薄幸ノ人妻ハ妖シキ鬼ノ愛ヲ知ル
「俺の名を呼んでください」
私がつたない口調で「佑様」と呼ぶと、彼は満足したような笑みを浮かべて、また深く口づけた。それが嬉しくて、私は何度も彼の名を呼んで求める。彼はそれに応じ、何度も私の体に子種を残して行く。その度にまるで火がついたみたいに体が熱くなって、彼から離れがたくなるのを感じていた。
気づけば、夜はすっかり更けてしまっていた。時計を見るとすでに日付は変わっている。彼に抱きしめられたままぼんやりと過ごしていた私の頭が一気に冴えわたっていった。
「か、帰らないと!」
がばっと起き上がると、眠っていた佑様もゆっくりと身を起こした。
「待ってください」
「でも、私が屋敷にいないことが誰かに知られたら……」
佑様は私の手首を掴む。
「もう少しだけ。最後に、あなたに渡しておきたいものがあるんです」
立ち上がり、近くの戸棚を開ける。そこから小さな赤い袋を取り出した。首を傾げる私の手にそれを乗せる。
「何でしょうか、これは」
「ツノ、です」
そう言って彼は髪を掻き分けて、頭のてっぺんを見せてくれた。少し盛り上がっているそこには髪が生えていない。佑様は袋を開けて、中の物を出した。つるりと牙のようにとがっているそれは、伝承で伝わる鬼のツノと同じだった。
「鬼の末裔はみなツノを生やして生まれてきます。ですが、我が一族は、当主となる子供以外は切り落とすんです。それは、俺の切り落とされたツノです。それを紗栄さんに持っていてほしいんです、俺だと思って……」
彼のツノだと思うと、不思議とぬくもりを感じる。私がぎゅっと握りしめると、佑様は柔らかく笑った。私が大好きなその笑みが遠ざかってしまうと思うと、悲しくて仕方がない。私は散らばった着物を身に着け、胸元に貰ったばかりの小袋を押し込んだ。肌身離さず持ち歩くにはこうした方がいい。私がしっかりそれを胸に収めたことを確認してから、佑様は部屋の扉を開けた。夢みたいな時間が終わってしまう名残惜しさ、彼がいなくなってしまう悲しみ、夫にバレず屋敷に戻れるかという不安。そして、私と彼の結晶が実を結ぶのか。頭の中は様々な感情で渦巻いていた。私は誰にも見られないように肩掛けを頭からかぶり顔を隠すと、佑様は私の肩を抱いた。どうやら、屋敷まで送ってくれるようだった。
私たちはまるで牛が歩くみたいにとぼとぼとゆっくり歩いたのに、気づけば私たちの目の前には華村家の屋敷が見えてきた。私は裏口に回る。そちらの方が家人にバレる可能性は低い。戸を開けて彼に別れを告げようとした瞬間、ぐっと強く腕を引き寄せられた。気づけば私は彼の胸の中にいて、佑様は私を抱きしめていた。屋敷の前で、誰かに見られたら……そんな事はあっという間に吹き飛んでいく。私はただ、彼との時間を一秒でも長く過ごしていたかった。
「必ず生きて帰って来て、あなたを迎えに来ます」
「……お待ちしています。どうか私を、ここから連れて行って」
ひとりぼっちで過ごす孤独な屋敷。そこから私を攫ってくれるのは、目の前の赤い瞳しかいない。
最後に、と触れ合うだけの口づけを交わした。少し触れただけなのに、お腹の奥がカッと熱くなったような気がした。