薄幸ノ人妻ハ妖シキ鬼ノ愛ヲ知ル


 しかし、戦争はもうとっくのとうに終わっていた。村の男の人がもう何人も帰ってきているのに、彼が私たちを訪ねに来る事はなかった。私の頭の中は、不安と諦めが少しずつ大きくなっていった。もう鬼頭様はこの世にいないのかもしれないという不安と、もう私たちのところには来ないのではという諦め。でも、ユウスケが怖がるといけないから私はそれを隠しながら生きていた。

「おかあさまー」

 遊びに行っていたはずのユウスケが戻ってきて、私の事を呼んだ。顔をあげると、ユウスケが走ってくるのが見える。その後ろに見たこともないスーツを着ている男性が続いていた。帽子を目深くかぶっていて顔が分からないけれど……もしかしたら親戚の方かしら? 私は首を傾げながらその人を見つめた。

 その人は、帽子を取った。優し気な瞳で私を見つめる――その赤い瞳は、ずっと焦がれて仕方がなかったものだった。

「佑様!」

 私は駆け寄る。彼も帽子を投げ捨てて走り出していた、そして、私はその広い胸に飛び込んだ。佑様は私をしっかりと受け止めて、強く強く抱きしめてくれる。この体温をずっと待ち望んできた、求めてきた。私の目からはまるで川が決壊するように涙が溢れていく。

「遅くなりました、本当に申し訳ない」
「いいえ……帰って来てさえくだされば、それでいいのです」

 彼は、戦争に戻ってきてすぐ、華村の家を訪ねたらしい。そこでは追い返され、私の実家を訪ねた時は「娘は死んだ」と聞かされたらしい。けれど、そこで諦めることなく探して探して……ようやっと私を見つけ出したのだと話をしてくれた。

 私の涙は彼のスーツに染み込んでいく。私はそれに気づいて涙を拭いた時、ユウスケがぽかんとした顔で私たちを見つめていたのに気づいた。私は佑様から離れて、ユウスケの肩を抱いた。

「この子が、まさか……」

 彼も驚いたようにユウスケの事を見つめている。私は膝をつき、この子にかぶせていた頭巾を取り払い、彼にツノを見せる。

「佑介と名付けました。あなたから一字貰って」
「おかあさま、このひとは?」
「佑介のお父様よ」

 佑介は彼を見上げた。佑様は言葉も出ないといった表情で佑介を見つめる、佑介も困惑している様子で私に縋り付いた。私はその小さな子を抱きしめる。

「あなたがこの子を残していってくれたから、私は今まで生きることができました」

 佑様は跪き、私と佑介を柔らかく包み込んだ。

***

 佑様が帰って来て、私たちはすぐにあの村を離れ、また都会で暮らすようになった。戦果を挙げていた佑様は軍曹から准尉に昇進していて、その褒美として一軒家を与えられていた。ついに安住の地が見つかったのだと、私は嬉しくて仕方がなかった。暮らし始める時、私は彼と婚姻の届を役場に提出した。これで彼とは名実ともに夫婦に、家族になったのだと思うと押し寄せるものがある。佑介は、初めは恥ずかしがっていたけれど、しばらく経つと「お父様」と呼んでぴったり離れなくなっていた。私たちは佑様の実家にも挨拶をし、その時に佑介もツノを落とした。

 そして、佑介は尋常小学校に入学した。友達もすぐにできて、いっぱい遊び、いっぱい学んでいる。今ではすっかり立派な軍国少年になっていて、父であり軍人でもある佑様の事を尊敬している。

「お父様、今日はお休みなのですか?」

 いつもはパリッとした軍服を着ている佑様が、自分が登校する時間になっても浴衣のままでいることを不思議に思った佑介がそう尋ねると、彼は頷いた。私もそれを知らなくて、少し驚いてしまう。

「最近は忙しかったから、休みを取ったんだ」
「それなら、早く帰って来て、一緒に遊んでください!」

 佑介の言葉に彼が頷くと、佑介は満面の笑みを浮かべて家を飛び出して行った。

「佑介が帰ってくるまでの間、ゆっくりしていてくださいね」

 私はそう彼に言って朝食の食器を片づけようとしたとき、体がふわっと浮いた。目の前には佑様の顔がある。私が困惑していると、彼は「そうもいかない」と囁いた。

「佑介ももう十分立派になっただろう? そろそろ、二人目を考えていいんじゃないか?」

 その言葉に体がカッと熱くなるのを感じた。夜を共にしても、私たちは子どもができないように注意していたから……彼の生身に触れて感じあうのは、本当に久しぶりになる。私の体が期待と高揚で熱くなっていることにすぐに気づいた彼は、そのまま夫婦の寝室まで私を運んでいった。

「紗栄――愛してる」

 私を寝台に寝かせた彼が、そう囁いた。私はそれに答えるように、彼に口づける。夫に愛され、息子に愛され、その愛を返すだけの日々。幼いころから焦がれて仕方がなかったものを、ついに手に入れた私はもうずっと幸せの絶頂にいる。それなのに、彼はもっと私のことを幸せにしてくれる。

新たな愛の証はすぐに体に宿るだろう。私はそれが楽しみで仕方がなかった。

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