薄幸ノ人妻ハ妖シキ鬼ノ愛ヲ知ル


「鬼頭、様……」

 小さな声で呟いたけれど、彼の耳には届いたみたいで、優しい笑みを浮かべて頷いてくれた。

「やっと会えた。強引な真似をして申し訳ない」
「い、いいえ」

 彼も私に会いたいと思っていてくれたことが嬉しくて、今感じたばかりの恐怖はどこかへ飛んでなくなってしまっていた。鬼頭様は私の腰を抱きながら体を引き起こす。肩掛けを頭にかぶせて、私の顔を回りから見えないようにした。

「……こちらへ、誰にも見られぬように」

 私は頷き、下を向いて彼に導かれるまま進んでいく。路地を抜けて突き進んでいった先には、アパートメントがあった。数人、軍人が出入りしているのを見送り、隙を見計らって、私たちはその建物の中に飛び込んでいく。私はそのまま、二階の奥にある部屋に押し込まれていた。

「ここは……?」

 玄関から居間へ繋がり、扉の向こうにはもう一つ洋室がある様子だった。私が鬼頭様に尋ねると、彼は「私の部屋です」と少し堅苦しく答えてくれた。

「あなたに大事な話があって……少し強引になってしまいましたが、どうしても二人きりになりたかったんです」

 大事な話。その言葉に私が胸騒ぎを覚える。聞きたくないと耳を塞ごうにも、鬼頭様が私の両手を取り、強く握りしめた。私は逃げることも出来ず、小さく頷いた。覚悟なんてできていないのに。

「年が明けたら、戦争が始まります。私ももちろん出兵する予定です」
「……嫌ですっ!」

 本来なら笑顔で見送らなければいけないのに、私からは本音と涙が溢れ出す。この人まで私を置いていなくなってしまう、恐怖と不安で胸がいっぱいになる。嫌だ嫌だと幼い子どものように涙を流し続ける私を、鬼頭様は強く抱きしめた。

「紗栄さん」

 名前を呼ぶその声がいつも以上に優しく聞こえた。私が彼の胸に縋り付くと、さらに強く抱きしめてくれる。このぬくもりがなくなってしまう事を考えると、胸が張り裂けそうなくらい痛くなる。鬼頭様はもう一度深く私を抱きしめて、耳元に唇を寄せた。

「あなたを一人きりになんてさせない」
「……きゃぁ!」

 鬼頭様は私を抱き上げて、扉を開けた。その洋室は薄暗く、寝台の上には彼の寝間着が脱いだままの状態で残っていた。鬼頭様はそれを取り払い、私を寝台に載せる。そして私のお腹のあたりに手を乗せて、じっと私を見つめた。赤い瞳の奥には、情欲の火がともっている。

「ここに、俺の子どもを残していく」
「え……ん、んんぅ!」

 彼はそう言い放って、私の口を塞いだ。まるで拒否するのを許さないと言わんばかりに、深く、激しい口づけ。私の頭には彼の言葉が渦巻いていた。もし夫以外の人との子どもが出来たら、私は一体どうなってしまうの? 考え出すと不安が募り、キリがない。しかし、さらに深くなっていく口づけが私の思考を奪っていった。静かな部屋に、互いの粘膜が混じり合う水音が響く。体の力が抜けていくのが彼にも伝わったみたいだった。抵抗しないと確信した彼は、私から唇を離す。

「紗栄さん、いいですね?」

 その誘いに、私は頷いてしまった。彼は慣れた手付きで私を一糸まとわぬ身に変えていく。そして首筋や胸元に、熱い口づけを降らせていく。耐えきれなくなった私が「鬼頭様」と息絶え絶えに彼の名を呼ぶと、彼の動きが止まった。

「佑」
「……え」
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