時間がある人は彼におめでとうと伝えてくださいー!ではでは!」
ゆるい紹介とは裏腹に、糸川君の周りにはわらわらと人が集まっていく。
…またほとんどが女性だ。
「おめでとうございます!糸川部長!」
さっきまで糸川君が見えていたのに、すっかり埋もれてしまった。
こちらからは様子が見えない。
どうしよう。
話しかけに行こうかな…。
結局私は、彼から一番遠い、人が少ない端の席に座ることにした。
はぁ…。
…どうにも勇気が出ない。
あの人だかりを見ると、彼のファンの多さに怖気づくし、諦めてしまいそうになる。
糸川君が私を意識してくれる日なんて、くるのだろうか。
草間 計
「おいおい。ありゃ、なんだよ。殿様じゃねぇか。」
沢木
「かわいそーだな、糸川。俺らだったら嬉しいけどなあ。」
糸川君がいる方向を見ながら話しているのは
同じ同期の計と沢木くん。
草間 計
「いや。別に俺、あんなの嬉しくねぇよ。」
沢木
「嘘つけ。男のくせして、嬉しくねーわけ」
草間 計
「落ち着けよ、沢木。お前どのくらい飲んだんだよ。」
その時、計の後ろに誰かがいるのが見えた。
彼も気づいたようだが、なぜか青ざめ始める。
ゆっくり振り返ると、そこにいたのは…
前川 有美
「――へえ。」
仁王立ちして、冷ややかな目を向ける有美だった。
前川 有美
「糸川君にお願いして、場所代わってもらったら?」
ドスの利いた声でそう言い放ち、フンと鼻を鳴らした。
そのままこちらへ向かって来る。
その後ろでため息をつきながらがっくりと肩を落とす計が見えた
有美
「沙利」
有美が向かいの席に座り、バッグを肩から下ろす。
有美
「糸川君のこと、考えてるの。」
沙利
「…、ちょっとね。」
有美
「少しはアタックした?」
沙利
「…全然。」
有美
「なんでしないのよ。てか見てよ、あれ!」
「あんたがポヤポヤしてる間に、ほかの女は虎視眈々と糸川君を掻っ攫う計画を進めてる!」
「ゆっくりしてる暇なんて、これっぽっちもないんだから!」
沙利
「わぁかってる!」
「わかってるわよ。…でも、」
有美
「…。」
沙利
「自信がないのよ…。精一杯やれることはやってるのに、」
「糸川君との差は開くばかりで。これ以上頑張っても一生追いつけない気がして。」
有美
「そんなの。あんたの勝手なマイルールじゃない。」
沙利
「え」
有美
「その“差”が縮まらないとアタックできない決まりでもあるわけ。」
「そんなのないでしょ。」
「仕事は手を抜かず、普通よりちょっと頑張る、くらいがちょうどいいの。」
「縛りプレイやってどーすんのよ。」
沙利
「…うん」
有美
「大体、なんでそこまで“差”に固執するわけ。」
沙利
「同じくらいの立場になったら、少しは意識してもらえるかもって思って。」
「今はきっと、眼中にないだろうから」
有美
「…なるほどねー。」
「確かに、私たちと同期で入ったはずなのに、糸川君は一人だけどんどん先に行っちゃったもんね。」
「まさか統括部長にまでなるとは。」
沙利
「うん」
有美
「でもさ。」
「同期ってだけで、ほかの人たちより有利じゃない?」
沙利
「そうかな…」
有美
「そうよ。」
「あとはその、妙なこだわりは捨てて裸一貫で臨むことよ!」
沙利
「…うん。ありがとう。」
有美にチェリーが飾ってあるオレンジ色のカクテルを渡される。
―…おいしい。
有美
「糸川君も順調に見えて、実際大変そうよねー。」
沙利
「幹部会にも出席するようになったしね。」
有美
「うへ…。お兄さんもいるし、本人はプレッシャー感じてそう。」
糸川君のお兄さんもこの会社に勤めている。
