政略結婚ですが、不動産王に底なしの愛で甘やかされています
「ああ、こちらこそすまなかったね。それでは私はこれで失礼させてもらうよ」

 伝票をくしゃりと右手で握り潰して、そそくさと立ち去った千石さんの姿が視界から消えるまで眺めてから顔を戻す。そして驚愕した。

 いつからそうしていたのか、久我さんが跪いて私を見つめていたのだ。

「えっ、あの」

「大変失礼いたしました。大切なお洋服を汚してしまいました。今すぐクリーニングへ出させていただけませんか?」

「いえ、大丈夫です。自分で出します。それより、その、立ってもらえませんか?」

 おろおろとしながら声を上擦らせて訴えると、久我さんはゆっくりと立ち上がりながら両手を握ってきて、なぜか私も立ち上がらせる。

「そういうわけにはいきません。こちらの不手際ですので。どうぞこちらに」

 強引とは嘘でも言えない優しい力で手を引かれて歩きだす。

 簡単に振りほどける手を払えないのは、触れ合っている肌から伝わる彼の体温が心地よく、千石さんに非礼な仕打ちをされて冷えてしまった心を包み込んでくれるようだったから。

 それになにより、エスコートをする彼の気遣いを無下にしたくなかった。
< 9 / 137 >

この作品をシェア

pagetop