名前は、糸川 天外さん。幹部の一人だ。
沙利
「そういえば、天外さんはどこに?」
有美
「あそこ」
有美がグラスを傾けた先に、ほかの社員と談笑する天外さんの姿があった。
糸川君はとにかくクール。
人によっては不愛想とか、話しかけにくいとも言われている。
まぁ、あのルックスだからそれでも寄ってくる女の子は多いんだけど。
対してお兄さんの天外さんは、だれにでも優しい先輩という感じだ。
だから糸川君以上にファンは多い。
有美
「いやー、イケメン兄弟…。たまんないわぁ。」
「私は断然、天外さんの方が好きだけど!」
沙利
「ふふ」
有美
「なによ」
沙利
「そんなこと言って。」
「本当は計が一番好きなくせに。」
有美
「…は、何言ってんの。」
「知らないわよ、あんなやつ。」
沙利
「有美こそ自信もちなさいよ。」
「さっきの会話、沢木くんが一方的に話してただけじゃない。」
「計はべつに糸川君が羨ましいなんて言ってなかったよ。」
有美
「…そうだっけ。」
沙利
「そーよ。計はどう見たって有美一筋に見える。」
「ほらみて、さっきからずっと落ち込んだままよ。」
有美
「…。」
「…じゃあ、ちょっと話しかけてあげようかな。」
沙利
「絶対そうすべき。」
有美
「仕方ないわねー。」
そういって二人で笑いあい、もう一度乾杯した。
少し残ったカクテルを飲み干し、テーブルの上に置く。
沙利
「それじゃ、私は今日はこれで。」
有美
「え、もう?糸川君のことなら…」
沙利
「違う。もう考えてない。ただ、ちょっと家が心配なだけで。」
有美
「家?ペットでも飼い始めたの。」
沙利
「ペット…、」
そこで、こぎつねの姿が思い浮かんだ。
沙利
「ま。そんな感じ。」
有美
「いいな、私、動物好きなのよね。かわいい?」
沙利
「かわっ!?…え、あ…うん、勿論可愛いわよ。うん」
有美
「ふうん、見てみたい。じゃあ気をつけて帰るのよ。」
沙利
「大丈夫。ありがと。」
バッグをもって席から立ち上がると、
沙利
「…糸川君?」
なんで糸川君がここに。
私と有美は驚いたまま彼を見つめる。
糸川
「…ちょっと、植野に用が。」
その言葉に有美はハッとする。
“わかった、じゃあね沙利”とニヤけながら疾風のように去って行った。
まさかの展開に胸が高鳴る。
どうしよう、何を話せば…
糸川
「もう帰るのか。」
私が持ったバッグを見てそう言った。
沙利
「あ…うん。ちょっと用があって。」
糸川
「……。」
沙利
「えっと…、どうしたの?」
糸川
「植野、」
彼が話を続けようとしたとき、後ろから女性陣が糸川君を呼ぶ声がした。
沙利
「呼ばれてるよ。」
糸川
「ほっとけ。騒がしいのは好きじゃな」
と言いかけたところで、突然彼は体制を崩した。
その背後を見てギョッとする。
…森高先輩だ。
しかも顔が真っ赤。…完全に出来上がってる。
森高
「涼く~ん!」
糸川
「ぐっ…!」
のしかかる森高先輩。
糸川君は苦しそうにうめき声をあげた。
森高
「今度は先輩たちと飲みましょー」
糸川
「離してください!俺はやることが」
森高
「天外~、お前の弟まだ反抗期続いてるぞぉ、」
森高先輩は仕事もできるし、人にも好かれるけど…
酒癖はよろしくない。
問答無用で彼の右腕をつかみ、引きずっていく。
その時、糸川君がもう片方の腕を私に向かって伸ばした。
彼に掴まれぐらりと視界が揺れる。
糸川
(明日15時、あのカフェに来て欲しい。)
…え?
離れていく彼と一瞬目が合う。
森高先輩に掴まれた腕を払いのけながら、それ以上何も言わずに
糸川君は戻っていった。
◇うん、可愛い。◇End …続く。